春 オオカミ君 1
最終下校時刻を過ぎるとそれまでよりも一段と校内が薄暗く静かになる気がする。部活動の音や残っていた生徒たちのざわめきが無くなる訳だし、太陽も着々と沈むのだから当たり前なのだけれど、私の場合そこには心理的な影響も多分に含まれている。
とは言え不思議な出来事に出会えたことなんて実際は今まで一度だってなかった。 なかったのに、なのに、それが突然、今日、今――。
「待って、速いよ、さくら……!」
「でも……!」
響いているのは私とミオの急ぐ足音、それと荒い息遣い。
職員棟から渡り廊下を経て本校舎、西日が斜めに差し込むその階段を登っている。目的地は昼間普通に授業を受けていた自分のクラスの教室。
「さくらぁ……!」
「あ……、ごめん……」
さっきより離れたミオの声で自分が夢中になり過ぎていたことに気が付いた。
途端に自責の念が大きくなって、踊り場の鏡に映るちょっと楽しそうな表情を浮かべている自分に嫌気が差す。
追いついた彼女に申し訳ない気持ちで言う。
「ご、ごめん、私……」
でも彼女は笑って。
「あはは、大丈夫、そんな顔しないで、さくらが楽しい方が私も楽しいよ。ただちょっと見失っちゃいそうだったから」
そう言ってくれる。
それがたぶん嬉しくて、なんだかむず
「本当に見たの?」
「あ……」
情けない自分をよそに、しぼみかけていた気持ちがグンと膨らむ。
「う、うん。見た。絶対。あれは……」
そうだ、私は見た。見たんだ。この逢魔が時に、見上げた本校舎の廊下にそのシルエットを。
「あれは絶対にオオカミ君だった」
オオカミ君、私たちはその存在を追って今こうしていた。
正直に言えばこんな急展開、私自身びっくりしている。だってそう、ほんの数日前だ私がその話を聞いたのは。あれは教室で、あ、でも、きっかけから言えばその前の日、保健室にいる時だったと思うけれど。
食堂でミオから突然の友達申請。その翌日、私は朝から保健室で横になっていた。
そんな私のことを隣で見てくれている保健の女先生が言う。
「まあ、精神的なものかな、少し寝ていれば良くなる」
「すみません」
登校して教室のドアの前までは行ったのだ、だけどそこでお腹が痛くなって……。
精神的なもの、たぶん緊張していたせいなのだと思うけれど、教室に入るのが怖くなってしまった。休みがちな私の発作的な現象。
「はあ」
心の溜息が今度は声になって漏れてしまった。
そんな私に先生。
「大丈夫。学校に来ただけ偉いじゃないか。ご褒美に今日は気が済むまで寝てていいからな」
そう優しく言ってくれる。でも。
「それってどうなんですか」
学校に来ても寝てるだけじゃ駄目なんじゃ……、それに本当はこうして寝ていたい訳じゃないし……、そんな私の抗議混じりの小さな声に、あはは、と笑う先生。
「しかしこうしているとあいつを思い出すな」
急にそんなことを言った。
「あいつ?」
「ほら、いたじゃないか、良く
そう言われると確かに一人思い出す。
「……
「そうそう、尾上。あいつも今、転校先の保健室で寝てたりしてな」
尾上君。友達とまでは言えないけれど、去年少しだけ話す機会があった同級生。先生の言う通り彼も良く保健室にお世話になっていたので、別に良いことでもないけれど、私とは保健室仲間でもあった。確かに先生と三人で話をする機会もあったし、先生からすれば友達だと思っていたのかもしれない。だから私との共通の話題として彼のことを言ったのだろう。だけど。どちらにしろ。
「先生、それもどうなんですか」
「まあ、確かに、元気な方がいいか」
また明るく笑う先生。
それから二言三言話したあと「じゃあ、本当に寝てていいからな。無理はするなよ」そう言って先生は外で仕事があると出て行った。
一人になった私。
保健室は静かで窓から入る穏やかな午前の陽が暖かい。まだギリギリ朝日と言ってもいいかも知れない時間だけれど、校庭ではもうどこかのクラスの体育の授業が始まっている。
聞こえてくる音に否応なく思ってしまうのは自分の情けなさ。暖かい日差しも元気な声もどこか痛い。
「寝よう」
寝返りを打って校庭の方に背を向ける。そして布団も被ってしまおうとした時ふと思う。
友達。そう言えばミオはどうしているだろうか。
昨日突然できた、だけど確かに友達だと言ってくれた同級生。もしかしたら私が来るのを待っていてくれたりしたのだろうか。そうだとしたら心配させてしまっているかもしれない。せめて一言挨拶だけでもできれば良かった。
そんなことをぼんやり頭に思い浮かべていると、目の前でベッドの下から飛び出すように誰かが立ち上がった。そして口で効果音。
「じゃん!」
「……っ!」
驚き過ぎて声が出なかった。シンプルに心臓に悪い。
なぜか突然ミオが保健室に現れたのだった。
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