第21話「魔王と喪女の初仕事」

 人間を一人、自殺するくらい追い込んだのだから、このましを見逃す事など、亜紀にはできない。


 亜紀がベクターフィールドに頼んだ事は、この得体の知れない事件の捜査である。


「捜査?」


 亜紀のアパートに招かれたベクターフィールドは、亜紀が示したパソコン画面へいぶかしげな表情を向けた。


 亜紀は「そうです」と、問題のSNSを表示させる。詳しい調査資料は庁舎外への持ち出しが禁止されているが、外でも見れるSNSは問題ない。


「高校生を一人、自殺に追い込んだ人がいるんです」


 亜紀の指すSNSは炎上を続けているが、成り済ましの新たな書き込みはない。


「学校名と学年を明かしてから、ずっと成り済ましは沈黙していますが……」


 しかしこの時、亜紀が見ていないうちに進展があった。ベクターフィールドは亜紀を遮り、画面を指さす。


「してるぞ」


 そこには新しい書き込みがある。


「これ、一番、上に来るのが新しい書き込みだろ?」


 といっても、一言だけであるが。



 ――ありがとう。



 事件の関係者であれば、これが何を意味しているのか分かる。


 身を乗り出した亜紀が見たタイムスタンプは……、


 ――書き込まれたのは、マスコミへの第一報があって、それがニュースに載った直後。


 亜紀の背筋に冷たいものが伝った。想像できる最悪のものを口にする。


犯行声明・・・・……」


 絶句する亜紀であるが、ベクターフィールドは「それは、どうかな」と首を傾げた。


「自殺まで追い込んでくれた事に対していってると思うのは、事件の全容を知ってるヤツだけだろ」


 亜紀であるから繋げて考え、飛びついただともいえる。ベクターフィールドは「待て」といった。


「元々、自分が思った事を気軽に手軽につぶやける場なんだから、何か嬉しい事があったのかも知れないし、事件とは無関係の書き込みだっていわれたら繋がらなくなる。あるとないがケンカする時、証明しなきゃダメなのはあるっていう方だろ?」


 ないという方が証明しようとすれば悪魔の証明になる、といおうとし、ベクターフィールドは苦笑いした。


 ――悪魔・・の証明か。


 存在しない事柄は証明できないという用語は、実際に存在している悪魔ベクターフィールドでも証明できない。


 ベクターフィールドは笑ってしまったが、亜紀には余裕などない。


「でも状況が――」


 焦る亜紀へ、ベクターフィールドは「まぁ、待て」と手をかざす。


「こいつを特定して、自供させれば繋がる」


 それができれば苦労しないのだが、当たり前と明確に伝えてくるベクターフィールドの声は妙な説得力があった。それ故に、亜紀は前のめりになる。


「方法があるなら、教えてください」


 人間には不可能な――倫理的、常識的にではなく、現実的に――方法が、ベクターフィールドならば取れるのだ。


「SNSのIDから、使ってるヤツのプロバイダを割り出す。そのプロバイダから契約者情報を受け取って、後は任意同行」


 突飛な方向ではない。被害者遺族に被害届を提出してもらい、それを受理、正式な命令が出されれば可能になる。しかし、その被害者遺族からの被害届をもらうだけでもハードルの高い亜紀は、どうしても半信半疑だ。


「できる……?」


 しかしベクターフィールドは「できる」と頷く。


「下ごしらえしてからかかればいい」


 真っ当な手段では不可能な話だが、真っ当な手段を講じるつもりがベクターフィールドにはない。


「被害届も出してもらう」


 亜紀では門前払いだが、被害者遺族から出させる方法がある。


「こいつをしょっ引く」


 これらには警察の令状や、正式な依頼を受けた法律家が不可欠だが、それに縛られるベクターフィールドではないのだ。


「命令も、甘粕あまかす亜紀あきへ出させる」


 ベクターフィールドは悪魔である。


***


 ベクターフィールドが、どういった手段、方法を用いて成し遂げたのか、それは亜紀にすら告げられなかった。


 翌日、「全て段取りを付けてきた」といわれた時、亜紀は怪訝けげんに思ったものだが、被害者宅へ二人で向かうと、門前払い所かすんなりと仏間に通してくれた事で訝しさは消えてくれる。


