夏 ミイラ先輩 8

 翌日の補習授業、その放課後。


 私とミオは帯包おびかね先生に会うため、また保健室へと向かっていた。


 廊下の窓の向こうを見れば強い日差しが校庭を照らしている。今日も熱中症が危惧されるような暑い日だ、部活動も外では行っていないようで、そこに生徒の姿は無い。


「さくら」


 ミオが首を傾けて私の顔を覗き込む。


「あ、ごめん、私また……」

「もう、あんまりボーっとしてると危ないよ」

「ごめん」


 先生のことも、もちろん頭にあったけれど、ぼんやり外を見ながら私、ミイラ先輩のことを考えていた。


 たった一日前のことなのに記憶は陽炎のように揺らめいていて、昨日の出来事が本当にあったことなのだろうかと、どこか信じられない感覚も今の自分の中にはあった。だけどもしもあれが真実ならば、私は確かにまた一つ不思議と出会ったのだ。


 あのあと先輩は私たちが見守る前で、光に溶けていくように、或いは霧が晴れるように、その姿を消した。


 幽霊、なのかは分からなかったけれど、ミイラ先輩はやっぱり普通の人間の先輩ではなかった。


 でも、だとしたら先輩はあの時どうして私たちの前に現れたのだろうか?

 本当に偶然? それとも先輩は、私たちにこそ、話を聞いて欲しかった、と言うことなのだろうか?


「さくらってさ」

「ん?」

「やっぱり時々凄いよね」


 ミオがまたそんなことを口にした。


「え、なんで?」


 いつもだけど、思い当たることはなくて聞き返す。


「だってミイラ先輩の包帯、取っちゃうんだもん」


 ミイラ先輩の包帯、あれは別に私が取った訳ではない。きっと元々先輩の中に葛藤はあったのだ。それに。


「あの時はミオも居たし、偶然って言うか、たまたま、ああなっただけだよ」


「そうかな、先輩も、言ってくれたのがさくらだったから包帯取る気になったんじゃないかな」


「そう、かな……」


 流石にミオの言うことを鵜呑みに出来る程自信はない。だけど、そうだったら、もし本当にそうだったら、ちょっとだけ、嬉しいとは思う。だって、あの格好いい先輩の背中を押せたんだから。


 私がまた黙っていると、ミオが調子を変えて言う。


「オオカミ君にも会えた、昨日はミイラ先輩にも会えた、それなら今日は帯包先生に会えるといいね」


 なんだか変に発想が飛躍している気がする。だけどミオの気持ちは分かるし、彼女も私の気持ちを分かってくれている。そうだ、先輩とあんな風に話せたように、先生とも、もう一度会って話をしたい。


 だから、もちろん私は素直に頷く。


「うん。そうだね」



 階段を降りたところで、私たちは昇降口の下駄箱の前に居る帯包おびかね先生を見つけた。

 人を待っているかのように何をする訳でもなく立っている。

 久しぶりに見た先生の姿、一瞬、迷いや不安が躊躇いとなって私の足に絡む。

 だけどそんな私の背中をミオがそっと押してくれる。

 私はそのまま先生の前に出た。


「先生」

望月もちづき


 足音を立てる者が他にいない廊下、そこから段差を経て外へと続くたたき、整然と立ち並ぶ下駄箱。強い日差しに白む向こうの景色と比べれば、ここは静かな夏の影のような場所。


「あの……」


 言葉が上手く続かない私に変わって、先生が優しい声で話し始めてくれた。


「もう知ってるんだろ? ごめんな、本当は一番に望月に伝えようと思っていたんだ。タイミングが合わなくて……」


 一度言葉を区切って先生は言い直した。


「いや、そうじゃないな。本当は迷っていたんだ、望月に伝えるべきか。ごめんな」


「いえ、そんな」


「色々、色々な、考えてしまったんだ。私はこれまで、同情や慰めを持って望月と接していたんじゃないか、そしてこれから、だったらどう望月と接して行けばいいのか。そんなことを。本当は一人で悩む必要なんか無かったことを。……弱い、先生でごめんな」


「そんなこと全然、全然そんな……、謝らないでください」


「もっとちゃんと自分のことも話せばよかった。一緒に、考えれば良かったんだな」


 先生の言葉の意味を全て理解出来た訳ではないけれど、先生が私のことで真剣に悩んでくれていたことは、ちゃんと感じることが出来た。


「先生っ、私は……、私は先生と会えて、先生が保健室にいてくれて、それだけで、本当に良かったって、本当に、本当に、思って、ます」


 涙が溢れて来る。我慢は出来なかった。まだまだもっとちゃんと話したいのに。


「さくら」


 少し離れて見ていたミオが私に寄り添って肩を支えてくれた。


「お前たちは、本当にいい友達だな。……浅香あさか、望月のこと、よろしくな」


 そう言った先生にミオが反論するように言う。


「何言ってるんですか、先生もこれからだってさくらのこと、それに先生だってもう友達みたいなものじゃないですか」


 涙を拭いながら私も頷く。転勤して終わりだなんて、これでさよならだなんて思いたくないから。


「私も……。そっか、そう、だな……」


 短く答えた先生の声も僅かに震えている。


「先生ぇ……」


 それから、いっぱいあった話したいことも話せないまま、見守る二人の前で散々泣いた私。人前でこんなに涙を流したのは初めてだった。



 私がやっと落ち着いたあと、昇降口のたたきと廊下の段差に座って三人で話をしながら、まだ微かに煌めく視界でふと外を見てみれば、遠く校庭の向こう、夏の光の中で満開の桜が輝いていた。

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