第28話「魔王も動いた」

 亜紀あきが何時に帰ってこようと、玄関を開ければ、愛犬ちまは飛び起きて駆け寄ってくる。尻尾のないコーギーだけに、お尻を左右に振って喜びを表す様は、飼い主ならずとも愛らしく感じることだろう。亜紀ならば尚の事だ。


「はいはい、ただいま」


 後ろ手に玄関の扉を閉めつつ、亜紀がちまの頭を撫でると、ちまの勢いが増す。


 ペットは飼い主に似るというが、この姿を見ていると、亜紀は自分とちまが似ているとは思わない。


 ――ここまでストレートに感情を見せられないよね。


 亜紀の苦笑いは、今夜の事と共に、先日の合コンを思い出さされてしまったからだ。


 八頭やずと兎に角、気が合ったが故に、八頭が先日の合コンでいわれたような、スポーツカーや走り屋などヘタレという言葉を聞いたらどういうのだろうかと思ってしまう。


 ――本当に嫌な気分になったのなら、言い返せば……ねェ?


 日和見で同調してしまった自分へ嫌悪感を覚えている。もっと、ちまの様に感情をストレートに表せられればよかったと思う。そして、八頭は自分とは違うのだろうか、と亜紀は考え……、いや、だから苦笑いは強くなる。


 ――ううん。きっと、そういう考えもありますよね、って退いちゃうか。


 口げんかになる事は想像ができないし、亜紀のように日和見する姿も同様だ。実際は、八頭はああいう場合、何もいわない。いわず、亜紀と同じように気落ちするタイプだ。だから亜紀と馬が合ったのかも知れない。


 とはいえ、亜紀がそんな事を考えるのはそこまで。帰りに24時間営業のスーパーで買ってきた粉末状のレモネードを取り出す。


「これこれ」


 亜紀がニコニコし始めると、気になったちまがキッチンスペースまでおいかけてくる。


「ほあ?」


「静かにしてね。今日、教えてもらった紅茶をれるだけだから」


 亜紀は「シーッ」と立てた人差し指を口元に当て、ちまに静かにしろと告げた。


 冷蔵庫から出すのは市販の濃縮紅茶で、「教えてもらった」というのは八頭から。


 ――ティーソーダとか、よく飲んでたんですよ。濃縮紅茶を炭酸で割るだけなので、簡単なんです。


 車での移動が多いから飲酒の習慣がないといっていた八頭が教えてくれた飲み方である。


 ただティーソーダが気になったのではない。


 ――でも、さっぱりしてて甘いのだと、レモネードで割るのもありなんですよ。


 そちらを試してみたい気になった。


 幸い、濃縮紅茶は常備してある。


 ――八頭さんは、自分で濃縮紅茶も作るっていってたけど。


 だから分量は違うのだろうが、亜紀は透明なコップを取り出し、グラスに沿わせた人差し指に隠れてしまう程度、濃縮紅茶を入れる。


 次にレモネードだ。八頭が自家製といっていたものを粉末で済まそうというのだから、味が濃くなり過ぎないよう、100均の茶杓で2杯分に済ます。


 薄めるために、水道水を入れようとした手は止める。


「こっち、かな」


 電気ケトルに残されている方が沸き冷ましになっている。


 それを指三本分で隠れる程度の水位まで薄め、残りは氷でグラスをいっぱいにした。


 ――多分、違うアレンジになってるだろうけど……。


 そう思いながら口に含んだ味は、思わず亜紀も頬を緩める爽やかさ。


 ――確かに、スッキリした甘さ。


 自分で作った濃縮紅茶に、氷砂糖とレモンで作ったレモネードでは味が違うのだろうが、全く間違った味になっている訳ではないはずだ。優しそうな雰囲気をまとっていた八頭に似合う味だけと思うと、亜紀の顔は微笑みになり、ならば飼い主が大好きなちまも楽しげに見上げてくる。


「へっへっへっ」


「美味しいの教えてもらったわ」


 もう一度、ちまの頭を撫でる亜紀の、そのほっこりした気分を断ち切る音が聞こえた。


 22時を回ろうかという時間にインターホンから聞こえてきたチャイムの音には、亜紀も眉をひそめめてしまう。人を訪ねるには非常識な時間だ。


「はい?」


 女性の一人暮らしであるから、当然、存在しているカメラ付きインターフォンに映し出されていたのは――、


「今、いいか? 少し大事そうな話があるぜ」



 魔王ベクターフィールド。



 その姿は亜紀のいぶかむ表情を強めさせた。


 契約を司る魔王であるベクターフィールドは、自分から契約者の元に姿を見せる事はないはず。それが自分から来たという事は、どうしても亜紀を緊張させる。


 ――緊急事態?


