第13話「クズは俺とお前だけだ」

 一人が逃げ出してくれた事は、ベクターフィールドの狙い通り。


 ――4人目・・・がいるんだろ。


 その4人目が問題だと感じていたベクターフィールドは、最初から一人は逃がすつもりでいた。


 4人目――亜紀は気付かなかったが、ベクターフィールドが見せた映像の中で、その相貌そうぼうが不自然に光った事が確認できる。



 4人目の目は、黄色く光ったのだ。



 光線の加減で人の目が不自然な色になる事は珍しい話ではないが、絶対に起こらない角度というものが存在し、そんな時に黒目が他の色になる事は有り得ない。


 その正体をベクターフィールドは知っている。


 ――さぁ、出てこい。身内・・みたいなもんだ。不始末は、俺が片付けてやるから。


 ベクターフィールドの身内となれば、人間以外のものだ。少年を追いながら、ベクターフィールドの表情は、普段のにやけた顔から一変する。


 正しく悪魔の形相であるから、逃げる側は必死だ。


「助けて……」


 息が切れ、手足が無様にもつれてしまうが、立ち止まらない――立ち止まれない。


「た……助けて!」


 声をしゃがれさせて叫びながら、出入り口へ向かう。


 ショッピングモールには複数の出入り口があるが、概ね、二方向だ。


 国道側か、市道側か。


 こんな郊外に建っているショッピングモールであるから、市道側へ出れば駐車場の灯りくらいしかない場所へ出られる。その方が撒きやすいと思ったのだろう。


「助けて、蔵人クロードさん」


 逃げながら少年が助けを求める。蔵人というのが4人目の名前だ。


 少年が走れなくなったところで追い付ついたベクターフィールドは、後ろから襟首を掴んで引き起こす。


「蔵人? 何やってる奴だ?」


 わざと爪を立て、首の皮膚ごと掴もうとしたのだから、鋭い痛みが走ったはずだ。


「知らない! 何も知らない! ちょっと前に、声をかけられただけなんだよ。手を貸すから大逆転を始めようって……」


「そいつ、変わってるだろ? 例えば、目が光るとか」


「光る……光るよ! 時々、金色に――」


 言葉が聞けたのは、そこまで。


「!」


 頭上から感じた気配に飛び退いたベクターフィールドの頭髪が、一筋、宙を舞う。刃によるものだと分かったのは、街灯に照らされる鈍色にびいろの光を見たからだ。しかし凄まじいスピードだったのは、打ち込みだけではない。飛び降りてくるスピードも尋常ではなかった。本当に人であったならば、飛び降りた後は重力以外に推力はないにも関わらず。


 ベクターフィールドの被害は髪の毛一筋だったが、少年の方は――、


「ぐえ……」


 胸から背まで貫かれ、カエルが潰れたような声をあげさせられていた。


「蔵人さん……」


 酷いと続いたかも知れない声だが、剣を振るった男――蔵人は無視する。


「何か、見覚えのある顔だな?」


 その剣を持ったまま立ち上が蔵人は、ベクターフィールドの顔へ嘲りの笑み。


「ああ、セールスマンの?」


 セールスマン――契約を司る魔王であるベクターフィールドの渾名あだなだ。


 呼ばれなれている渾名だが、ベクターフィールドは自分をこう呼ぶ相手がロクでもない事を知っている。


「やっぱり身内か」


 鬱陶しいという顔をするベクターフィールドは、蔵人の剣を見ていた。


 ――獅子。


 柄の意匠を見て、粋がれるような格かといいそうになるベクターフィールドだが、勝負は格でするのではない。技量でするものだ。


 ベクターフィールドも宙から自分の剣を取ろうとするのだが、それを制する声がある。


「ベクターフィールド!」


 名を呼んだ声には覚えがなかった。女の声であったが、この場にベクターフィールドの名を知っている女は亜紀だけだ。


 ――その手は食わないぜ!


 振り向いてしまいそうになる衝動を抑える。不意を突くための隙を作ろうという意図は明らかだ。


「!」


 しかし改めて剣を抜こうとするベクターフィールドへ、今度は知っている声が投げつけられる。


「ベクターフィールド! 気をつけて!」


 亜紀だ。今度は振り向かされる。


「きゃああああ!」


 視界に入ってくるのは、悲鳴をあげながら飛びかかろうとする裕美ゆみの姿。その姿に、ベクターフィールドは初めて悪態を吐いた。


「お前だって薬のセールスマンだったんだろうが!」


 ベクターフィールドは舌打ちしながら逃げる。攻める足など残しておけない。蔵人の攻撃だけならば回避できるが、掴みかかろうとする裕美と一緒に回避しようとすれば、間合いを大きく外して逃げるしかない。


「――」


 蔵人が笑ったのが見えた。それがベクターフィールドのしゃくさわる。


 ――元が痩せっぽっちか太っちょか知らねェが、悪魔の寵愛ちょうあいでチート能力でも身に着けたつもりか!


