春 オオカミ君 3

 そしてその翌日の朝。まんまとおびき出された私は教室の前で立っていた。

 誘き出されたと言っても、もちろんそれだけのために学校に来たわけではない。行かなくちゃとはいつも思っているし、心配してくれるミオにも悪いと思っているから。


 だけどそんな気持ちがあっても、ここに来ると憂鬱ゆううつで重たいドアが私の前に立ち塞がる。

 ドアの重さは私を下へ引っ張って、私はそれに抵抗するから、だんだんお腹が痛くなってくる。

 息を吸って吐く。深呼吸をしたつもりだったけれど思っていたよりも浅い。嫌な気持ちで胸が詰まっている。


 大丈夫、大丈夫。ミオが待ってる。それに彼女が昨日言っていた話だって本当に聞きたいんだ。


「よし」


 汗で冷たいてのひら、滑ったりしないで、ちゃんとドアを開けて。

 だけど緊張や不安をよそに、伸ばした私の手が触れる直前、勝手にドアが開いた。


「さくらおはよう!」


 爆発した。何が? 心臓が。

 その熱で体中の冷たい汗は蒸発し目の前が真っ白になる。濛々もうもうと上がる蒸気、それが薄っすら晴れると、向こうから心配そうなミオが顔を出した。私の方が背が高いので上目遣いで覗き込んでくる形。


「大丈夫?」


 そう聞かれて、私としても大丈夫だと言いたい。だけど口が動かない。声が出ない。今度は頭が真っ白だ。何か、何か、何か言わなくては。大丈夫を伝えなくては。このままだと朝からミオに引かれてしまう。


