春 4

 伝説を語り始めるみたいに彼女は言う。


「あれはね、嵐の日」

「嵐の日?」


 その口調に緊張感が膨らんだ。

 ところが真剣な表情はまたパタリと裏返したように変わる。


「ごめん嘘。言ってみたかっただけ。本当は始業式」


 穴が開いて空気を漏らしながら飛んでいく緊張感。最後はしわくちゃ。

 どうして嘘を吐くのか。一体なんなのだろうか。いちいち振り回されてしまう私の気にもなって欲しい。


「ごめんごめん、今度は本当です。始業式です」


 抗議の気持ちは表情になって表に出ていたみたいだった。

 気を取り直して問い直す。


「始業式……?」


 始業式と言えばつい数週間ほど前のことだ。あの時は確か……。


「そう、さくら、あの時倒れたでしょ」


 そうだ、彼女の言う通り私は始業式で貧血を起こして倒れた。覚えているのは、とにかく最悪だった気持ちと、朦朧もうろうとした意識の中で感じた嘲笑ちょうしょう混じりの周りのざわめき。恥ずかしくて辛くて、なかなか寝付けなかった昨日の自分を呪って、学校に来たことを単純に後悔した。


 いわく、彼女はその一部始終を見ていたのだそうだ。丁寧に身振り手振りを交えて私が倒れるまでの子細を語ってくれた。


「こう、フラフラーってその揺れが大きくなって、あ、いよいよだなって思ってたら、さくら、急にガクンって倒れたの」


 大人しく彼女の話を聞いていたのだけれど正直面白くなかった。当たり前だ。私にとっては早く忘れたいことだし、できれば思い出したくもないことなのだから。


 本当はこんな風に思いたい訳ではないのに、私の中で彼女に対する嫌な気持ちが少しずつ大きくなっていくのを感じる。

 見ていたからなんだと言うのか。改めて笑いものにでもしたいのか。そうやって惨めな私をからかいたいのか。

 けれどそんな私の暗い気持ちなどお構いなしに彼女は立ち止まることなく、続けて明るく言った。


「それを見届けたあと私も貧血で倒れたんだ。うん、満足感はあったよね。こう最後まで見たぞって言う」


 見るからに彼女からは清々しい達成感が溢れ出していた。例えば富士山を登り切った人にも負けないくらいの感じの。やってやったよ! 顔にそう書いてあった。

 一方私は、そんな彼女を前にどう自分の気持ちを持っていったらいいのか分からなくなってしまって、抱いたばかりの嫌な気持ちも解けてモジャモジャの毛玉になり富士山の斜面を転がって行ってしまって、結局困って何も反応できず固まってしまった。


 相変わらずお構いなしに続きを話す彼女によれば、倒れたあと保健室で目覚めた彼女は隣に私がいることに気が付いたらしい。私はまだ寝ていて、彼女が先に目覚めたのだ。


「その時、寝ているさくらを見て思ったんだ。私が守ってあげなくちゃって」


 彼女がそれで終わりと言った感じで言い切って笑ったので、固まっていた私も思わず尋ねた。


「……それで?」

「そのあとすぐ先生が来て、私は教室に戻りました。以上です」


 ご清聴ありがとうございましたの彼女の笑顔と再びの沈黙。だけど今回はさっきの沈黙とは違い気まずさを感じる間ではなくて、どちらかと言えば間抜けな印象の間。そして少しあと結局今回も先に口を開いたのは私だった。


「覚えてる訳ないじゃん私!」


 大きい声が出てしまった。でもこの場合は音量調節は成功しているのかも。


「ひー、ごめん。だってさくら、なかなか学校来ないから」


 そう言われると言い返せない。確かに私は、始業式でのこともあって、あれ以来学校に来ていなかった。


「だからね、あの日のことも、それに言いたいことも言えてなくて」


 今度は彼女がおずおずとした態度になっていた。


「い、言いたいこと?」


 それでも彼女は私がそう聞き返すと姿勢を正し私と目を合わせた。私がちゃんと耳を傾けていることを確認したのか、少し黙ったあと意を決したように口を開く。


「さくら、私と友達になって!」


 真っ直ぐな言葉は私に確かな衝撃を与えた。


「と、友……!」


 友達? え、あれ、友達って、え、友達ってどうやってなるんだっけ。

 今日はもう完全に容量オーバーで、何もかも分からないだらけで、頭の中では疑問符が走り回ってて、どうしたらいいかやっぱり分からなかったけれど、とりあえず友達と言う言葉をぶつけられた私の顔は本日二度目の赤色に染まった。


「だめ?」


 彼女が小首を傾げた。子狐が不安げに潤んだ瞳で見つめてくる。そのしぐさと表情を前に否定する術なんか持っていない私。


「だ、駄目じゃ、ない」


 気付けばそう言っていた。


「えへへ、やった」


 桜色に薄く頬を染めて笑う彼女。

 可愛い。

 素直にそう思ってしまった。


 私は真っ赤になって固まったまま上手く笑えない。顔が熱いだけ。

 絶対可愛くない。

 そんな風に咄嗟に自虐的じぎゃくてきなことを考えたのは慣れた思考で落ち着こうとしたのかもしれない。


 そのあとは私だけじゃなくて彼女も黙ってしまって、どこか神妙な顔で再び蕎麦をすすり始めた。まだ残っている頬の桜色が彼女も照れていることを教えてくれていた。


 とりあえず私も彼女にならってアジフライを食べ始める。

 食べてみたら案外美味しかった、でもやっぱり箸の進みはいまいちだった。胃袋ではないのだけれどなんだか胸がいっぱいでなかなか食が進まなかったのだ。


 食堂は相変わらず騒がしいみたい。だけど結局また私にはほとんど聞こえていない。防音壁は取り除かれたけれど、今度は、別世界のモクモクの暖かい雲の中にでもいるようで。

 その中で黙々とアジフライを口に運ぶ私。前の席には中学校で初めてできた友達。

 こうしてモクモクと黙々と私とミオの二人の学校生活が始まった。

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