 裕美を縛り付けているものは、暴力ではない。



 悪魔の体液から生成したドラッグだ。



 以前、亜紀が追った事件の続きである。激しい快楽を得ると同時に、凶暴性が芽生えるたり錯乱状態になったりするという危険な薬。悪魔の体液から作るが故に、禁止薬物の成分を一切、出さない。それを防犯課少年班の亜紀は厄介だと感じているが、真に厄介なのは別にある。


 最も厄介なのは摂取者を意のままに操れるという点だ。


 蔵人が片手で弄んでいる錠剤の色は白。


「吐き気がするぜ」


 何から作ったのか分かるベクターフィールドは、チィッと態とらしいくらい大きく舌打ちした。


 それは蔵人にとっては負け犬の遠吠えというもの。


 ――知った事か。お前が小汚い穴蔵で吠えてる分には誰も気にしねェけど、態々わざわざ、出てきていう事か!


 錠剤を裕美へ投げ渡し、蔵人は両手で剣を持つ。


 剣を抜けてすらいないベクターフィールドは、裕美に動きを牽制させて斬るつもりと見抜いた上で、苦い顔をさせられる。


 ――あーあ。


 1対1であればベクターフィールドに負ける要素はないが、この2対1となると勝手が違う。それも混みで蔵人は挑発してくる。


「人間は斬れないだろう? お前」


 剣を構えながら向けてくる蔵人の言葉。



 ベクターフィールドは人を斬れない――。



 亜紀との契約でこの場にいるベクターフィールドである。裕美を助けたいというのが亜紀の願いであるから、ベクターフィールドに裕美を傷つける事はできないのだ。


 ――そう読んでるなら厄介だぜ。


 あらゆる手段で毒突きたい衝動に駆られるベクターフィールドだが、そんな事をしても何かがどうなるという訳ではない。剣を抜く一瞬を稼ぐ手段を考える方が先だ。間合いの外にあるが、その距離を保ちつつ剣を抜き、裕美をかわして蔵人を斬る――そんな方法だ。


 ――いやぁ、奇跡だぜ、そりゃ。


 ベクターフィールドの思惑を察しているなら、蔵人が棒立ちなはずがない。敵が何をしようとしているかを知っている事ほど、有利な条件はない。ピンチは同時にチャンスであるというのは、そういう考え方からも導かれた言葉だ。


 ベクターフィールドが裕美を斬らず、かつ剣を抜く一瞬を稼ぐ行動に出ようとすれば、選択肢はそう多くはない。


 蔵人はあしで距離を測り、ベクターフィールドが手を打てない仕掛けを探るのみ。


「斬れないよな」


 もしベクターフィールドが考えていた通りの事を実行しようとしていたら、完封されていたはずだが……。


「もし人間を傷つけたら、魔王だろうが浮遊霊だろうが、運命が決まる」


 だが蔵人は隙を見せた!


「俺たちみたいなのが人間を殺したら、死神が黙ってないぞ。お前、確か一度、負けてるよな。しかも非正規・・・に」


 それは全てベクターフィールドをおとしめるためだけに出てきた言葉である。



 つまりベクターフィールドが人を斬れない理由が亜紀との契約だと気付いていない事を示している。



 ならばとベクターフィールドは腰を落とした。


「成る程な」


 視線は裕美と蔵人に往復させる。蔵人はベクターフィールドが契約に縛られているという事を理解していない。そして非正規の死神に撃退された過去を怖れているという事も、馬鹿にしているだけだ。


 ベクターフィールドにとっては、笑ってしまうような隙ではないか。油断と情報不足ほど、たちの悪いものはない。


「あのは、まぁ、俺より強かったってだけの話だ。剣までへし折られて、這々ほうほうていで逃げるのが精一杯だったぜ。確かに、怖い怖い」


 その「怖い怖い」というと同時に、ベクターフィールドは間合いを一気に詰めていた。


 目指したのは裕美と蔵人を分断できる一点。


 裕美には背を向け、蔵人に向かい合う。


「はんッ」


 蔵人は剣を振り下ろそうとするが、ベクターフィールドの方が速い。剣を抜く時間には及ばないが、腕を振るう時間はある。


 ベクターフィールドは蔵人の腕を見抜いている。


 ――鍔迫つばぜいに弱い奴が、剣なんぞ振るえるか!


 ベクターフィールドは蔵人への嘲笑と共に胸の中心を狙い、肘を叩き込む。狙うのは肋骨と胸骨が交叉している一点だ。


 その衝撃に蔵人が蹈鞴たたらを踏んで後退させられるが、蔵人は口元の笑みを消さない。


 ――後ろから刺されろ!


