冬 屋上の桜 2

 いつかお昼を過ごした校庭の隅、桜の小道、その近く。雪に染まった景色を前にして並んだ赤い傘が二つ。


「うわぁ……!」


 どちらともなく感嘆の声を漏らしていた。

 目の前にはまだ足跡一つ付いていない真っ白で柔らかそうな雪の絨毯。マフラーの隙間から出た白い息も溶けていく程の。


 その景色に二人してしばらく見惚れていたけれど、やがて隣から聞こえて来るちょっと不審な笑い声。


「んふ、んふふ、ねえ、いいかな、さくら」


 手袋をした手で私の袖を引っ張る彼女。ちなみに前を向いたままの瞳は教室でも見たあの輝く瞳で。


 はあ、全く。

 心で溜息一つ。


「いいけど、でも待って、……私も!」


 全く、そんな顔をされたらこっちまで楽しくなってしまうではないか。

 私は傘を放り出しミオより先に小さな雪原に駆けだした。


「あ! ずるい!」


 負けじとミオも走り出した。

 白い世界に歓声と笑い声を響かせて二人が足跡を刻んでいく。


「かまくら作ろう!」

「かまくら!?」

「二人で入れるくらいでっかいの!」

「いいね! 作ろう!」


 ミオの提案にも即乗りで、がらにもなくすっかりテンションが上がってしまっていた。


 それから二人でまだ降る雪も気にせず飛び回って夢中で雪遊び。人の目なんて少しも気にしていなかった。ううん、気にならなかった。

 でもまあいいか、なんて。

 どうせ私たちを見ていたのは寄り添い転がる二つの傘と満開の桜だけだったから。




 傘の上に積もる雪が重たくなって自然に崩れ落ちた頃、私とミオは息切れと共に我に返っていた。

 端的に言えば疲れた。単純に少々はしゃぎ過ぎたのだ。


「ちょ、ちょっと、あれだね、疲れたね」


 とミオ。


「そ、そうだね」


 私も同意する。だって二人してぜえぜえ言っているし。


「かまくら、辛いね、舐めてたよ」

「……うん、そうだね」


 また頷く私。

 そんな私とミオの横にはこんもりと盛り上がった精々腰の高さほどの雪山。頭で描いた理想のかまくらの大きさには程遠い。でもこれでも良くやった方だと自分たちを褒めたい。だけどこれ以上は正直辛い。とりあえずかまくらは道具もなく中学生二人が短時間で作れるものじゃないと言うことが良く分かった。


 ミオが雪山を見ながら言う。


「どうする?」

「いや、ちょっとこれ以上は、それに雪も……」


 雪は依然降り続いてはいるもののさっきに比べると大分弱くなっている。綺麗だった小さな雪原も今は二人の侵略者に踏み荒らされ凸凹だ。しかもかまくらのために雪を集めたせいもあって所々地面の茶色が出ているところもある。

 まあしょうがないか。雪の日と言ってもこの町は雪国ではない。降雪量もたかが知れている。これも現実。


「……うん、ね」

「まあ、うん、そうだよね」


 ミオも仕方がないと言った様子で頷いた。




 少しあと、小さなかまくらの中に小さな雪だるまが並んで二つ。

 遊び終えた私たちは雪をどかしたベンチで一休み。


「冷てー」


 赤い頬のミオが隣で掌をこすり合わせている。

 私も自分の手に息を吹きかける。

 動き回っていたので体は温まっているが手はすっかりかじかんでいた。


 しばらくそうしながら、特に話をするでもなくなんとはなしに校庭の方を眺める二人。

 雪の降り止んだ雲間に薄くなる青空。残照が桜色に染める雲と雪の白。夕景に影を落とす校舎。冷たい空気と居心地のいい時間。


 その中で私はいつの間にか春のことを思い出していた。

 夕方の教室で出会った不思議な男の子のこと。


「オオカミ君」

「ん?」


 自然と出した声にミオが反応する。

 私は前を向いたまま続ける。思い出したのは春のことだけではない。他の季節のことも順を追って頭に浮かぶ。

 夏の昇降口の包帯グルグル巻きのかっこいい人。


「ミイラ先輩」


 秋の体育館、見えない彼女。


「透さん」


 唐突に話し出したのにミオは何も言わず静かに頷いて話を聞いてくれている。


「私、色んな不思議と出会えた」

「そうだね」


 雰囲気がそうさせるのか言葉が抵抗なく素直に出て来る。


「きっと、ミオと居たからだと思う」

「そうかな」

「そうだよ、だからありがとう、いつも色々教えてくれて、それといつも一緒に居てくれて」

「……何? 改まって、なんか恥ずかしいな」


 ミオの方を見ると照れているのか彼女は顔を逸らした。

 その様子に私も段々恥ずかしさが込み上げて来る。照れが移ったみたいだった。急に頬にさっきまでと違う熱を感じる。


「あ、あはは、そうだよね、いやー……」


 誤魔化して笑って、黙ってしまうとちょっと気不味いから話題を探す。さまよう視線の先に本校舎の屋上を見つけた。


「あ、そう言えば私も一つ思い出したんだ、学校の不思議」

「ん、そうなの? どんなの?」

「文化祭の時に知ったやつでね、屋上の幽霊の話」

「へー」


 ミオはこちらを見ないで足をぶらつかせた。

 私は続ける。


「ミオといればいつかその子にも会えるのかな」


「会えるよ、さくらなら。別に私と居なくても」


「そっかな」


「うん」


「でもどうせならまたミオと一緒の時がいいな」


「ん、んー、……そっか、そうだね、私もそう思うよ」


「そうだよ、これからもさ、うん、これからも、来年も、その先もさ……」


 その時、私の言葉を遮るように二人の間に舞い落ちて来るものがあった。一瞬それはまた降り出した雪のように見えた、だけどすぐにそうではないと分かった。

 頭上の枝から桜の花弁が舞い落ちて来ていたのだ。しかも気が付けば一枚だけではなく幾枚も無数に。


「桜が……」


 振り返り見上げる。

 新雪を咲かせたような満開の桜が静かな風に揺れ、音もなく次々に花弁を散らせていた。


 夕焼けの雪景色の中でキラキラと時折光を反射させながら舞い散る桜、美しくもどこか切ないそれは、夢のように幻想的で、私はミオとの会話も忘れて何も言えずしばらくその光景に心を奪われていた。

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