夏 ミイラ先輩 1

 忙しなく紙を叩くシャーペンの先、消しゴムを使うことで揺れて音を鳴らす机の脚、喋り声は無く、それぞれの息遣いと共に教室を満たす独特の緊張感。

 けれどそこにはもう解放される喜びが混ざっている感じがあって、見直しが終わった私もその混ざっているものに辿り着けた気がして静かにホッと息を吐いた。


 するとちょうどその時、黒板の上のスピーカーがブツッと音を出した。

 チャイムが鳴る寸前の音、それが聞こえた瞬間、フライング気味に教室中に溢れ出した解放感、それまでの緊張感なんか嘘みたいになくなってしまった。


 そして鳴り響くチャイムの中、期末試験が終わった喜びでざわつき始める教室。

 もちろん私もその一部。

 控えめに伸びをしたあと私、振り向いて後ろのミオに話しかけた。


「テストやっと終わったね」


 でも、項垂れ暗い顔と声のミオ。


「うん、終わった……」


 別の意味で終わってた。


 そのあとは慌てて慰めたりミオの分の用紙も集めたり、途端にぐちゃぐちゃ。

 けれどとにかくこれで一学期の期末試験も終わって、やっと気持ちも心置きなく新しい季節を迎えることが出来る。窓の外、眩しい景色はもう夏だ。



 今日の下校時刻はテスト終わりなのでいつもより早くてまだお昼前。

 私とミオはどこか浮かれた雰囲気の廊下を並んで歩く。


「さくら、テスト出来た?」


 未だ立ち直り切らない様子で声にも少し元気が無いミオ。


「うん、まあ、それなりに、知ってる問題ばっかりだったし、運が良かったのかな」


 そんな彼女の手前、はっきり出来たとは言い難かった。


「えー、そっか、いいなぁ」

「えと、み、ミオは? どうだった?」


 一応聞き返してみる。


「改めて聞く?」


 けど案の定な暗い顔と反応。


「あ、うん、ごめん」


 申し訳なさそうに謝った私にミオが途端に声の調子を明るく変えて言った。


「ま、別にいいけどさ。駄目だったよ、もう全然ダメダメ」

「あ、そうだったんだ」


 やっぱり、と言う言葉はなんとか飲み込んだ。


「これやったなあって問題はいっぱいあったんだけど、ほとんど忘れてて歯が立ちませんでしたわ」

「あはは……」


 こんな時、笑う以外の反応分からないや。


 階段の手前ミオが立ち止まる。

 私も足を止めて「どうしたの?」なんて尋ねようとすると。


「もう! 本当に、もう! テスト嫌い!」


 ミオが廊下の床に吐き捨てるように言った。

 ちょっとびっくりしていると急に顔を上げる彼女。


「よし! 切り替えよう。さくら、何か面白い話ない?」

「え、な、ない。ごめん」


 聞かれて咄嗟に出て来る私ではない。


「うん、ごめん。こんな風に突然聞かれても困るよね」


 分かってくれてる。


「聞いたくせに私もないしなあ……」


 萎れるみたいにまた俯き加減になっていくミオ。

 私、慌てて何か言わなくちゃと思って口を開いた。


「オ、オオカミ君の話は? あれから聞かないの?」

「え、うーん、そうだな、特には……」

「あ、じゃ、じゃあ別の何か、新しく聞いた噂とかは?」

「新しいの? そうだなあ、何かあったかなあ」

「うん、なんでもいいよ」


 ミオが上を向いて考え始めたので少しホッとした。


「んー……、あ、えーと、確か陸上部の子の話なんだけど……」

「うん、うんうん」


 そんなこんなで私たち再び歩き出して、二人で話しながら階段を降り、昇降口へ向かった。



 昇降口、下駄箱の前、話の続きをしながら上履きから靴に履き替える。私たちの動きに合わせて足元のスノコが音を立てた。


「うーん、やっぱり上手く話せないな、私下手くそだな」


 ミオはそう言うけれど、それでも道中ここまで色々話してくれた。


「ううん、いいよ、楽しいよ。それに私が無理やり聞いちゃったんだし」


 だから文句なんて一つもない。下手くそだとも思ってない。


 私、靴を履き終えて外を見た。

 薄暗い昇降口から見る景色は強い夏の日差しで真っ白に輝いて見える。


「うわー、暑そう」


 その時、入り口のガラス戸の向こうに見知った人が立っているのに気が付いた。

 スラリとした白衣の後ろ姿は保健室の帯包おびかね先生のものだ。

 彼女は一人で校庭を眺めているようで、表情は良く見えないが、なんとなくどことなくだけれど寂し気な感じがした。


「先生、何してるのかな……」


 だからなのか、気にはなったけれどちょっと話し掛け辛い雰囲気でもあって、私、ミオに小さく呟いた。


「ん、聞いてみよっか」

「え」


 言うが早いかミオは先生に話し掛けに行く。

 私は勝手に壁を作りがちだから彼女のこう言うところいつも驚かされるし感心してしまう。


「先生っ、何してるんですか?」


 慌ててミオの後を追って外に出る。

 眩しくて目を細めた私の耳に先生の声が届いた。


「ん? おう、浅香あさか望月もちづきか」


 私、軽く頭を下げる。

 先生が続けてミオの問いに答えた。


「んー、何って訳でもないが、ちょっとな。あー……、そうだ望月」

「え、はい」


 ミオではなく私が呼び掛けられたのがちょっと意外で、それに私を見る先生の眼差しが真剣なものに思えたので私は内心少しかしこまった。


「あー、あれだ、今年も暑いから気を付けろよ。熱中症とかな」

「え、あ、はい」


 でも先生が口にしたのはそんなありふれた注意喚起で、一瞬受けた印象との間に私は落差を感じてしまった。

 その時ミオが私と先生のそれぞれに聞かせるように言った。


「あ、そうだ、さっきの話、先生に聞いてみようよ。ねえ先生、私たち陸上部の幽霊の話してたんですけど」

「陸上部の幽霊?」

「はい、先生って確か昔陸上部だったって」

「ん、あ、ああ、良く覚えてるな」


 そうだったんだ、私は知らなかった。


「だからそう言う話、何か知らないですか?」

「ああ、なるほど、そうだな……」


 先生はそのあとまた校庭の方に視線をやって、さっきのようにどこか寂しそうな、風の中に何かを思い出しているような表情を浮かべて、それからしばらくして再び口を開いた。


「これは昔、私が学生で陸上部だった時に聞いた話なんだけどな」


 そう前置きをしてから先生が語り始めたのは、ミイラみたいに包帯でグルグル巻きの幽霊の話だった。

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