「お」

「お?」

「お、はよう」


 固い。なんて固い挨拶。絶対変だ。どうしてこうも上手くいかないのだろう。恥ずかしさが込み上げてくる。


「おはようさくら」


 でも見せてくれるのは笑顔。眩しい。そして優しい。本当に春の陽みたいな笑顔。

 なんでだろうか、挨拶しただけなのに、なんだか涙がにじんできた。


「むひひ、さてと、とりあえず席座ろう」


 ミオはご機嫌な様子で自分の席に向かう。

 私もここでいつまでも立っている訳にいかないので彼女に付いていく。私たち以外教室にはまだ誰も居なかった。


 先に席に着いたミオ、うるんだ瞳のせいもあるのだろうけれど、朝日で縁取られた彼女の髪がきらめいて見える。昨日もそう思っていたせいか思わず口にしてしまった。


「綺麗」

「ん? 髪? さくらの髪も綺麗だよ」


 一瞬固まった、そのあと。


「ひぇ……!」


 変な声が出た。

 思ったことを無意識に口にしていたことも、私の一言から察してくれたミオにも、それから受けたカウンターパンチも全部驚いた。


『あはは、私の髪はただ痛んでないだけだよ。染めたこともないし、インドア派で外出することも少ないからね』


 もちろんそんなことは言えない。声を出したあと私は引き続き固まったまま。

 何も言えなくても、せめて表情だけはと笑顔を意識してみたが、上手な笑い方なんて分からないし、ぎこちない笑顔になっていることは間違いない。

 とにかくなんとか席に納まった。


「長いの好きなの?」


 だけどミオは相変わらず全然気にしないで話してくれる。だから私も必死で答える。


「びよ、びょいんがっ……てで……」


 盛大に噛む。これにはミオも目を細めて少し考える様子を見せた。


「美容院が苦手?」


 精一杯首を縦に振る。正解を伝えたい。


『そうなんだー。私、美容師さんと上手く話し出来なくてさ。だから必要最小限しか行きたくないんだよね』


 と、頭の中の自分。


「分かるよ、私もそうだなあ」


 ミオって凄い。こんな頭の中の私としっかり会話してる。それにひきかえ私はなんだ。犬か。


「ごめん、話すの下手で……」

「え? そう? 気にならないけど」


 そう言ってくれるけれど分かっている。私は下手だ。微調整が出来ない。百かぜろ。いつからだろうか、人と接することが本当に苦手になってしまって。


「さてさて、じゃあ昨日の話しをしないとだね」

「あ……」


 また一人でウジウジしていた私。その言葉で昨日のことを思い出した。保健室でミオに誘き出すと言われたあのあとのこと。



 あのあと狼狽うろたえた私をなだめるみたいにしながら彼女は言った。


「まあまあ、ね、何が好きなの?」

「え、そ、そうだな……さ、桜餅さくらもちとか」


 咄嗟に出て来たのは好きな食べ物だった。幼稚園生か。


「桜餅って、あの葉っぱで巻いてるやつだよね」

「うん」

「ほーん、あ、でも食べ物はなあ、他には? 食べ物以外で」

「食べ物以外……、えーと……」


 ミオの向こうの屋上がまた目に入って何故か思い出すように思い付いた。


「学校の、七不思議とか……」

「七不思議ね、あー、なるほどね、ふむ、それなら」

「それなら?」

「私知ってるのあるよ」

「え? え!? 本当!?」

「お、凄い食いつき」

「あ、ごめん」


 やってしまったと思った。つい興奮してしまったのだ。


 私は七不思議とか学校の怪談とか、そう言う類のものが控えめに言っても大好きだった。出来ることならこの学校でそんな部活動が出来たらと、入学当初は思っていたくらいだ。だけど生憎それらしい部はなかった。それならと人を集めて部を創ろうとしたこともあったけど結果は全く駄目だった。部の仲間が集まらないどころか、少し痛い子、そんな奇異な目で見られるようになった。それから私は人前でこの手の話をしなくなった。諦めたのだ。自分が好きなものを人に伝えることを。


 それが今目の前にいるミオから飛び出して来た。理性で制するより先に反射的に飛びついてしまったのだった。


「ん、いいよいいよ。さくらいつも落ち着いてるからちょっと驚いただけ」

「ごめん」


 もう一度謝った。


「大丈夫、効果がありそうなことも実感できたし」

「効果?」


 なんとなく不穏なことを言われた。


「そう、さくら教えて欲しいでしょ」

「……うん」


 でも確かにそうなので頷くしかない。


「ふふ、教えてあげてもいいけど。それは今度」

「今度?」

「今度さくらが学校来たら教えてあげる」


 彼女の狙いが分かった気がした。

 なるほど、誘き出すとはそういうことか。


「……分かった、じゃあ、今度」


 正直、辛い。でも、効果はあると思うし、あって欲しい。だからそう返事をした。


「うん、待ってるよ」


 そう言ってミオは笑顔を浮かべた。



 それで今日だ。だから私、障害がなくなった今、思い出した今、期待が胸の中でうごめき出していた。


「ちょっと待っててね」

「う、うん」


 私が見つめる前でミオが机の中を探って何かを取り出した。


「じゃーん」


 そう言って彼女が見せてくれたのはぬいぐるみストラップだった。


「これは……」


 なんかちょっと予想外のものが出て来て少し困った。


「桜餅子さん」


 桜餅子さん、簡単に言えば気持ち悪い。まず桜餅から人間の体が生えている。顔は女性の顔で、睫毛まつげが長く唇が厚い。そしてなんと言うか中年くらいの年齢を感じさせる物憂げな表情をしている。


「昨日桜餅好きだって言ってたし、桜餅と言えばこれだと思って。知ってる?」

「ごめん知らない」


 すんなり答えられた。心当たりすらなかったから。


「あれ、おかしいな、私の周りだとちょっとしたブームだったのに」

「ほんとに?」

「うん。ちょっとした局所的な静かなブームって言うか……」

「それって、ブームって言わないんじゃ」

「……まあ」


 ミオはうつむいてしばらく桜餅子さんをいじったあと顔を上げて言った。


「とりあえずこれは副賞ね。はい、あげる」

「え、いらな……」


 言い切る前に押し付けられた。拒否はできないようだった。


「それで本題だけど」

「本題?」


 手の中の桜餅子さんを見ていたら同じような表情になってしまった私、ミオの言葉で顔を上げた。


「七不思議の話」


 ガタリ。

 音を立ててしまった。七不思議と言う言葉にまた体が反応してしまったのだ。


「あ、ごめ……」

「大丈夫。私だって桜餅子さんが歩いてたら体当たりしちゃうもん」

「うん?」


 それは、どうなのだろうか。


「えっとね、オオカミ君って言うんだけど、知ってる?」

尾上おがみ君?」


 つい昨日久しぶりに聞いた名前。


「尾上? ううん、オオカミ君」

「あ、狼」


 空耳だった。


「うん、狼君。私もね、聞いた話なんだけど、最近、見た子がいるんだって。だからこの話は信憑性が高いと思う」


 顔を近付けて声を潜めてミオが言う。雰囲気が出て来た。


「本当に?」


 私も釣られて声を潜める。だけど胸の中では期待が好奇心とワクワクを引き連れてさっき以上に蠢いていた。


「うん、しかも見たのはこの教室なんだって」

「え!?」


 席を立ってしまった。椅子が音を立てた。私の中の蠢いていた者たちが興奮に変わって体を動かしたのだ。

 視界に映るのはミオの驚いた顔。でも謝ることも忘れてしまっていた。


「本当!? え? ここで? なんで? どういうこと?」

「さくら落ち着いて」


 ミオの言葉で私はやっと自分が立ち上がってしまったことを自覚して席に着いた。

 それでも簡単に興奮が収まることはなかった。鼓動が早くなっている。血が勢い良く巡っている。鼻息も荒い。


 私はミオに話の続きをせがみ、彼女が話すそれに聞き入った。

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