第27話「そして今夜の話」

 メッセージの本文にある「今から向かう」という一文が、八頭に深い溜息を吐かせた。


 そろそろ日付が変わろうかという時刻であるが、水道局ですら24時間、休まず動いているのだから、冥府に「営業時間外です」は有り得ない。


 そして八頭が溜息を吐くと、アズマが心配そうに見上げてくる。いつもの事だ。


「大丈夫?」


 しかし、それが八頭から苦笑いを消させるのも、いつもの事である。


 ――大丈夫と訊かれても、大丈夫じゃないって言えないもんな。


 純粋に心配しているからこそ出て来た言葉だと分かっている分、八頭も出せる言葉はひとつだけ。


「大丈夫だよ」


 冷蔵庫から麦茶の入ったジャグを取り出しながら、八頭は苦笑いを笑みへと変える。そうとしか言えないから言うのではない。自分がそう言いたいから言うのだ。


 麦茶と共に無水カフェインの錠剤を喉に流し込むと、表情を真剣なものへと一変させた。冥府からの指令は「では、明日から」というような悠長なものではない。


 ――すぐ来るぞ……。


 他がどうしているかは知らないが、八頭の元に来る正規職の女死神は、すぐに動くことを要求してくるはず。


 少し部屋を片付けるかと思い立った所へ、インターフォンの音が聞こえてきた。八頭「予想通り」と鼻を鳴らす。お茶一杯、飲む間があったのは、この死神の場合は狙っていたと言ってもいいのかも知れない。


 カメラ付きのインターフォンが映しているのは、八頭の見知った顔。ドアを開けながら、八頭から一言、いうくらいはいい相手だ。


「狙っていましたか?」


「狙っていた、とは?」


 黒髪に白い肌の女死神は、何を言っているんだという風に小首を傾げるが、察しが悪い方でもなく、「ああ」と呟くと、


「茶を一杯、飲む間は待ちました」


 部屋の片付けをする時間までは待たないが、飲み方から帰ってきた八頭が気分を切り替えるくらいの間は待つ。


 八頭は少し笑ってしまい、


「気を遣わせましたかね」


 しかし口にした言葉は、それこそ慇懃無礼いんぎんぶれいというもの。女死神も、慣れたものだが。


「急ぎの仕事です」


 女死神の言葉も、今更としか言い様がない。部屋に招き入れて早速の言葉に、八頭はいう。


「急ぎじゃない仕事なんて、存在するんですか?」


 非正規の死神へ持ってこられる仕事は、常に急なものばかりだ。死神を撃退して命を長らえようとする者も、人を襲う霊も、「じゃあ、明日の朝からで」と言っていい仕事ではない。


 ましてや今回、メッセージにあった呪術師とは――、


「特別、急ぐんでしょう?」


 八頭も心得ている。


 寿命を迎えた老婆も、怪しげな呪術師を頼って死神を撃退していたのだから、呪術師の出現は緊急事態だ。


 挙げ句、今回の仕事は因縁もある特別だ、と女死神はいう。


「その老婆の時、霊を操っていた呪術師です」


 女死神が語る因縁は、一件だけではない。


「それだけではありません。前回、クリス・ルカーニアに霊を差し向けたのも、その呪術師だと確認されました」


「!」


 八頭も驚愕きょうがくに目を見開かされる。因縁があるというには、余りにも因縁が深かい。


 それらを考えると、この呪術師はもう一度、霊を使って生者に害するつもりだ、と結論を出すのは容易だ。


 八頭に震えが来る。


「どういう行動に出るんですか?」


 しかし、それは戦慄しているというよりも、別の理由だ。


「またろくでもない相手なんでしょう?」


 善良な人への逆恨みであれば、八頭とて霊を斬るのに躊躇ためらいなどないのだが、そうでない事が往々にしてある。雑霊――地縛霊だ浮遊霊だという存在は、事件、事故が主な原因であり、原因者への復讐という形になっている事が多い。


 クリスとの一件が頭にあるだけに、八頭はアズマを気にしてしまう。


 ――犯罪者への復讐に来た霊を斬れなんて、もうまっぴらだぞ。


 この世の理に従えば死者が生者を害する事は許されないが、アズマが憶えた反発は八頭も理解できる。


 それも女死神には伝わったのだろう。


「霊が生者を害し、その死後、呪術師の元で霊になるのを見逃す訳には参りません。また魂を失う人が生まれるというのも、同様に」


 相変わらず感情があるのかないのか分からない声と言葉を発する女死神であるが、


「特に、犯罪者の霊は手こずらされる霊になります」


 正論でもある。霊に復讐を遂げさせるのは大いに結構と考えていたのでは、その霊が復讐を果たした相手も霊となり、呪術師や悪魔に使われるのでは大惨事へと繋がりかねない。


「クリス・ルカーニアのような殺人鬼が霊となったら、どれだけの人が被害を受ける事になるのか予想もできません」


 これは八頭にもアズマにも、反論の余地なし、だ。八頭も険しい表情を浮かべさせられる。


「行きますよ。何がどうあっても」


 苦笑いも自嘲も出かけるが、それは引っ込めて。犯罪者の命など守るに値しないが、クリスのような殺人鬼の霊が操られ、また無辜むこの命が失われるのでは動かざるを得ない。


 理不尽とも見える仕事だが、八頭にとって非正規の死神という仕事は、社会正義や必要悪といった言葉とは全く違う意味を持っている。


 理不尽であろうと不条理であろうと、八頭は恋人が最期に残した言葉を守る他に選択肢はない。


 自縄自縛ですり減ってしまう心は、もう気合いや根性の類いで保たせるだけだ。


 そういう思考で救いを見出してしまうのも、八頭の悲しい適性かも知れない。


 ――そう考えたら、この人も感情があるのかも知れない。


 正論ばかりを口にしている女死神だが、その正論がやたらと耳障りに聞こえるのは、そういう方向へ女死神が仕向けているからかも知れないと考えてしまう。


「どこに霊を差し向けようとしているんです?」


 八頭の問いに対し、女死神が出したのは――、



拘置支所・・・・



 聞き慣れない言葉だが、刑事被告人を収容する施設という事くらいは八頭も知っている。


 悪い予感が当たったと言うべきだろう。


 ――やっぱり、犯罪者への復讐じゃないか。


 予想していた通り、八頭に介入するのを躊躇ためらわせる相手だが……、


「誰を狙っているっていうんですか?」


 それでも八頭は訊いた。



明津あくつ一郎いちろう



 出て来た名前に覚えがないのは、幸か不幸か。

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