 しかも回りくどく感じる「少し大事そうな話」といういい方を、亜紀は無視できない。


「待ってて」


 玄関を開けると、ベクターフィールドは険しい顔をしていたのだが、ちまが駆け出て行く。


「はーん!」


 歓迎するよとでもいうかのように鳴くちまだが、飛び出していこうとしたのは亜紀が止めた。


「流石に非常識だと思うんだけど……」


 しかも22時といえばベクターフィールドは就寝している時間ではないのだが、ベクターフィールドは溜息を吐くように一度、息を吐き出し、


「悪いな」


 しかし、少し間が欲しかったのかも知れない。


「ん? またスカート穿いてるんだな。また合コン失敗か?」


 それに対し、亜紀は少々、所在なさそうに頭を掻く。


「あっちが、今日の所はコレでっていったから。連絡先は交換した」


 失敗ではないはず、という感情から出た所作である。ただ失敗か成功かといわれれば、正直な話、「わからない」というのが亜紀の感想だ。失敗とは思っていないが、成功かといわれると首を傾げてしまう。


 そういう機微の変わらないベクターフィールドは「は?」と首を傾げた。


「何だ? そりゃ」


「車の話とかで盛り上がって」


 話していて楽しかったのは間違いないのだが、亜紀の中で「果たして、八頭さんも楽しかったんだろうか?」という想いがあるからこそ、正解だと胸を張れない。


 ベクターフィールドは生返事。


「珍しくスポーツカーが好きな男がいたんだな」


 亜紀がする車の話といえば、そちらの方面しかない事をベクターフィールドも熟知している。自分と初めて出会った時、亜紀はクーペの話しかしなかったし、先日の合コンで凹んだのは、ミニバンに凝った音響をつけるのが趣味だという男に日和見ひよりみしてしまった事だった。


 しかしスポーツカー好きというと、ベクターフィールドも多少は気になる。


「今の奴らだと、車なんて乗れれば何でもいいってヤツばっかりなのにな」


「新型のクーペに乗ってるっていってたわ」


 80年代、90年代のスポーツカーが好みという亜紀とは、若干、ずれてはいるのだが、それでも好きな方向の話題だった。


 ベクターフィールドも亜紀が話して楽しい相手だった事もわかるし、ならリビングダイニングのテーブルに置かれたグラスも気になるところ。


「そのジュースも、その相手からか?」


 顎をしゃくったベクターフィールドに、亜紀は「そうそう」と小さく、数度、頷いて、


「紅茶を濃く淹れて、レモネードで割るとさっぱりした甘さになるよって教えてくれたの」


「……何だかんだで楽しい夜だったんだな」


 そこでベクターフィールドは声を潜め、関係のない雑談を打ち切った事を雰囲気で知らせる。


「悪いが、ここで楽しい夜は終わるぞ」


「……」


 亜紀も表情を引き締めた。元々、ベクターフィールドが自分から亜紀の元へ姿を見せるはずがない。


 ――緊急事態を直感したのにね。


 亜紀が直感した緊急事態は、最悪なもの。


明津あくつ一郎いちろうだ。あいつの元へ――」


 告げるベクターフィールドの顔すら、歪む。



「霊を差し向けようとしてる呪術師が出た」



 本来、こんな事を告げるのはベクターフィールドの仕事ではない。明津一郎を確保した時点でベクターフィールドの仕事は終わっているし、霊が復讐に来るからといって、亜紀に知らせる義理はない。


 だがベクターフィールドは知らせた。


「人に危害を加えようとする霊は、死神に斬られるぞ。地獄行きじゃ、寝覚めが悪いだろう?」


 亜紀の性格を理解してあるからこそ、アフターフォローは必要である。どこかと問われるまでもなく、ベクターフィールドは告げた。


拘置支所・・・・だ」


 ベクターフィールドが愛車の鍵を亜紀に示す。答えなど、訊く必要もない。

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