冬 屋上の桜 6
その風貌に対して、自然と零れるそれしか無い名前。
「オオカミ君……」
「やあ、こんにちは、お久しぶりです、その節はお世話になりました」
軽い口調で話す彼、春に出会った不思議、オオカミ君。そう言えばあの時もこんな、そうだ、こんな薄暗くも鮮やかな夕焼けの教室で。
桜の気配が一瞬。
春のことを思い出した途端に灰色にくすんでいた景色が色を差したように鮮明になる。
何故だろうか、いや、たぶんきっと彼と出会った経験がミオと居た日々の一片だから。
そのせいもあってか私、驚きはしたけれど恐怖はちっとも感じていなかった。こんなシチュエーションなのに。だから先ず口を突いて出たのは単純な疑問。
「なんで……」
彼は良く似合う夕色の中ニッコリ笑って、ううん、顔は見えないから、そんな雰囲気で。それに身振り手振りも交えて。
「実は僕、案内役を頼まれまして、こうして最初に出て来たんです」
「案内役?」
聞かされたのは思ってもいなかった言葉。
「あ、でも、もちろん頼まれなくても一番に出て来たかったですよ、あなたの前に」
「え、あ、うん……」
疑問が解決しないままに変なことを言われて戸惑ってしまう。
と言うか、オオカミ君、前に会った時となんかちょっとキャラが違くないかな?
「新しい自分であなたともう一度出会いたかった」
それに勢いと言うか、こう、ぐいぐい来る感じ。正直私、少し引いてしまう。ごめん。
「あ、うん、えと、その、頼まれたって……」
「ええ、さくらこさんがきっと困っているからと頼まれたんです」
さくらこさんって……、困ってるって……、まあ確かに、そうだけど。でも……。
「そんなこと、だ、誰から」
「それは秘密なんですが」
「秘密?」
何か事情があるのだろうか。私に言えないような。
オオカミ君の登場で忘れかけていた違和感の手触りが蘇る。
そうだ、聞かなきゃ。彼は何かを知っている。
そう思った私が彼に問いかけようと口を開いた瞬間だった。
「ミオさんです」
「……ミオ!?」
一瞬何が起きたのか分からなかったが、とりあえず急に出て来た名前に驚いた。
ミオ? どうしてミオが?
しかしそう思ったのにオオカミ君の言動のせいで少し考えが逸れる。
いや、でも、それにしてもオオカミ君、口軽くないかな? それ秘密なんじゃないの?
「んー、言っちゃいましたね。ま、さくらこさんに嘘は吐けませんし、しょうがないですよね。それで、えーと、あのですね、さくらこさんにはこれからある場所を目指してもらいます。そこで彼女が待っています」
軽い……。でもだけど今度はそれどころじゃない。
「彼女が待ってるって、ミオが私を待ってるの!?」
「はい。ですがそこに行く前にいくつか立ち寄って欲しい所があります」
「立ち寄って欲しい所って……」
「はい。是非そこで皆さんの想いを知ってください。その上でさくらこさんは思い出さなければいけません。あの日辿った道を。その思い出した道の先でミオさんが待っています」
皆さんの想い? あの日辿った道?
「どう言うこと」
それにミオが待ってるって……、ミオは……。
「すぐに分かりますよ。現にさくらこさんはもう思い出し始めている」
「思い出し始めている?」
それが違和感の正体、記憶が曖昧に思える理由?
