第19話「魔王を討つ時」
ベクターフィールドは魔王の称号を持つ悪魔の一人であり、その称号が示す通り絶大な力を持つ。その手ある魔王の剣は、最上級である事を示すように柄の護拳には
剣を手にして対峙しているのは、相手も場所も不釣り合いだった。
場所は路地裏。
そして相手は――
女にしては背が高い、165センチくらいか。ショートカットに縁取りされた顔は卵形で、一重瞼の目は、よくいえば涼やかな切れ長で、それが剣呑と感じさせる凄みを宿している。
スーツにジャケットという出で立ちは、やはり路地裏で魔王と対峙するには不釣り合いだ。
その女を、魔王ベクターフィールドは、こう思う。
――厄介だ。
長身といっても、189センチあるベクターフィールドに比べれば低いし、
そして女が手にしているのは、暗がりでも分かる通り、樹脂製のコスプレ用品だ。ベクターフィールドが振るう魔王の剣に比べるまでもなくオモチャでしかない。
それでもベクターフィールドは、怖れるに足らない相手だと斬り捨てる事はできなかった。
何が証拠になるという訳でも、何が確信させるという訳でもないが、ベクターフィールドには分かる。
――
この世に相応しくない
「
ベクターフィールドが
悪魔と直接、戦う事を命じられるのは、こういう時だけ駆り出される人間――非正規の死神である。
冥府から支給されるのは精々、身を隠すための隠れ蓑くらいなもの。武器も支給されず、そして現世の法律に触れないモノでなければ携帯できない。コスプレ用品を使っているのもその為だ。
しかしそのコスプレ用品も馬鹿に出来ない。樹脂製――水道用の耐衝撃性塩化ビニール管を加工して作られている――の刃は、霊であれば四散させる事ができる。
ベクターフィールドも例外ではなく、その姿は人間と違い、
ベクターフィールドといえども、エネルギーを凝固させて血肉としている事に変わりはなく、その刀身で両断されれば
――剣道とか剣術とかやってる風じゃねェのにな。
女死神の動きは、剣道やフェンシング、古流剣術といった技術を修めているものではないのだが、それはベクターフィールドも同じだ。
ベクターフィールドの場合、魔王の剣の重量と自らの膂力にものをいわせて振り回すしか手がない。
――邪魔すぎるだろ!
だがベクターフィールドの戦法では、こんな狭い路地裏は不利だ。
――分かっててここへ来たな。
女死神は打ち下ろしと分かっていれば、例えベクターフィールドの打ち込みであっても受け流す事ができる。手にしているのは得物は、10キロもの水圧に耐える耐衝撃性塩化ビニール管を素材に、
打ち込み、受け流され――、斬り込まれるとベクターフィールドが覚悟を決めるが、女死神の踏み込みはない。
その戦い方にも、ベクターフィールドは舌を巻かされる。
――武器の扱いは自己流でも、戦い方はわかってるんだよな!
女死神は8割の成功率でしかないと判断したならば、絶対に踏み込んでこない。
ベクターフィールドは舌を巻かされ、そして歯がみさせられる。
――勝負は絶対しかない事を知ってやがる。
ベクターフィールドが決定的なミスを犯すまで耐える戦法だ。それを消極的と笑う事はできない。路地裏を決戦の場に選び、ここまでベクターフィールドの攻撃を――無傷とはいえないが――切り抜けてきた女死神なのだ。
自分はいずれミスをする、とベクターフィールドは思い始めていた。
女死神のペースに填められてしまっている証拠だ。
――ツイてねェ。あんな現場にいなきゃよかった。
ベクターフィールドが思い出す、この戦いの切っ掛けは、
とあるマンションの屋上から、高校生の女子が飛び降りたのだ。
自殺や殺人など自然死でない死者が出た時は、悪魔や怪しげな呪術師、霊能力者にとって
飛び降りた高校生は、死神ではない誰かに連れていかれた。
無論、ベクターフィールドは濡れ衣だが、冥府がその場にいた悪魔に目を付けるのは当然の流れであり、悪魔の討伐に非正規の死神が投入されるのも自然の流れ。
そこにいたのが悪魔ではなく、魔王ベクターフィールドであったという事は冥府の計算外かも知れないが。
とはいえ、濡れ衣なのは今回だけだ。ベクターフィールドも身に覚えはある。
「いっても始まらないな」
窮地ならば何度も切り抜けてきたベクターフィールドは、一意専心、女死神を斬り捨て、切り抜けるだけと決意する。
――何を待ってるのか知らないがな!
しかし腹を
ベクターフィールドは腹を括れと決め込んだが、見方を変えれば女死神が何を待っているのかを考えないようにしたともいえる。
二人の間に風が渦を巻き始め、ベクターフィールドが目を細めた。
勝負を賭けると大上段に構えるベクターフィールドだが、そこへ響く
「
「!?」
ベクターフィールドも思わず身を固くした。どこから聞こえてきた声か分からないが、何をいわれたかは分かる。
――死神!
非正規ではなく、しかも9級――最上級の死神だ。
「現時刻より、限定的に
告げているのは、非正規だった女死神に、正規職と同じ装備、能力を与えるという事だ。
――これかぁ! 待ってたのは!
歯噛みするベクターフィールドであるが、阻止はできない。
「
渦を巻いていた風が光をはらみ、女死神の手に本物の剣が握られた。
――死神の剣! しかも特級か!
その護拳には赤く輝く猛牛が意匠されている。
それはベクターフィールドが持つ狗鷲に互する格だ。
最早、先手必勝とはいえないが、ベクターフィールドは踏み込んでいく。尻込みしていては斬られるのみ。女死神は今まで自らが身に着けた技と機知で戦ってきたが、ここからは死神の能力が上乗せされる。冥府が蓄えてきた膨大な知識と経験をフィードバックされた死神は、魔王に勝る能力を得るのだ。
ベクターフィールドの打ち下ろしは、焦りがブレとなって現れてしまう。
どれ程の高速であろうとも、真一文字で最短距離を奔らせなければ、速いとはいえない。
女死神の剣が迎え撃つ。
鋭いといえば、余りにも鋭い交差があり……、
「ぐ――」
ベクターフィールドは悲鳴も上げられず、
魔王の剣をへし折り、死神の剣はベクターフィールドの胸を捉えたのだった。
しかし
――いいや、致命傷はもらってねェ!
すぐさま逃走に切り替え、ベクターフィールドは背を向けた。ベクターフィールドに焦りという隙を生ませ、そして戦力を奪ったのだから、女死神は十割の勝算をもって反撃に出てくる。だからこそ、ベクターフィールドは心中で繰り返す。
――ツイてる、ツイてる!
身体を包んでいる場を両断、或いは貫通させられていれば、ベクターフィールドも消滅していたが、幸い死神の剣は
「ツイてるんだよ、俺は!」
追撃に入ろうとした女死神の胸を蹴ったベクターフィールドは、それが攻撃としては当たり損ないだった事も意に止めない。隙ができたなら、それで十分だ。正気を待ち続けた女死神も、万全の状態ではないのだから。ベクターフィールドのプレッシャーに晒され、消耗しないで済む訳がない。
――逃げろ! 逃げろ!
ベクターフィールドはもんどり打ちながら路地裏から逃げ出した。
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