春 オオカミ君 2

「さくら元気? お見舞いに来たよ」

「……お、おみ?」


 驚いた拍子に起きかかっていた私、中途半端な体勢のまま返事すらままならない。


「あれ、びっくりし過ぎちゃった感じかな?」


 その問いにはなんとか頷いて返事をした。ぎこちなかっただろうけれど。


「ごめんごめん」


 ミオは笑いながらベッドの横に椅子を持って来て座り、ちょっと制服を直して私の顔を見た。


「で、大丈夫?」

「え、あ、うん、その……」


 体を起こし彼女の方を向く。悪い癖なのだけれど、それだけなのに頭の中であれこれと余計な考えがよぎってしまう。


 もしも今、どうしたのかと聞かれたらなんて説明したらいいんだろう。教室の前まで行ったけれどお腹が痛くなったと、そのままを言えばいいのだろうか、でもそれで会うのが嫌だったからとか、昨日の今日に限っておかしいんじゃないかとか、そう思われたりしたら、それに、どう答えるのだとしても……、ううん、違うな、本当は、答えたくないんだ、ミオに、できたばかりの友達に、教室に入るのが怖くなってお腹が痛くなったなんて、知られたくないし、言いたくない。じゃあ、なんて言ったらいいんだろう……。


 気持ちが滅入っているせいかネガティブな考えが次々に出てきて、結果、どう誤魔化そうかを考え始めてしまう。


「だ、大丈夫……」


 でもとりあえず黙っている訳にもいかないのでおずおずと答え次の質問に身構えた。


「そか、良かった」


 なのにミオはあっさりそう言って笑ってそれっきりだった。少し待ってみてもそれ以上何も言わない。


「え、あの……」


 勝手に想定していたリズムが狂って心がつんのめって声が出てしまった。


「ん?」


 それでもミオは特に変わらず真っ直ぐこちらを見ているだけ。大きくて黒目がちな瞳で私を見ているだけ。

 変に焦る私、咄嗟に質問を考えて取り繕うように声を出した。


「じゅ、授業は? 今、授業中なんじゃ」


 もちろん深く考えた質問なんかじゃない、けれど口に出してみて確かにそうだと思った。校庭からは体育の授業の音が聞こえてきているし今は授業中のはずだ。


「抜け出してきちゃった」

「え?」

「さくらが心配だったし」


 彼女、凄いことを言ってる。


「だ、大丈夫なの?」


 なのに。


「んー、たまにはいいんじゃない?」


 そう言ってまた笑う。それだけ。


 そんな彼女の笑顔を前に、私はなんだか力が抜けてしまった。と言うかそれまで変に力が入っていたのが元に戻ったようだった。冬の寒さが春の陽だまりに変わったみたいだった。


 それに、不思議だけど、さっきからミオには嫌な印象が少しも無くて、私を責めるようなニュアンスや馬鹿にする雰囲気みたいなものがちょっとも感じられなかった。

 だからもしかしたら、こんな状況なのに私、安心したのかもしれない。


「あ……」


 ありがとう。自然とそう口から言葉がこぼれそうになる。だけどほとんど同時にミオが口を開いたから言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。


「あ、ねえ、窓開けていい? 外暖かくて気持ち良かったから」


 私は開けた口のまま、ああとも、うんとも、なんとも言えない返事をして、それを聞いたからか、それとも返事なんて関係無くて初めからそうするつもりだったのか、ミオはすぐに席を立って窓を開けに行く。私は言葉を飲み込んだまま、ただ呆然とそんな彼女の行動を目で追うことしかできない。


 開けた窓から柔らかい風が吹き込んだ。

 窓辺の光の中で金色の糸を解いたみたいにミオの髪が輝き揺れる。


「ちょっと眩しいかな」


 綺麗だななんて、引き続きぼうっと彼女を見ていた私、急に問いかけられて少し焦った。


「え、あ、うん、そ、そうだね」

「ふふ、カーテン閉めるね」


 私の焦りを見透かしたみたいに微笑んだ彼女がレースのカーテンを閉めた。

 そのほんの直後。こちらにミオが体半分振り向いたくらいの時だ。


 突然、閉めたばかりのカーテンに何かが外側から勢いよく当たり、カーテンが揺さぶられてレールがガチャンと音を立てた。

 短く悲鳴を上げるミオ。

 もちろんその瞬間を見ていた私も驚いた。

 カーテンに当たった物は間も無く床の上に落ちて弾んだ。拳大のそれはボールのように見えた。


「ソフトボール?」

「びっくりしたー……」


 すぐに外から「やばい」とか「嘘」とかざわついているのが聞こえてきた。合わせて誰かが走って保健室に近付いてくる気配もする。ミオがボールを拾ってカーテンを開けるとその誰かがもう窓のそばまで来ていた。


