夏 ミイラ先輩 5

 中学生になって一年、二年、私は次第に学校を休みがちになっていって、そうなるに連れて、元々少なかったのだけれど、クラスメイトと話す機会も減っていった。

 学校に来て一言も喋らない、なんてことは別に珍しいことでもなんでもなくて、それどころか同年代の子達との喋り方を忘れてしまうくらい自分にとっては日常的なことになっていた。


 でもそんな中でほとんど唯一と言っていいくらい普通に話せる人がいた。それが帯包おびかね先生だ。まだ比較的元気だった一年生の頃、私は保健委員をやっていて、その時知り合ったからと言うのが理由の一つかも知れないし、同性であり、年も丁度いいくらいに離れているからと言うのもあったのかも知れない。思えば尾上おがみ君と話せていたのも先生が間にいてくれたからだ。とにかく先生は私にとって、こう言っていいのか分からないけれど、貴重な存在だった。


「さくら、大丈夫?」

「へ、あ、うん、大丈夫だよ」


 ボーっとしていた私の顔を覗き込むようにしてミオが言った。

 私たちは今、保健室を出て昇降口に向かっている。ちょうど職員棟と本校舎の渡り廊下に差し掛かるところだ。


「先生のこと考えてた?」

「うん、まあ、そうかな」


 ミオが眉を軽く寄せて言う。


「先生もさくらに前もって言ってくれれば良かったのにね」


 少し怒っているみたいだ。


「うん、でも……」


 校舎から渡り廊下に出ると校庭から横切るように風が吹き抜けた。なんだか湿っぽい。

 立ち止まり校庭の方に視線を送った。日差しがさっきよりも陰って見える。


 私、ミオの言葉を聞いて最後に先生に会った日のことを思い出していた。夏休み前のテスト終わりのあの日。


 あの時、先生は真面目な顔で私に何かを言おうとしていた。あれはもしかしたら転勤のことを私に伝えようとしていたんじゃないだろうか。でもあの時は言い逃して、それからそのあとも、私が学校を……。


「先生も言う機会を逃しちゃったんじゃないかな、私も学校休んじゃってたし」


 だから実際あの日以来私は先生に会っていない。


「でもさ……」

「確かにこのままだったらちょっと寂しい気もするけど、きっと大丈夫だよ。だってほら」


 私がまた歩き出したので、ミオもついて来るように歩き出す。


「補習授業、まだあるし、絶対また会えるから」


 ミオに心配させたくなくて改めてそう言ったけれど、自分にも言い聞かせた言葉だった。


「補習授業……か、うん、そっか、そうだよね。じゃあ、これも補習授業の一環みたいなものだね」

「ん?」

「さくらと先生の。夏休み前に出来なかったことのさ」


 出来なかったことの。


「……そうだね」


 補習授業。そうか、それなら私も、転勤することが変えられないとしても、せめてちゃんと先生に会って挨拶をしたい。何を伝えられるか分からないけれど、このまま先生と別れるのは、うん、やっぱり嫌だと思うから。



 やっと辿り着いた昇降口。校庭を正面に呆然と佇む私とミオ。目の前には雨の壁。渡り廊下からここまでのほんの少しの間に、夏の暑さも蝉の声も全部押し潰してそこに出来た分厚い雨の壁。


「どうして? さっきまであんなにいい天気だったのに」


 雨の音に負けないように声を大きくしてミオが言う。


 ゲリラ豪雨。大人は異常気象だなんて言うけれど私たちにとっては小さい頃から毎年ある結構通常気象。とは言え自然の猛威を前にして小さな私たちには為す術なし。


「これは止むのを待つしかないね」


 仕方なく昇降口で待つことにした。せっかく乾いた制服も濡らしたくないし、そもそもこんな雨の中出て行ったら本当に押し潰されてしまいそう。


 私たち、二人黙って雨宿り。

 他に誰もいない昇降口はいつもと違いとても静かだ。下駄箱の中も空っぽ。いつか早退した時に見た授業中の昇降口も静かだったけれど、その時は下駄箱の一つ一つに靴が入っていて、たくさんの喧騒の中の一時的な静けさ、そんな感じがした。でも今は違う。雨の音はこんなにするのに、以前感じたものよりもっとずっと長い、静寂。先生のことで明るい気持ちが凪いでいて、より一層そう感じたのかも知れないけれど。


 先生……。


「さくら」


 ぼんやりとまた先生のことを考え出しそうになっていると隣のミオが私の制服の袖を引いた。


「ん、何?」


 返事をしてもミオの視線は前、雨のグラウンドを見ている。

 私も彼女の視線を追ってそちらを見やる。

 ミオがまた声を出す。


「誰かいる」


 私も気が付いていた。


 土砂降りの雨で煙る校庭で誰かが走っている。グラウンドを大きく弧を描くように一定のスピードで。もしかしたらトラックを走っているのかもしれない。陸上部の練習。晴れていればそれでなんにも違和感はないのだけれど、こんな雨の中だ、ちょっとおかしい。


 ミオがまた袖を引っ張る。


「ねえ、なんかこっちに近付いて来てない?」


 確かに雨の中の影はこちらに方向転換した気がする。


「そう、だね」


 いや、気がするじゃない、確実に近付いて来ている。

 だってもうすぐそこ、私たちが見てる間に彼女は雨の中からその姿を現したから。


 走るのをやめ歩き近付く彼女は言うまでもなく全身ずぶ濡れ。もうそれはひどいくらいに。半袖のランニングパーカー、短パン、シューズ、全部ずぶ濡れ。それからもちろん、包帯もずぶ濡れ。そうだ、彼女、全身、手も足も、首も顔も、服から出ている部分全て包帯でグルグル巻きだった。

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