春 オオカミ君 7
その結果と言っていいのだろうか、何がどうしてこうなったのか、今、私とミオとオオカミ君は席に座って向かい合っている。
教室は薄暗いまま。誰かが来るとめんどくさいからと言う理由で電気はつけていない。外側の窓、それと廊下側の天窓から入って来る僅かな明かりが光源だ。もう差し込むほどの陽は無くて間接照明のような明るさだけれど十分お互いの顔は見える。オオカミ君の顔面だって良く見えた。
こうして見ると良くできている。少しごわついた質感の毛並み、しっかり立った耳、前に突き出た鼻筋とその先端の湿った感じの黒い鼻、微妙に開いた口から覗く白く鋭い牙とその奥のピンク色の大きな舌。それと獲物を見定めるような鋭い眼光。確かに誰もいないはずの薄暗い教室にその姿を見たらびっくりするビジュアルではある。
ただ如何せんそのボディだ。なんて言うかこう、一言で言ってしまえば、なよっちい。狼顔の勇ましさが嘘のように、顔面に栄養を吸い取られた出涸らしと言うか、猛々しく生え茂った草を抜いたら意外と根っこが小さかったと言うか、とにかくなんか、なんか納得いかない。今だって太ももの間に手を挟んでは申し訳なさそうにペコペコしている。お前は恐ろしいオオカミ君ではないのか。
「さくら、言いたいことは分かるけど、ね、もう少し優しく、ね」
私の気持ち、態度に出ていたようでミオにたしなめられた。
「とりあえず話聞かなきゃだから、ね」
「……うん、ごめん」
ミオの言う通りだ、少し反省。
「えーと、それでオオカミ君はなんでこんなことをしてるの?」
ミオの問いに彼は恐縮しきった様子で答える。
「あ、あの、すみません。こんな僕のことが噂になっているなんて思ってもなかったもので。本当にすみません」
「私たちに謝ってもしょうがないでしょ」
私、ついつい語気が荒くなる。
オオカミ君がさらに縮こまって俯いた。
「さくら」
「あ、ごめん」
なんか変だ。変にイライラしている。駄目だ、落ち着かなくちゃ。呼吸を整えよう。
私が軽く深呼吸を終えると、そこでオオカミ君が恐る恐ると言った感じで顔を上げた。
「す、すみません。ぼ、僕、練習していたんです。ここで」
か細い声にミオが聞き返す。
「練習?」
また怯えさせてはいけないと私は余計なことを言わないように黙っている。
「人と話す練習です。シミュレーションと言うか。恥ずかしいんですけど、僕、友達いないんです。新学期始まって今年こそはと思っていたんですが、上手く行かなく、クラスでも浮き始めてて。でも、このままじゃいけないと思って、少しでも変わらなきゃって、だから練習しなきゃと、それでなるべく実際の状況に近い方がいいと思い……」
「そっか、それで教室にいたんだね」
ミオがそう言って頷いた。
「はい、誰かに見られると恥ずかしいから、夕方の誰もいない時間を狙って、もし見つかっても僕だってばれないように家にあった被り物を持って来て」
「えと、実際に誰かに見つかったりした?」
ミオが確認するように尋ねる。
「実は少しだけ、すぐに逃げたんで僕だって言うことはばれていないと思うんですが……」
なるほど、これがオオカミ君の正体と言う訳か。
私はこの時、自分がとても期待に胸を膨らませていたことに改めて気が付いた。だってこんなにやり切れない。分かっている。あり得ないような不思議との遭遇、そんな期待を勝手に膨らませていたのは自分だ。決してオオカミ君が悪い訳じゃない。むしろ彼は友達を作ろうと頑張っていたのだから褒められたっておかしくない、まあ、やり方とか場所とか時間とか、そう言うのもうちょっと考えろよとは思うけれど……。でもとにかくそれでイライラするなんて私の自分勝手だろう。
私は自覚した自分の中のわだかまりを小さく溜息を吐いて吹き飛ばした。
ミオがそんな私を見て微笑む。なんだか心の内を見透かされているようだ。
「あのさ、狼の被り物は良くなかったんじゃない?」
オオカミ君に私は言った。
「え? 狼? これシベリアンハスキーじゃないんですか?」
その言葉に私は脱力した。
「いや、皆狼だと思ってるよそれ。それに狼でもハスキーでも被り物が問題なんだよ」
「そか、そうですよね。確かにびっくりしますよね。すみません」
「うん、まあ、気を付けてね……」
項垂れる私とクスクス笑うミオ。
こんな状況だ、せめて笑ってもらえて良かったよ。
ミオが「さてと」と言って手を叩いた。
「じゃあ、暗くなってきたしそろそろ帰ろうか」
「そうだね」
私は頷いた。
教室に入る光もいよいよ少なくなってきて、もうすぐ本当に夜が訪れる。
私とミオは席を立った。
「ほら、君も」
ミオが座ったままのオオカミ君に声をかける。
「あ、でも、僕はもう少し……」
オオカミ君はためらいがち。もう少し、と言うことは、まだ練習をしていたいのかも知れない。でもそんな彼にミオがあっさり言う。
「もう練習する必要ないでしょ」
「え?」
オオカミ君がキョトンとした顔を見せた気がした。被り物なのになぜか表情が分かるようだった。
それに、私、ミオが次に言おうとしてることも分かってしまった。
「私たちが友達になるよ。ね、いいでしょ、さくら」
こちらに向けられたミオの微笑み。同意を求められているんだと思うけれど、なんとなく有無を言わさぬ真っ直ぐな強さがある。
とは言え、もちろん否定なんてする気はない。だって今、私、ミオに友達になってと言われた時のこと思い出していたから。私だって彼女のおかげでこうしているのだから。
「うん、いいよ」
私は頷く。
オオカミ君、その大きな顔をしばらくこちらに向けて黙っていた。そのあとフイと俯いて、小さくだけど確かな声で「ありがとう」と言った。
私と、たぶんミオも、少し照れくさくなって「じゃあまたね」なんてそれぞれ別れの言葉を口にして教室を出ようと背を向け歩き始めた。
私、きっと笑ってる。今日ここに来るまでとはちょっと違うけれど顔が緩んでる。胸が結局なんだかいっぱいだ。でも悪い気分じゃない。
頭には狼顔の男の子と三人で過ごす教室のイメージが浮かんでいる。あれ、でも、ちょっとおかしいか。被り物はもういらないはずだ。そうだ、そう言えば顔と名前が分からない。
私、足を止め、教室を振り返った。
ねえ、名前。あと、顔見せてよ。
そんなこと言おうと思ってた。
「あれ?」
だけど振り返った教室にオオカミ君の姿はなかった。さっきまで座っていたはずの椅子も、机も、ただ静かに並んでいる。まるで彼と話していたことは夢だったかのように、そこに私たち以外の誰かがいた痕跡なんて見当たらない。陽が沈んで教室は真新しい夜色のシーツを被せたみたいに静寂に包まれていた。
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