 裕美がいるんだという余裕だったが、その裕美は――、


「ごめん!」


 更に背後から忍び寄っていた亜紀が裸締めにしていた。動こうとする一瞬、息を呑んだ時を狙って締め上げれば、何の訓練も受けていない裕美の意識を飛ばす事くらいはできる。


「甘く見すぎたな!」


 亜紀の存在がどの程度であるかを見誤ったのだ、とベクターフィールドは必勝を確信した。


 体勢を崩した蔵人はベクターフィールドが剣を抜く機を制せない。


 ベクターフィールドの手が翻って魔王の剣が抜かれ、そのまま重量と膂力りょりょくにものをいわせて横一文字に振るう。


 ――いや、かわせる!


 それでも蔵人は思った。ベクターフィールドは右手一本で振ったのだ。両手で振るうよりもスピードは出ない。その上、左の懐へ飛び込まれれば隙ができてしまうのに、剣を左から右へ振るったのだ。


 ベクターフィールドの身体は大きく開き、魔王の剣は自分の身体が邪魔になってしまう位置へ振り抜いてしまった。


「もらった!」


 蔵人の目に異様な光が浮かぶ。


 それに対し、ベクターフィールドの声はない。


 如何にベクターフィールドとて、振り抜いてしまった剣を片手で切り返すような怪力はない。



 しかし右手で剣を投げるようにして、持ち替える事はできる。



 地面と水平にし、突き出す。


「……!」


 胸を貫かれた感触が、蔵人から全ての力を奪った。


「……何でお前、あんなのの味方なんてして、ちまちま魂なんて集めてるんだ? あんな精神も身体もブヨブヨした、間抜けばっかりになってやがるのに」


 蔵人がベクターフィールドを見下ろしながら、最後の悪態を吐く。


 間抜けが誰を指しているかは、ベクターフィールドも想像するしかないのだが、この口調からして、裕美や、裕美を操ろうとした少年たち、守ろうとした亜紀も含まれている事は間違いない。


「あんな奴らのお蔭で、日本人は愛国心も、誇りも持てず、家族や自分さえも守れなくなった」


「お前も元は人間だったんだっけか」


 ベクターフィールドは剣を捻った。


「モラトリアムとか理想主義とかってだけでクズとか呼べねェんだ、俺は」


 ベクターフィールドにとって、亜紀のような人間は、寧ろ眩しい。


「クズってのは、他人様を利用してる、俺とかお前とか、そういう……悪魔の事だろうぜ」


 ベクターフィールドは捻った剣を振り抜いた。


***


 ――鳥飼裕美さん保護の経緯について。


 翌日から亜紀は報告書に追われる。裕美自らが助けを求めたという事は双方に残されている履歴で明白であったが、ショッピングモールでの大立ち回りは何の注意もなく終えられるものではない。


 まず係長からの大目玉。


 ――ショッピングモールで、しかも一般人もいる前で大立ち回り。一本背負いを決めるは、裸締めで落とすは……、一体、何を考えてる?


 それ以外にどんな解決方法があったんだ、と喉元まで出かかる亜紀だが、それはいわない。


 係長のいう事が正しい。


 ――他にどんな解決方法があったとか、そういう低レベル話じゃない。


 その思考は苛立ちを押さえる効果もある、亜紀が成長したからこそできるものだ。



 暴力沙汰は、どちらかに正義があるとしても、見ている者に恐怖を与える。



 カフェにいた一般人の内、恐怖を感じなかった者は少数派のはずだ。


 ――犯罪者は撃ち殺せって無責任な事をいう人もいるけど、銃は弾だけが怖い訳じゃない。銃声だって十分、怖いんだから。


 だから日本の警察は銃の使用に慎重なのだ、と亜紀は理解している。銃以外にも、柔道や空手の技でも、亜紀が眼前で振った光景は暴力的だ。


 ベクターフィールドならば不祥事もなかった事もできるのだろうが、その依頼だけは亜紀にとって絶対の禁忌てある。


「よっし」


 亜紀はタンッと軽い音を立てさせてマウスをクリックし、報告書を印刷した。


 溜息を吐きながら、机の隅に置いているコーヒーを手に取る。もうすっかり冷めてしまっていたが。


 また溜息が――いや、溜息はブッブー、ブブと特徴的なバイブレーション音で堪えられた。


 メッセージアプリの通知だ。


 ――また金曜は空いてる? 今度はハイスペック男子!


 内容は合コン。


 ――行きます! 仕事あっても無視していきます!


 飛びつくのだから、そこまで追い詰められている訳ではない。

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