「あの、すみません、ボールが飛んでちゃって、大丈夫ですか?」


 不意に聞き覚えのある声、窓の向こうに現れた人物に私は見覚えがあった。


「あ」


 声が漏れる。


「え?」


 私の声に反応して振り向いたミオと、釣られるようにしてこちらを見る窓の向こうの女の子。私を見つけた時、彼女も小さく声を漏らしたのが分かった。

 それから彼女が口にしたのは懐かしい私の呼び名。


「さくちゃん……」

「あ、あやちゃん。ひ、久しぶり……」


 反射的に返事をしたけれど到底状況に合わない挨拶しか出てこなかった。


「あ、大丈夫? ここ、保健室だよね?」

「う、うん、なんかちょっと体調悪くなっちゃって休んでるんだよね」

「そか……、あ、あのさ……」


 あやちゃんが何かを言いかけた時、外から彼女を呼ぶ声が聞こえた。


「あ、ごめん、行かなくちゃ……」


 そう言って彼女はミオからボールを受け取って、私にはそう見えたのだけれど、なんだかためらいがちに振り向いて、また走って校庭に戻って行った。


「えと、知り合い?」


 あやちゃんが去ったあとミオが私に聞く。


「うん、小学校の時の、と、友達、かな」


 明石彩花あかしあやか。小学校の時に仲が良かった同級生。と言っても中学に上がってからは疎遠になってほとんど話すこともなくなっていたけれど。今の一瞬が本当に久しぶりの会話。だからもう友達と言っていいのか本当は自信がない。


「ふーん。ね、じゃあ、今度紹介してよ」

「え、紹介?」


 それなのにミオがそんなことを言う。


「うん、だってさくらの友達なら、絶対いい子だし、私も仲良くなりたいなって思うじゃん」


 でもそんな風に言われると断ることができなくて困る。


「え、あ、うん、じゃあ、こ、今度」


 正直に言えばそんな機会を作れるかは分からないけれど。約束だけなら、嘘を吐いたことにはならないだろうし、してもいいんじゃないかと思った。本当に今度の保証はできないけれど。


「やった」

「い、いつできるか分からないよ」


 少し罪悪感を覚えた。


「いいよ」


 でもやっぱりミオは微笑むだけ。

 だから暖かい風に吹かれるみたいにして罪悪感も薄れていく。


 そしてまた彼女は振り向いて窓の外を見る。体育の授業風景、今度はその中のあやちゃんの姿でも見ているのだろうか。


「窓割れなくて良かったねー」


 外を眺めながら何気ない感じで言う彼女に私も今度は自然に「うん」と頷いて窓の向こうの風景に目をやることができた。なんて言うか、今のこんな自然な感じは彼女のおかげだと思う。


 ミオと同じように外を見たのだけれど、ベッドの上からだと校庭の様子は良く見えなかった。私の目に映ったのは校庭の向こうの校舎の屋上。


 一瞬不思議な既視感に襲われる。


 あれ? 前にもこんなことなかったっけ……。


 夢で見たような、そんな感覚。


「あ、ねねね、さくらって何が好きなの?」

「え?」

「ん? どしたの?」

「え、あ、ううん、なんでもない」


 ミオの声で私のかすみみたいな考えは散っていった。


「えと、ごめん、なんだっけ?」

「さくらって何が好きなのかなって」

「え、なんで?」

「んー、単純に知りたいって言うのもあるんだけど、それを餌にさくらをおびき出そうかと思って」


 また変なことを言う彼女、私はまだどうしても慣れていなくて、結局ちょっと狼狽うろたえてしまう。


「お、誘き出すって、ど、どう言うこと?」

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