疑問符がどんどん増えて行く。
オオカミ君は頷いて、それから少し間を置いて言った。
「いいですか、どんな道を辿ろうと誰に何を言われようと最後は自分自身で選ばなければいけません。例えそれが辛い選択だったとしても。結局は自分で選ぶんです。でも大丈夫、どんな結果でもさくらこさんの選択を責める人はいません。ええ、そうです、誰も。あるとすればきっと、それぞれがそれぞれ自分自身を責めるだけでしょうから」
「え……」
「僕もそうでした」
彼は黙って少し俯いた。
この間のミオの時と同じように私は言われた意味が良く理解出来なかった。だけど次々話す彼が嘘を吐いているようにも、ふざけているようにも何故か思えなかった。彼は、彼とミオは何を知っていると言うのだろうか。
「あの……」
「ああ! すみません、こんなのずるいですよね。でもこれくらい大目に見て下さい。最後の抵抗ってやつです」
そのあと彼は努めて明るく、
「ねえ、さくらこさん。先程も言わせて貰いましたが、僕はあなたにもう一度出会いたい。新しい自分で。そして前よりもっと色んな話をしたい。楽しい話も、なんてことない話も。知って欲しいことが沢山あります。知りたいことも沢山あります。伝えたい気持ちだって。だから僕は信じて待っています」
それから彼は「さてと」と言って立ち上がった。
「時間ももうあまり無いことですし、僕の出番はそろそろ終わりですね。彼に想いを返して僕は元の場所へ帰ります」
「帰る? え、あの、元の場所って?」
「はい、その場所は、さくらこさんが一番良く分かっていると思いますよ」
オオカミ君はそう言うと私の持つノートを指差した。
「ノート……」
手元に視線を落とした私。胸に抱いたキャンパスノート。だけどオオカミ君が言ったことが引っ掛かってすぐに顔を上げた。
「あ、ねえ、彼って……」
その時私が目にしたのは机の上に置かれた狼の顔と夕闇に消えて行くその体。
ハッとしてさらに視線を上げた。
被り物を取った彼の顔は、消える寸前の一瞬だったけれど、確かに知っている顔で。
だけどもうそこには静かな夕闇の教室があるだけ。
私は気付けば寒さの無くなっていた空気になんだか無性に不安になって声を上げた。
「尾上君、ねえ尾上君なの!? なんで!?」
すると優しく声だけが響く。
「彼は僕。僕は彼。でも僕は僕でもあります。大丈夫、想いは全て本物です」
「……それってどう言うこと? どうして尾上君が? ねえ、私、どうしたらいいの? それにミオは? ミオはどこに居るの?」
「あなたはまだ不思議の中、でも大丈夫ですよ、これはそんなに複雑な話ではありません。皆があなたを想っていた。それだけです。安心してください、あなたが愛する全てが必ずあなたを導き助けてくれます。僕もその一つであり、彼もその一人だった」
「分かんないよ、ねえ」
「大丈夫」
彼はそのあと少し間を置いて忘れ物を取りに来たみたいに言った。
「あ、そうそう言い忘れてましたが、改めてありがとうございました。僕、友達出来たの初めてだったんで本当に嬉しかったです。さあ、ノートを開いて、次の場所はそこにあります」
「次の場所って……?」
依然不安を抱えたまま言われた通りノートを開くと、私のオリジナルの不思議のページ、さっきまで空白だった場所が一つ埋まっていることに気が付いた。
『オオカミ君』
毎年春の新学期の時期、誰も居なくなった金曜日の放課後の教室に現れる。体は普通の男子生徒、だけどその顔は血に飢えた恐ろしい狼。昔から学校に潜んでいる怪人だとか、狼男の子供だとか、その正体に関する説は色々あるけれど、どれも定かではない。びっくりするのは目撃証言が多いこと。下校時、校舎を振り返ると教室の窓にそのシルエットを見た。放課後、廊下に響く遠吠えを聞いた。忘れ物を取りに行った教室で窓から飛び出す後ろ姿を見た、などなど。
それを見た時、唐突に、だけど確実に思い出した。
オオカミ君。そうだ、私が考えたオオカミ君。
慌てて辺りを見渡した。
だけどそこには静かに闇の降りた教室があるだけ。狼の顔も無ければ彼の気配も無くなっていた。
改めてノートに視線を落とす。埋まった項目にもう違和感も疑問も感じなかった。
でも、どうして尾上君が?
「私……」
分からない、まだ全部は分からない、けど、行かなければならない。彼の言うように。この不思議の先に本当にミオが居るなら。だって私は今すぐにでも彼女に会いたい。
オオカミ君の項目をなぞった手を少しずらす、次の空白へと。
ここには確か……。
夏の日、ミオと二人で出会った彼女のことを思い出した。包帯を巻いた彼女のことを。
私は顔を上げ走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます