第30話「スペクタクルシーンへ」

 八頭とすれ違った白いクーペの助手席で、亜紀は目を白黒させている。


「何がどうなってるの?」


 亜紀にとって、呪術師が霊を操って人を狙うなどという事態は初めて経験する事だ。職務外の事件に首を突っ込みたがる悪癖を持つ亜紀だが、これは警察の仕事ですらない。


 非現実的な事を一から説明する時間はなく、ベクターフィールドも亜紀に関わる一点のみいう。


「自殺した高校生だ」


 ベクターフィールドが語るのは、非正規の女死神に敗れた夜に起きた飛び降り自殺。


 ――あれはケチがついたな。


 自殺現場に出会でくわしてしまった夜、その意識と魂は呪術師が持っていったのにも関わらず、冥府はベクターフィールドの仕業と断定し、非正規の死神に動員をかけた。結果、剣をへし折られ、自らもあわやという目に遭ったのは、ベクターフィールドにとっては屈辱というべきだろうか。


 幸か不幸か、亜紀との契約を結ぶ事になったという契機であり、それがベクターフィールドにとっても職務外のアクターフォローまでした理由だろうか。


「俺みたいな悪魔がいるんだ。亡霊だ幽霊だってのがいるのは、理解できるな?」


 自殺した高校生の霊といわれれば、亜紀が結びつけられるのは一人だけ。


「あの子の霊が、明津あくつ一郎いちろうに復讐するって?」


 ただ亜紀も、必死に頭を回転させて状況把握に努めるも、霊になった被害者が復讐に来るなど、どう考えてもファンタジーだ。亜紀が好きだったドラマでも、そこまで現実離れしていない。


 しかしベクターフィールドは「そうだ」と頷く。ベクターフィールドの言葉に忌々しさが残るのは、そんな亜紀の態度からだろうか。


「よくある話だってイメージできるないか? その通りの事が起きるんだぜ。自殺する程、追い込まれた霊が復讐に来る。そのおぜんてをした奴がいる」


 ドラマで見た覚えがないなら、フェイクドキュメンタリーでもアニメでも思い出せ、とベクターフィールドはいう。


「ただ、この世ってのは、そういう霊だの悪魔だのが人間に手出ししちゃいけねェようにできてるんだ。こういう時、霊を狩りに死神が来る」


「でも……え……?」


 アニメといわれても、亜紀にはファンタジーは馴染みが薄かった。


 だから理解できたのは2点。


「被害者の霊が、拘置支所に収監されている明津一郎を殺しに来る。その明津一郎を守るため、死神が来る」


「そうだ。自殺者は魂を……次も人間に生まれ変わる資格を持ってない。死神に斬られたら、次の転生は酷いものになるぜ」


 これはベクターフィールドが身をもって体験している事だ。


 ――俺の場合は悪魔に拾われ地獄行きだったぜ。悪魔になるか、気が狂って、よく分からない存在になるかのどっちかだったが。


 そこまではいわない。


「死神に斬られなくても、明津一郎を取り殺したら、そこからずっと呪術師の手駒・・だぜ。この復讐は、いくらか同情するトコもあるけど、次は同情の余地なんぞない亡霊になっちまう」


「……」


 未だ理解が及んでいない亜紀だが、酷い事態になるという空気だけは読めた。


「どうすれば……?」


 混乱する頭を必死に整理する亜紀。


「警察官として、収監中の被告人を殺される訳にはいかねェんだろ?」


「それはそうだけど……」


 亜紀も公務員として、日本国憲法を遵守じゅんしゅし、法令、職務上の命令に従い、不偏不党ふへんふとうに職務を遂行する事を宣誓せんせいしている。それに寄るならば、刑事被告人は刑法によって裁かれなければならない。個人的な復讐などもってのほかだ。


 しかし亜紀は被害者の無念を痛い程、知っている。


 逡巡は仕方がないが、ベクターフィールドも亜紀に代わって判断は出来ない。


「霊の前までは連れて行ってやるぜ。どうするかは自分で決めろ」


 ベクターフィールドの言葉は短いが、腹の中では亜紀が出す結論を読んでいる。


 ――明津一郎も守り、霊も守る。まぁ、そんなとこだろうぜ。


 明津一郎は刑に服させるし、霊は死神の手で狩られるような結末を避けさせる――これが亜紀が出す結論だ。


「どうやって? 大丈夫なの?」


 亜紀も自分が出した結論は、直接、いわなかった。それよりも、ベクターフィールドがどうやって自分を明津一郎と霊の前に連れて行くのか、その方法が重要である。


「拘置支所は、警察の管轄じゃない。法務省の管轄よ。私は昼間でも入れない。何か、そういう手があるの? それに慌てた様子なのは、他にも障害があるからでしょう?」


「ああ、ある」


 ベクターフィールドが忌々いまいましいと口元を歪める理由は、先程から視界にチラチラと入ってくるものの存在だ。


「こういう所に呪術師が来る時は、大量に死人が出るってんで、悪魔がやたらと集まるんだよ。それを狩るため死神も来る」


 戦争とまでは言わないが、それこそケンカでは済まない、抗争とでもいうべきものが起きる。


「正規職の死神なら俺が斬り捨ててでも道を作ってやる。けど問題は、非正規・・の死神だ」


「非正規? 死神に正規、非正規があるの?」


「こういう時だけ呼び出される人間がいるんだよ」



 人間――その一言が亜紀に眉をひそめさせた。



 単純に考えれば、人間がこういう時だけ死神をやらされるというのならば、その力は正規の死神よりも弱い。


 しかしベクターフィールドはいう。


「俺と初めて会った時の路地裏な。あそこで俺を半殺しの目に遭わせてた女が、その非正規の死神だせ」


 自分は敗北した事があるのだ、と。


「あの女の人が?」


 亜紀も憶えている。今、町中ですれ違っても顔の判別すらできないだろうが、血刀を片手にした女が路地裏にたたずんでいた。


「あぁ、ありゃ強かったぜ。それに、背後に……雷獣がいやがった。甘粕あまかすと出会えてなけりゃ、俺は今頃、冥府の最下層で馬や牛に生まれ変わる準備中だったかもな」


 苦笑が混じる表情の下で、ベクターフィールドはゾッとする。


 ――雷獣だけは手に負えん。


 霊やベクターフィールドの身体を作っている|場《

・》は、マイナスの意味を持つエネルギーに弱い。八頭が樹脂製の剣で戦えているのは、樹脂は帯電列でマイナスの電荷を帯びる性質を持っているからだ。その理屈でいえば稲妻は最大の弱点といえる。それを自在に操るのが雷獣だ。


 ――雷獣は、まぁ、いいだろう。


 殊更ことさら、しょっちゅう敵対する存在ではない、とベクターフィールドは雷獣の事は考えるのを止める。


「非正規の死神に対する切り札は、甘粕だ。非正規の死神は、人間は傷つけられない。人を傷つけたら死神の方が狩られる対象になるからな」


 悪魔と正規職の死神はベクターフィールドが片付け、非正規の死神については亜紀自身の存在を利用して突破する――。


「策とはいえないぜ、どうにも」


 穴だらけで行き当たりばったりだ、と自嘲してしまうのだが、綿密な計画を立てる暇がないと高を括るベクターフィールドも、ひとつだけ想定している事がある。


「で、拘置支所へ呪術師がどうやって入るかだけどな」


 その方法だ。


 よく使われる手ではないが、最も分かり易く、また甚大な被害をもたらす方法がある。


「突発的な大規模停電に備えて、自家発電があるだろう? 後、直流電源装置だ」


「あると思う」


 亜紀は頷いた。


「詳しくは知らないけど」


 施設、設備については、警察署や留置所と同じはず。


「それを攻めるだろうぜ」


 ベクターフィールドは一度、深呼吸する。


「つまり――」


 改めて説明するつもりだったが、説明するまでもなく眼前で実行された。


 夜が明けたのかと思うほどの明るさと、爆音・・――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る