 ただ、ベクターフィールドの自称・・は気になり続けるが。


 ――悪魔……悪魔、ねェ……。


 亜紀が横目で見遣る魔王は、仏花ぶっかを供え、線香に火を灯して手を合わせている。


 ――本当に魔王なら、シュールな光景なのよね。


 亜紀にどう思われていようと、ベクターフィールドは気にとめない。合わせていた手を下ろし、被害者の両親に身体ごと向き直る。


「もし被害届を出していただけるならば、二人で担当する事になりました」


 ベクターフィールドは警察手帳を見せているが、それとてどうやって調達してきたのかも秘密だ。ただし本物と寸分違わないものでも、そこに書かれている名前は横文字である。


「刑事さん……外国の方?」


 名前と顔立ちや体格を見て、被害者の母親は目を瞬かせた。刑事に限らず、公務員が外国人というのは珍しいというよりも突飛な話と感じさせられる。


 だがベクターフィールドは涼しい顔で、


「母親が日本人、父親がカナダ人なんです。だから国籍は日本にあります」


 それも真実が出任でまかせか、確かめる方法はない。そして疑問が強くなるまえに動く。


「この度は、ご愁傷様でした」


 正座したまま亜紀が深々と頭を下げた。


 発した言葉に他意はない。


 他意はないのだが、タイミングというものがあった。劇的な瞬間と展開を狙うものが。


「止してください」


 母親は言葉を詰まらせ、顔を余所よそへ向ける。


「どうせ、もう……」


 母親が手遅れという言葉を出せないのだから、父親も憤然ふんぜんとした様子。


「もっと早く、警察が動いてくれていれば、こんな事にはならなかったかも知れませんね」


 父親の口調からも、抑えきれない悲しみがある。これが怒りではないところに、亜紀は強く心を痛めてしまう。


「返す言葉もございません」


 係長のいう警察は容易く暴力装置になるというのもわかるが、やはり亜紀は被害者や被害者遺族の言葉の方がよく分かってしまう。もっと素早く、軽快に動けていれば、という悔いは亜紀の中でも渦巻いている。


 他意がないだけに、亜紀の言葉ひとつひとつが被害者の両親にも刺さっていく。これをベクターフィールドが抜く。


「お気持ち、よく分かります」


 ベクターフィールドの顔には、哀れみや悲しみはなく、それが却って良かったのかも知れない。


「自分も、この通りの風貌ですから、よくいわれたものです。嫌ならとっととクニ・・へ帰れ、と」


 あわれみも悲しみもないからこそ、ベクターフィールドの独白に似た言葉は他者の心によく入るのだ。


「学校の当番を押し付けられたり、それこそ郵便ポストが赤いのまで、全部、自分のせいにされました。ただ――」


 ひそめられた声は両親の意識を一層、深く引きつけた。


「私にも幼なじみの、姉のような人がいました。しかし彼女も同じく標的にされていましてね……。ある日……」


 全てはいわない。ベクターフィールドが深々と吐いた溜息こそが、全てを悟らせる。哀れみ、悲しみの感情がないベクターフィールドだが、怒りに関しては人一倍、強い。


 だからかもしれない。


 父親の声が信頼を感じられるものになったのは。


「……そうでしたか」


 ベクターフィールドは悪魔である。


 人を騙す、欺く事のある存在だと知らない事を差し引いても、ベクターフィールドがいじめを苦にしての自殺に対し、怒りを懐いている事に偽りないと感じていた。


 ならば父親は深く頭を下げ、その・・言葉を出してくれる。


「よろしく、お願いします」


「は、はい!」


 亜紀は思わず大きな声を出していた。

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