冬 屋上の桜 5

 放課後の図書室。


 手元の古い卒業アルバムを閉じた私は見つけた何かを書き込もうと反射的にノートを探した。


「……そう言えばノートどうしたっけ」


 最近はミオと居ることが多かったからか久しくその存在を忘れていた。


「何処だろ」


 鞄の中にはない、だけど近い記憶にはなんとなく見た感じがある。


「教室、かな」


 時計を見ると間も無く最終下校時刻が訪れようとしていた。教室に確認に行くなら急がなくてはいけない。けれど前を向かない気持ちのせいか体は重く足も動かない。

 溜息混じりの呼吸のあと、なんとなく視線をやると窓の外が夕焼け色に染まっていた。


『ねえ、さくら、そろそろ行こうか?』


 いつかの図書室でのミオの言葉を思い出し、自嘲混じりに返事をする。


「そうだね……」


 いつまでもここに居てもしょうがない、結局私は力無く席を立って歩き出した。途端に椅子にぶつかってよろけたから周りに頭を下げる。誰が咎めている訳でもないのに。


『転ばないようにね』


 そんな以前のようなミオの声は聞こえなかった。




 職員玄関まで来て私は足を止めた。


「……なんだ、動いてるや」


 修理が済んだのだろう、止まっていた柱時計が何事もなかったかのように時を刻んでいる。動いてしまえばただの時計だ。あの日ミオと見た特別な動かない時計はもうそこにはない。まるで止まっていたことも、ミオとここに居たことも夢だったみたいに。


「動かない時計か……、あとなんだっけ……」


 本当に目が覚めたあとの夢のよう。ミオとの日々が遥か遠く、夢見る前の昨日が今日へと続いている。たった数日彼女が居ないだけなのに、まるで初めから居なかったかのように。


 しばらくぼうっと時計を眺めていた私だったが、外に人の気配を感じてそちらに顔を向けた。

 目にしたのは荷物を持って歩く彩花あやかが職員玄関の前に差し掛かったところだった。部活の終わりだろうか、確かにそんな時間だ。


「あ……」


 文化祭で話せたと言う記憶が背中を押し、一瞬、声をかけようかと口を開く。しかしすぐに彼女の元に部活仲間らしき人たちが走って来た。笑顔を交わす彼女たちを前に私は呼び掛けるのを止めて咄嗟に柱の影に隠れてしまった。


 言葉を飲み込んで黙った私。聞こえるゆっくりと揺れる振り子と時計の針の音。静寂と影に溶けていく体。俯く私の中でミオと居たあの日々の気持ちが沈み、鬱々と一人で居た時の気分が浮かび上がる。


「私……」


 そうだ、私は、本当の私は……。

 否が応でも思い出す自分。辛いばかりの日々のこと。


「私は本当は一人で……」


 その時、最終下校時刻を告げるチャイムが鳴った。

 夕時の冷たい空気を震わせ響き渡る音。夕景の中でそれが反射を繰り返し賑やかな時を段々と忘れていくみたいに校舎に沁み込んでいく。


 ああ……、時間だ……。


 逢魔が時。

 瞬間思い浮かぶ、破られボロボロの教科書の映像。それと合わせて感じる大切なノートが手元に無い不安。

 それらが重い私の体を再び動かす。


「……行かなきゃ」


 私は教室へ向けまた歩き出した。




 熱の無くなった誰も居ない教室、電気は付けず夕明かりを頼りに自分の机へ向かう。静かな中で自分だけが動く緊張感はあるものの普段の教室よりかはよっぽどいい。


 窓際の机に辿り着いて椅子を引き中身を確かめる。


「あった……」


 なんの変哲もない普通のキャンパスノート。


「良かった……」


 またあの国語の教科書のようになってしまっていたらと内心気が気でなかった。

 いつだっただろうか……。

 そうだ、いつかの春だ、あれは確か、尾上おがみ君に貸していて、それが返ってきた時のことで……。

 久しぶりに登校した私の机の中には原型を留めていない教科書があった。どうせ誰かが嫌がらせとしてやったのだろう。

 不特定多数の誰か。分かっている。尾上君じゃない。尾上君が返す時にやったんじゃない。そう信じたい。だって彼は、メモを挟んでまでちゃんとお礼をしてくれたのだから。


 ……あれ? 

 でも、じゃあ、何時、私はあの教科書の中身を見たんだっけ……?

 あの教科書は保健室で帯包おびかね先生から返して貰ったはずで……。


 でもだけど、私が教科書を綺麗な状態で見たのは尾上君に貸したあの保健室の時が最後だったんじゃ……。


 生まれた疑問が掌に違和感を生む。


「このノート……」


 それは紛れもなく私のノート。一人でいつも書いていた学校の不思議研究ノート。だけど、


「なんでここに……」


 思えば今までこのノートの存在を忘れていたのもおかしい。だって学校に居る間はあんなにいつも書いていたのに。

 最近はずっとミオと一緒に居たから? だからノートを開くことはなくなっていた? でも……。


 記憶にはそうじゃない場面がある気がする。


 いつの季節も私は一人で……。なんでだろう、ミオと居る自分とそうじゃない自分、記憶が重なっているように思える……。


 違和感を持ったままページを捲ってみる。

 確かにノートには私の字が並んでいる。これを書いたことも覚えている。


 そのままページを進めていくとある所で手が止まった。

 そこは私の妄想を書いたページの始まりだった。具体的に言えば自分で考えたオリジナルの学校の不思議のページ。


 数ページに渡り幾つか書かれているのだが、自分で空けた覚えのない不自然な空白がある。それも数か所。


「なんだろう、これ……」


 静まり返った教室、深々と違和感が積もって行く中で私はそっと空白に触れる。


「知りたいですか?」


 私以外の突然の声に心臓が跳ね上がった。

 ノートを閉じほとんど反射的に顔を上げ振り返る。


 私の後ろのミオの席にそいつは何気に座っていた。

 相変わらず狼の被り物に男子の制服を着て。

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