春 オオカミ君 6

 校庭に面して並ぶ窓は夕色に輝いている、けれど目の前に伸びる廊下はやっぱり薄暗くて、静かに濃度を増していく闇に、間も無く訪れる夜の気配を感じる。


 校内を駆け抜けた私たちはついに最後の直線、教室前の廊下に辿り着いていた。

 荒い呼吸を整えながら思う。


 何も居ない。影もない。


 見渡した廊下には異常は見つけられなかった。


 なら、教室だ。


 その目的の教室まではまだ数クラスあるけれど、ここまで来たらもう目と鼻の先だった。

 誰も居ないはずの最終下校時刻過ぎの教室。逢魔が時の教室だ。

 一度深めに息を吸って吐いた。


「ふ」


 呼吸は落ち着いた、なのに心音が鳴りやまない。胸の中で弾む心臓がくすぐったい。


「ふへ」


 思わず声が漏れる。

 すると隣のミオが私を見て小さな声で言った。


「さくら楽しそう」


 楽しそう?


「そんなことないよ」


 彼女の顔を見て反論する。


「ふふ、目、キラッキラだよ」


 その言葉に私、大袈裟に眉を寄せて見せた。

 ミオは相変わらず可笑しなことを言う。

 私はただ噂になっているオオカミ君の真偽を確かめたいだけなのだ。楽しいとかそんな浮ついた気持ちとはちょっと違う。言うなれば、そう、探求心だ。真実を知りたいんだ。だから今の状況が楽しいとかではないのだ。その証拠に真実を前にした緊張感からか武者震いが起こっている。


「ふ」


 でもなぜか勝手に口角が上がってまた声が漏れる。武者震いの副作用だろうか。


 私はもう一度深呼吸をして口をギュッと一文字に結んだ。

 それに倣ってか同じように口を結ぶミオ。

 私たちは頷き合って足を踏み出した。なるべく音を立てないように忍び足で。


 一歩、一歩、なんだろう、進むたびに、硬い床とか、制服の衣擦れの音とか、緊張で感覚が鋭くなっているのかな、ドキドキして、時々目に入るどこかに反射した光とか、暗い天井とか、廊下にある影の濃淡とか、いつもと違う学校の空気感のせいかな、自分の息遣いとか、指先のほんの少しの動きとか、あと一緒に同じように息を潜めてこっそりしているミオの気配とか、なんか、なんか全てがもどかしい……!


「あ、ドア開いてる……」


 あと少しで目的の教室と言うところまで来た時ミオが呟いた。

 また胸の中がくすぐったくなっていた私、その声でちょっと緊張感が増したんだと思う、少し冷静になれた。


「本当、だ……」


 彼女の言うように教室のドアが半分ほど、ちょうど人一人分くらい開いていた。

 私たちは、万が一だけれど、中に居る存在に気付かれぬように、立ち止まって壁際に並んだ。


「私、先に見るよ」


 前にいる私、小さい声でミオに言って彼女が頷くのを確認してから、そっと教室の中を覗いた。

 そして、ドアの隙間から確かに見た。いきなり見た。暗い教室の中に。

 そのことを認識した瞬間、体中に緊張感が走って最終的に束になって心臓を締め付けた。

 すぐに体勢を戻し再び壁を背にして固まった私。

 ミオが心配そうな声で尋ねる。


「どうしたの?」

「どうしよう、何かいた」

「え!?」

「中に、何かいたよ」


 彼女に答えていて不思議な気持ちになっていた。緊張感、高揚感、罪悪感、知っている気持ちが混ざり合って知らない感覚を覚えていた。結果震える。


「どどどどうしよう」

「え、え、ここまで来たんだし行くしかないよ」


 声の様子から私ほどではないがミオも緊張しているのが分かる。

 私たち、少し見つめ合ったあと同時に頷いた。


 私は中腰で回り込んで隙間の向こう側へ行きドアに手を掛けて、ミオは私が居た位置でしゃがんでスタンバイ。


 最後にもう一度頷き合い、そして、呼吸を合わせて――。

 せーのっ……!

 一気にドアを引き立ち上がった。


 緊張して強張っていたせいだと思う、思った以上に力が入って凄い勢いでドアが開いて教室に大きな音が響く。


 残響と静止画。教室の後ろの入り口でおっかなびっくり仁王立ちで並ぶ私たち。視線の先、夕明かりの薄暗い教室の真ん中らへん、そこに確かにある私たちより驚いている様子のオオカミ君のシルエット。そんな静止画。


 一瞬あとその止まった時間を動かしたのは私ではなく、ミオでもなく、オオカミ君の悲鳴だった。


「うわあああああ……!」


 実に人間味溢れる悲鳴。アニメとかドラマとかで見る、建物中に響き渡るような立派な悲鳴ではない。強いて言うならこっそり書き溜めていた創作設定ノートを母親にでも見られてしまった、そんな時にあげる悲鳴。そんな感じ。


 ちなみに冷静に状況を見ることが出来たのは私たち以上にオオカミ君が慌てふためいていたからだ。


 うん、それはもう可哀そうなぐらいに。


 机にぶつかり転びそうになり、椅子に足を引っ掛けしゃがみ込み、そのまま隠れようとして頭を打ち、あっちに行ったりこっちに行ったり、ガタガタガタガタ。


 自分より焦っている人を見ると冷静になれるって言うのは本当かもしれない。


 そしてオオカミ君。確かに噂通りのシルエットだけれど、良く見ると頭、あれは被り物だ。普通に制服姿の男子が狼の被り物をしている。

 私、それに気が付いて正直落胆した。凄く。さっきまでの沸き立っていた熱のようなものが一気に冷めてしまった。


 ……もういいか。


 過った考えと冷めた感情が体を支配しようとした瞬間、隣にいるミオが言葉を発した。


「あのー」


 話しかけるの?


 単純に驚いた。


「オオカミ君って知ってますか?」


 しかもそれを聞くの?


「え? オ、オオカミ?」


 オオカミ君、普通に答えるの?


「たぶん、あなたのことだと思うんですけど、噂になってるのは知ってますか?」


 それも聞くの?


 ミオがどんどん踏み込んでいく。

 そんな彼女に私もだけど、オオカミ君もたじろいでいる。


「噂!? ど、どういうこと?」


 噂になってること知らないの?


 私、心で突っ込みつつも何も言うことが出来ず、唖然と二人の質疑応答を眺めていた。

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