第12話「ご迷惑をおかけします」

 結局、ベクターフィールドもハンバーグを食べ損ねる事になった。


 すぐさま亜紀あきが声を張り上げたのだから。


「急いで!」


 スマートフォンを両手で握りしめている亜紀は、裕美ゆみの知らせは決死の思いだと感じている。スピードアップする訳ではないのに、手が白くなるくらい強く力を入れて。


 そんな雰囲気にベクターフィールドも急いでいるが、


「急ぐけど、踏める訳がないぜ」


 それでも午後9時前の道で280馬力を使い切るような運転は不可能だ。かなり荒っぽい運転で車の間を縫うように走らせるベクターフィールドの目は細められ、剣呑な雰囲気になっていた。


「モールの中の、どこだ?」


 乗り込む先を教えろというベクターフィールドへ、亜紀は裕美がかけてきた電話から聞こえてきた音を必死に思い出す。


「ショッピングモール中の……カフェかな?」


 少年の声以外の喧噪けんそうにこそ、ヒントがある。


 喧噪の中から聞こえてきたと思った言葉に「トール」や「グランデ」という単語こそ決め手となった。


「喫茶店じゃなく、シアトル系!」


 サイズをSMLではなくSTGで分けるシアトル系カフェは、亜紀もよく行くショッピングモールであるからこそ場所が分かる。


 いささか強引に交差点を回ったベクターフィールドの愛車は、駐車も乱暴だ。


***


 乱暴に乱暴を重ねた挙げ句なのだから、その先にある光景は簡単になる。


 ソファ席で踏ん反り返っている少年たちは、ちょっとした豪遊気分だったはずだ。


「何に使う? 何、買っちゃう?」


 大股に近づいてくる男女がいる事など気にしないし、気にしたとしても警戒はしなかった。


 むしろ警戒していたのはベクターフィールドの方だろう。パーティションで区切ったスペースはオープンカフェをイメージしているため、通路からでもソファ席が見える。


「女の子の他には3人、か」


 ベクターフィールドは亜紀に下がれとジェスチャーしながら、店内の様子を伺っていた。


 集団の中にいる、ただ一人の女子が裕美だろうか。


 小さくなっているのは逆らえないからか、と考えると、亜紀は急いてしまう気を静めきれない。


「裕美さんに合図か何か送って、こっちに逃がせれば、何かとかなる?」


 スマートフォンを手にした亜紀は、どうしても語尾に疑問符がついてしまう。ベクターフィールドが持ってきた映像に映っていたのは4人だったが、今、カフェのソファに腰を下ろしているのは3人。


 ――今、一人、足りないけど。


 それを好機と見るか否かは、亜紀には判断ができなかった。


 形としては2対3――いや、裕美を庇わなければならない亜紀は戦力外になってしまうため1対3になってしまうが、ベクターフィールドが人間を相手に後れを取るとは思えない。


 しかし4人目に不意を突かれるかも知れないという危険を感じてしまうから、判断に困る。不意を突かれて傷つけられるのが裕美というのでは本末転倒であるし、ここにいない4人目こそ、亜紀が危機感を抱く相手だ。


 ――しかも4人目って、胸ぐら掴んでた子……。


 亜紀は、この場にいない4人目を武闘派の最右翼と捉えている。


 決断はベクターフィールドが下す。


「……頼む」


 自分の心情を察しての決断に、亜紀は素早くスマートフォンの画面をタップし――、


「!」


 突然の着信で裕美が顔を上げた。


 そこへ亜紀が小さな身体で精一杯、背伸びする。


 ――こっち!


 背だけでなく手も伸ばし、大きく、素早く振るう。


 ――届いて!


 祈るような気持ちは一瞬だけで済んだ。


「オイ!」


 少年が声を荒らげるように、裕美は亜紀へ向かって全力疾走したからだ。


 当然、少年は席を立ち、追おうとする。品物と引き換えに会計を済ますシステムであるから、レジに伝票を持っていく必要はなく、足止めもされない。


「このビッチ!」


 口汚い言葉を吐き出しながら店から飛び出そうとした先頭の一人へ、ベクターフィールドが足をかけた。


 2人目もそれに足を取られてつんのめり、突破できたのは3人目のみ。


 その3人目はベクターフィールドに構わなかったのが、ある意味では功を奏した。


「こ……のッ!」


 ベクターフィールドの手から逃れ、裕美に手が届きそうになれたのたから。


 しかし亜紀が裕美と身体の位置を入れ替え、庇える立ち位置に変わる。


 小柄な亜紀であるから、少年には脅威とは映らなかったのが、亜紀とて警察官だ。日本の警察官は、柔道や剣道が義務づけられている。


「シッ!」


 食い縛った歯の間から息を吐き出した亜紀は、裕美を捕まえようと伸ばされた少年の腕を掴むと、くるりと身体を半回転させつつ重心を落とし、背と腰に少年の身体を乗せる。


 鮮やかに決まった一本背負いは、受け身を取れない少年の背を強打させ、息を止めさせた。


「警察です! お静かに願います!」


 倒れた少年を押さえつけながら、亜紀が警察手帳を広げ、騒ぎになりそうな周囲へ示す。そして視線は周囲へ向けつつも、声は裕美に向けた。


「裕美さん、無事ね?」


 亜紀の大声は、裕美が保護対象だと周囲へも告げている。


「……」


 頷く裕美に言葉はなかった。亜紀に電話をかけたのは、文字通りわらにもすがる気持ちから。亜紀が来てくれると信じている気持ちもあったが、来てくれないと思う気持ちも、当然、存在していた。それでも来てくれた亜紀へ、他の言葉などはない。


 ホッとしている裕美とは真逆に、転んだままの2人は目を白黒させる。


「警察……」


 ベクターフィールドは2人を見下ろしたまま、


「いっとくが、未成年だから見逃して貰えると思うなよ。少年法があろうとなかろうと、逆送っていうのがある」


 ベクターフィールドは態と声を低く作り、二人へ投げつけるようにいう。


「都合の良い時だけ子供だ少年だって使い分けるクソガキは、薄汚い大人の犯罪者として扱ってやるって制度だ。家庭裁判所に送られたからって、検察官へ送致し直す事ができるんだぜ、日本の司法制度は」


 この3人も普段ならば、何をいわれても平然と言い返せたのだろうが、言葉を向けているのが魔王というのであれば話は別だ。


「死刑、懲役に相当する事をやった奴は、ガキじゃないからな」


 その声は、地獄の底から――そんなものがあるとは知らない3人であるが――響いてくるようなものだ。


「ひいいい……」


 没個性としか言い様がない悲鳴をあげる。


 しかし蹲ったのは一人だけだ。


 もう一人は起き上がると、その場から逃げ出す。


「取り押さえとけ!」


 ベクターフィールドは亜紀に向かってそういうと、逃げた少年を追った。

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