第37話「そして元締めを捉えた」

 ――憶えていろよ、か。


 深夜の街に愛車を走らせながら、ベクターフィールドは思わず笑ってしまう。果たしてクリスにいうべき言葉であったかどうか。それを考えれば、他に浮かべられる表情がない。


 クリスが語った通り、ベクターフィールドの自殺とはクリスの前に自分から出向き、殺される事だった。


 ――自殺は魂を捨てるって選択だ。


 故にベクターフィールドは、次に人間として生まれてくる権利を持っていない。


 ならばベクターフィールドが契約の代価として魂を持っていくのは、自身が次も人間に生まれたいからかといえば、それも違う。


 ベクターフィールドが魂を求めているのは、自分用ではなく……、


 ――ひかる姉ちゃん……。


 ベクターフィールドを逃がすため、その場に残った幼なじみ用だ。


 逃げずに残った彼女も自殺。



 彼女のがどこにあるのかを求めている。



 だが簡単ではない。


 亜紀が関わる一連の薬物事件が始まった時、売買を担当していた悪魔の言葉を思い出すと、ベクターフィールドには自嘲しかない。


 ――魂だったら、一つなんてセコい事、言わねェ。百でも二百でも……。


 それを拒否したベクターフィールドも、似たような集め方をしているのだから。


 ――持ってる訳ねェよ。そういう集め方しかできねェんだから。


 哀の感情を失って以降、ベクターフィールドは喜怒楽が激しくなっている。故に、ちょっとした事で苛立ってしまう。


 ベクターフィールドのように魂を集める悪魔もいるが、それでも極々、少数だ。人に生まれてくる事に価値を見出さない悪魔も増えている。


 ならば放置された魂も増えているはずだが、偶々、道ばたに漂っている魂などレアな存在。


 もしかしたら誰かに宿っているのかも知れない、とベクターフィールド始めたのが魂を代価とする契約であるが、思えば魂を代価に何かを得ようとする人間に、自分の求める魂が宿っているなど怪しいもの。


 ――いや、だから今回は……?


 ふとベクターフィールドが目を遣る方向には、八頭のマンションがあった。


 亜紀の魂がそうではないかと思った事もある。亜紀の願いは、少なくとも薄汚い野望ではないのだから。


 そして今、もう一つの可能性が出てきた。


 自分と輝を殺害したクリスと手を結んでいる呪術師の存在である。


 ――あいつなら、持ってる可能性があるか?


 0ではないかも知れないが、100%の可能性もないだろう。


「チッ」


 苛立ちが舌打ちとなって現れたベクターフィールドは愛車を停め、ドリンクホルダーに置かれたまま冷めていたコーヒーに口を付けた。


 美味いとも不味いとも感じる間もなく助手席の窓を叩く音が聞こえ――、


「ああ、悪かったぜ」


 ベクターフィールドはパワーウィンドウを操作し、窓を叩いた男に顔を寄せた。車内で話をするような仲でないのは、その男とベクターフィールドの素性が関係している。



 どちらも悪魔だ。



 ――悪魔なんて、ホトホト頭に来る連中ばっかだろ。時間にルーズ、平気で嘘を吐く。いい加減な仕事をされるより、自分で出向いた方がマシだ。


 そう明言しているベクターフィールドであるから、悪魔同士、顔を合わせる機会は極端に少ない。信用できるビジネスパートナーなど皆無であるから、今、眼前にいる悪魔は希有けうといえる。


 希有な悪魔からの言葉は短い。


「掴めた」


 そして手渡してくるプリント用紙に、ベクターフィールドの知りたい事は全て記している。受け取り、ベクターフィールドは白い歯を見せた。


「流石だぜ」


 互いに法律で保障されているという通信の秘密・・・・・など信用していない。スマートフォンやタブレットを使った遣り取りは、どこで露見するかわかったものではなく、悪魔にとって尚のこと不完全だ。結果、メモ書きを自身の足で運ぶ事が最も強固なセキュリティとなる。


 そこに書かれた呪術師の所在は、


「……あの駅前にあるホテルか? あのロイヤルスイートにいる?」


 ベクターフィールドが視線を向けた男が頷く。


土師はじ律子のりこと名乗っているが、偽名だろう。色んな所に部屋を取り、点々としてる。その全てで違う名前だ」


 全て載せてあるという男に対し、ベクターフィールドは「助かる」と頷く。


 ――急ぐか。逃げられる可能性もあるぜ。


 直接、呪術師に手出しはできないにしても、冥府は常にマークしている。そんな呪術師にはマークを外す術、また身を隠す術は必須だ。


 そこに手を出す事は、同じく冥府に睨まれる存在であるベクターフィールドとってハチの巣をつつくような行為であり、だからこそ、また冗談が口を突いて出る。


「どれが本名ほんみょうだ?」


「必要なら自分で調べろ」


 男は冗談につきあってくれた訳ではない。何より警察ならば個人の特定は不可欠であるが、ベクターフィールドにとって個人の特定とは、認識できる程度で十分のはず。


「いいや」


 ベクターフィールドはククッと喉を鳴らして薄笑いを浮かべたが、その笑みを苦笑いに変えた。


「すまない」


 悪魔の素性を失念していた。



らくがないんだったな」



 喜怒哀楽の内、楽がない――この悪魔もまたベクターフィールドと同様に、魔王・・の称号を持つ者である。先程から無表情、無感動という印象を懐かせる話し方や素振りを見せているのは、そのためだ。


 もう一人の魔王は徹頭徹尾、真面目にいう。


「どのホテルも、要塞化されている訳じゃない。そういう事態には慣れてないし、そういう金の使い方もできない相手だな」


 嘲る時でも、この魔王に嘲笑はなかった。ベクターフィールドは別だが。


「金は持ってるだろうにな」


 魔王が記した一文に、ベクターフィールドはどうしようもなく笑ってしまう。。



 ――悪魔の体液を凝固させたドラッグを大規模に流通させた大元。



 ベクターフィールドと亜紀が結んだ契約は、「亜紀が死ぬまで有効」であるにも関わらず、亜紀を生き返らせるという矛盾した行動をとった理由が、これだ。


 亜紀は、この薬物事件・・・・には、ベクターフィールドの助力が必要だと判断している。


 そして契約は「亜紀が必要だと思った事件に関して、全ての能力を使って協力する事」。



 ベクターフィールドは、薬物事件の元締めを追い詰めるまで亜紀に協力する義務がある。



 ベクターフィールドの横顔に、魔王はふんと鼻を鳴らす。


「……面倒な事だ」


 思考を読んだかのようにいった魔王へ、うベクターフィールドは真顔を向ける。


「仕事は命懸けでするものだぜ」


 これだけは譲らない。その思考故に苦しんだ。悪魔ですら涙を浮かべてしまう事態になり続け、その涙がベクターフィールドを魔王にしたのだ。


 譲れない思考であり、それは、もう一人の魔王も同様。


「そこは、同感だ」


「ありがとうな」


 もう一度、礼をいい、ベクターフィールドは愛車を走らせた。

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