秋 透さん 6
「わ、何?」
ミオが驚きの声を上げ振り返る。
「外から、だよね……」
私も同じように窓を見て答えた。
すると音に続いて複数人の声が聞こえて来た。
そこには、なんて言っているかまでは分からないけれど、怒声のような声も混じっている。
「開ければ見えるかな?」
私とミオはマットに座ったままの体勢で窓を見上げていた。そのままの位置だと外は見えない。窓も曇りガラスだ。だけど音や声の感じからするとそう遠く無く感じるし、確かに窓を開ければ見えるかも知れない。
「うん、たぶん。でも……」
「大丈夫、ちょっと確認するだけだよ」
躊躇う私にそう言ってミオは小さく笑った。
それからミオはなるべく音を立てないようにしてそっと窓に近付くと、自分が覗けるだけの隙間を開けた。彼女はそのままそこから恐る恐ると言った感じで外を見る。
「……駄目だ、ここからだと見えない」
角度の問題かミオの視界に特別な異変は映らなかったようだ。
しかし窓が開いたことでさっきよりも外の声が良く聞こえるようになった。
「――」
「――」
その声は、どう聞いても仲良く遊んでいる感じではなくて。
窓の下でしゃがんで振り返ったミオと私は顔を見合わせる。
「ねえ、これって……」
ミオが表情を曇らせ呟く。
私、言葉が出てこなかった。
いじめ。
そうだと確信した瞬間、鼓動が速くなった。冷たい血が体中を巡る。お腹の底から嫌な感じが込み上げて来て口の中にまで広がる。嫌だ。とても、とても。
「ねえ、さくら、どうしよう、先生呼んで来る?」
「え、どうするって……」
どうしよう。
不安げな声で問うミオに答えられないでいると、今度はすぐ傍から耳慣れない音が聞こえて来た。カチャカチャと金属が細かくぶつかり合うみたいな小さな音だ。
その音の方を見ると
「透さん?」
声をかけるも彼女は何も喋らない。
ミオも彼女の様子に気が付いて心配そうに言う。
「大丈夫?」
ミオが透さんの肩を抱くと、透さんは一度撥ねるように体を揺らし、さらに固く小さくなった。
そんな彼女の異変を前に不安は否応なしに一層つのる。
「や、やっぱり先生呼んで来るよ」
「待って行かないで!」
ミオが行こうとしたら透さんが腕を掴みそれを止めた。
「透さん?」
「怖いの…、お願い……」
透さんはさっきまでの元気が嘘のような状態だった。声は弱々しく体も縮こまり、見えないけれどきっと顔も真っ青になっているように思えた。
「どうしようさくら」
どうしたらいいか分からない、私も。
だけどこんな透さんを放って置いて行く訳にはいかないし、それに外もこのままでいい訳がない。
どうしようどうしよう……。
私は冷静でいられない頭で必死に考える。
ミオに頼んで私だけでも先生を呼びに行く? いや駄目だ。やっぱり今この場にこんな二人を置いて行くなんて出来ない。それにもしも私が先生を呼びに行ったことが外の加害者たちにバレたらと思うと、恐い。そのことを考えてしまうと足が竦んでしまう。どうしようどうしようどうしよう、出来ることならもう考えるのも辞めて座り込んで耳を塞いで目を瞑ってしまいたい。何も聞かないで何も見ないでいたい。
だけどその時、私の耳に透さんの小さな声。
「嫌だ嫌だ嫌だ消えろ消えろ消えろ……」
「さくら」
ミオが不安そうな顔をしている。
二人の様子を前に震える私の手が私の心臓をギュッと掴む。
駄目だ。嫌だ。私はミオにこんな顔をさせたくない。ミオはいつか私に言った。私のことを守ってあげたいって。今、思う。私だってミオの笑顔を守りたい。いつも私を笑顔に変えてくれる彼女の笑顔を曇らせたままでいたくない。それに、透さんのことだって。今日会ったばかりだからって放って置いていいなんて絶対思えない。こんな風になっている彼女はきっと当事者の一人なんだから。
私、拳を握った。掴んでいた心臓をそのままに。弱い心を握り潰すみたいに。
やるしかない、今私に出来ることを、何か。何か……。
私はもう一度ミオと透さんをそれぞれ見てから窓の方を見やった。
一つだけ思い付いた。
「さくら?」
ミオの声を背に立ち上がり窓に近付く。
そして浅い呼吸を繰り返し、唾も飲み込んで、開いた窓に向かって声を出す。
「助けて」
掠れて震えた声。いつの間にか乾いていた喉からは思うように声が出なかった。けれど私にとっては声が出ないことなんていつもと同じ。だからそんなことは構わない。今はとにかく思いついたことをやるしかない。恥ずかしくても、格好悪くても。
「助けてください」
もう一度外に向かって声を出す。それと合わせてバンバンッと壁を叩く。
「用具倉庫のドアが開かなくなりました! すみません! 誰か居ませんか! 出してください!」
とにかく精一杯声を出す。外に出て辞めろなんて言う勇気などないから。せめてここから。こんなことしか出来ないけれど。
「閉じ込められました! すみません助けてください!」
普段出さない大きな声に喉が驚いたのか咳が込み上げてくる。喉の痛みと情けなさで涙も滲む。
私が咳き込んでしまうとミオが隣に来た。
そして外に向かって。
「助けてー!」
大きい声。良く通る声。ミオは一度叫ぶと私の顔を見て笑った。私がやろうとしていることがミオにも伝わったみたいだった。
それから私たち、外に向かって大声で叫び続ける。
「すみません誰か居ませんかー!」
「出してください!」
必死で、大声で、壁も叩きながら、ただ叫ぶ。外に居る人、近くに居る人、なるべく沢山の人に聞こえるように。
こんなの一時しのぎなのは分かってる。だけど一時しのぎだけでも出来ればいい、なんにもならないかも知れないけれど、でもその一時が誰かの何かを変えてくれるかも知れないと少しだけ信じて。
「すみません誰か来てください!」
私、自分のことでいっぱいいっぱいだった。だからその時の透さんの様子は分からなかった。けれど気が付いた時には彼女が震え甲冑の金属が細かくぶつかり合う音は聞こえなくなっていた。
程なくして用具倉庫には先生が駆けつけて来てくれた。私たちの声が聞こえたのか、誰かが呼びに行ったのかは分からない。
閉じ込められたなんて嘘だから、もちろん倉庫の鍵は開いているしドアも簡単に開く。
そんな状況を確認した先生は怪訝な顔をして、私たちに軽く注意をした。
窓の外にあった不穏な気配は先生が来た時には無くなっていて、透さんもいつの間にか甲冑を脱いでいたようで、その存在を確認することが出来なくなっていた。
そのあと私たちは先生に連れられて用具倉庫をあとにする。
用具倉庫を出る時、もう一度倉庫を見回したけれど、そこには脱ぎ捨てられた西洋甲冑が転がっているだけでやっぱり透さんを見つけることは出来なかった。
だけど体育館を出る時、ミオが私の袖を引っ張ったので振り返ると、広い空間の中にポツンと一つお札の付いた中華帽子が浮いていた。
ごめんね。ありがとう。
小さな声だったけれど確かにそう言ったのが聞こえた。
それから中華帽子はふわりと、まるで置かれるように床に落ちるともう動かなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます