夏 ミイラ先輩 4

「本当にすぐ乾いたね」

「うん」


 ミオの声に返事をする。

 制服に再び袖を通したのは、教室に来てから随分経った気もしていたが、太陽がまだまだ元気な時間だった。とは言え心なしか風が涼しくなって来ていて、それが私たちを下校へと動かした。


 着替えと戸締りを終え教室を出る。

 私、ふと振り返った。


 誰も居ない教室。ガラス一枚遠くなった外の気配、風に揺れないカーテン、それだけなのにさっきまで窓を開けていたからか静けさを一層強く感じる。まるで秘密を隠して黙り込んでいるみたい。

 あれからオオカミ君の噂は聞かない、私もミオも。もう私たちは彼と会うことは出来ないのだろうか。そうだとして、彼はまた春になるとここに、この教室に現れるのだろうか。


「さくら」

「あ、うん、ごめん」

「きっとまた会えるよ」


 私の考えていること、見透かされているようだった。


「……うん」


 ミオが声の調子を明るく変えて言う。


「ね、さくら、こんな噂知ってる?」


 ミオは優しい。今だって私の寂しさを感じ取ってくれたんだと思う。

 だから私はそんな彼女に答えたい。


「どんな話?」


 自分なりにだけど精一杯微笑んで聞き返す。


「ミイラ先輩って言うんだけど」

「それ、夏休み前に言ってたやつだよね」

「覚えておりましたか」


 それから教室をあとにした私たちは、道すがら改めてその不思議な噂話に花を咲かせた。



 昇降口に向かう前に私たちは保健室に立ち寄ることにした。帯包おびかね先生にもう一度ミイラ先輩の話を聞かせてもらおうと会話の流れでなったのだ。

 しかし、鍵がかかっていなかったので中に入ってしまったのだが、保健室に先生の姿は無かった。

 だからなのか、それともいつもと違う夏休みという状況のせいか、教室よりも見慣れた室内なのに、私は漂う空気にどことなくよそよそしさを感じていた。


「今日はいないのかな」


 残念そうにミオが呟く。


「でも、ドア開いてたし、学校には来てるんじゃないかな」

「そうだよね、夏休み中はこっちにまだ来るって言ってたもんね」

「……え」


 私、今のミオの言葉が引っ掛かって聞き返した。


「それって、こっちにまだ来るって、どういうこと?」

「え、あれ、先生、別の学校に転勤するって終業式で……、もしかしてさくら、聞いてないの?」


 転勤?


 急に目の前にある空気が形を持って私の足元にコトリと落ちた気がして、途端によそよそしさの原因が目に付くようになった。


 そう言えば先生の机がいつもよりも整理されている。棚の中のファイルも夏休み前より減っている。他にも……。


「聞いてない」


 ミオが私の気持ちを映すように表情を変えた。


「あ、ごめん、私、先生から聞いてるものだと思ってて」


 そうだ、終業式、いつものように私は学校を休んでしまって、だからミオが聞いた話を聞いていないし、それ以前に先生から転勤について特別聞かされてもいない。


「さくら……」

「え、あ、ううん大丈夫そっか、先生、転勤するんだ」


 大丈夫、そう言ったけれど微かに声が震えていた。


 その時、窓の外に人の気配がして生徒が数人横切った。部活動に来ている人達のようで、その中には見知った顔もあった。


 あやちゃん。


 私は咄嗟に隠れようと半身を引いた。単純に反射的な行動だったのだけれど、勝手に保健室に入っている後ろめたさと今の気持ちのせいもあったのかも知れない。


 だけどミオは逆に窓の方に駆け寄った。


「そうだ、部活だ。先生、体育館とかに行ってるのかも」


 そのまま彼女は窓を開け今通り過ぎて行ったあやちゃん達を呼ぼうとする。


「あ、待って、待ってミオ、大丈夫、そうかも知れないけど、だったら忙しいだろうしまた今度で大丈夫だから」

「でも」


 どこか心配そうに振り返るミオ。


「ほら、補習授業もまだ続くし、他の日にまた来ればいいから。夏休み中なら先生来てるんでしょ」


 それに私、心の準備が出来ていない。今会ったとしても上手く話せる自信がない。何を話せばいいかも分からない。


「うー、さくらがそう言うなら」

「うん、大丈夫だから」


 私、とりあえずミオの行動を止められたのは少し安心したけれど、不意に訪れた先生との別れの予感に胸の奥はどうしても落ち着かなくなってしまっていた。


 ミオが開けた窓からはさっきよりも冷たい風が吹き込んで来ていた。

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