第25話「喪女×魔王」

 そこからが長かった。


 明津あくつ一郎いちろうに帰すべき責任は複雑で、殺人罪ではない。教唆きょうさ扇動せんどうともいい難く、精々、名誉毀損か侮辱というところ。


 しかし因果関係が認められる自殺が発生している事で混沌とし――、


「陰謀罪や不正な情報収集などの4つの罪状で起訴です」


 年単位の時間を必要としたのにも関わらず、今日、亜紀が被害者の両親に報告できる事は、最長でも5年程度の刑罰にしかならないという事だった。


 畳に手をつき、深々と頭を下げる亜紀。


「力が全く及んでいませんでした。改めて、お詫び申し上げます」


 何をいわれようと仕方がないと覚悟している。法の不備は自分の責任ではないと断言するようなメンタリティならば、警察官たる資格がない。


 だが現実に母親がかけた言葉は……、


「頭を上げて下さい」


 亜紀を救った。


甘粕あまかすさんが動いてくれた事に、今は感謝しています。娘の事は……悔やんでますし、犯人を許せない気持ちも、そんな最長で5年なんて罪にしかならないのにも納得はしていませんけど」


 母親の声に理不尽への怒りや憎悪は確かにあるのだが、亜紀に対し、それをぶつけるつもりがないのもよく分かる。


「……」


 一瞬、亜紀はベクターフィールドの方を盗み見た。ベクターフィールドが何らかの能力を使って、人の気持ちをねじ曲げたのかと思ったのだが、


「……」


 ベクターフィールドは小さく首を横に振ったのだから、使っていない。


 母親は真意を、自分の意思で語っている。


「ありがとうございました」


 絞り出すような声は、被害者の母親が本心から言葉を出しているからだ。明津一郎に対し、親の顔が見てみたいという言葉を噛み殺した亜紀には、ここにこそ、この事件がもたらした最大の被害があると感じる。



 この両親に育てられたからこそ、被害者の少女は優しい大人になったはず。


 それが永遠に奪われた――これ以上の被害、損害があろうものか。


「……」


 だから亜紀の心は救われると同時に、より深く悔恨の念に苛まれる事になる。亜紀には今、返せる言葉がない。


「それでは、失礼します」


 被害者宅を後にする亜紀が愛車に乗り込む。新車で何とか買った愛車は、亜紀が憧れる刑事ドラマを彩ったものや、ベクターフィールドが駆っているようなバブル期のクーペではないが、軽スポーツだ。


 助手席に乗るベクターフィールドが、そんな亜紀の横顔を見遣る。


「やるせないか?」


「やるせないわよ」


 答える亜紀に、曖昧な表情はない。


「だからいったでしょ? もし――」


 ベクターフィールドのように横目で見るのではなく、しっかりと顔を向け、



「私が必要だと思った事件には、全ての能力を使って協力・・・・・・・・・・・する事」



 口にするのは、明津一郎を留置所に入れた直後、ベクターフィールドと正式に契約した時の言葉だ。


 甘っちょろく青臭い――そう思いつつも、ベクターフィールドは肩を竦めるだけで済ます。


「案外……」


 次に出せる言葉は、小声にするしかないからだ。


「お前が持ってるのかもな。俺が探している人の魂は」


***


 起訴され、裁判を受ける身となった明津一郎が、留置所から拘置所へ移された夜――、


「クソッ、クソッ!」


 納得がいかないと呪いの言葉を吐き出しながら、明津はうずくまった。壁でも殴りつけていれば格好が付いたのかも知れないが、大きな音を立てては職員に見つかってしまう。できる事は、精々、床に手を着く程度。声も隣の房に聞こえる程度に押し殺している所に、明津の小ささが見取れる。


 しかし隣室にも聞こえない程度だったにも関わらず、明津へ投げかけられる声がある。


「何をして入れられた?」


 壁の向こうからだ。若干、イントネーションやアクセントの違う言葉は外国人が後から覚えた日本語のように聞こえるのだが、明津は気にしない。


「俺は何もしてない! ただ周りの奴らが勝手に煽り、勝手に飛び降りただけだ!」


 その持論は今も誇示されていた。


 被害者の少女は、亜紀の尽力に感情を救われるインテリジェンスを持つ両親に育てられたが、明津は逆だ。


「やられたからやり返した! 俺がやり返したのは、やられた分だけだ!」


 やられたらやり返せ――明津は母親からそう教えられた。


「……大変だったな」


 外国人の声は冷静で、そこから感情は読み取れない。もしベテラン警察官がいたとしても、一言で相手の気質、気性までは計り知れまい。


 一言でいって不気味な声だが、冷静なお隣さん・・・・の声は、明津に少しばかりの冷静さを取り戻させる。


「当たり前だ」


 そして興味は隣へ向く。


「そういうお前は、何したんだ?」


 一瞬、隣からの声は詰まった。一秒か、それともその半分か、それくらいでしかないが、確かに詰まった。


 しかし隣人は教えてくれた。


「……殺人・・さ」

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