第10話「魔王の取説」

「この子の名前は、鳥飼とりかい裕美ゆみ


 亜紀あきはベクターフィールドが運転するスポーツカーの助手席で、スマートフォンの画面を見つめていた。ミニバンの後部を写した写真には、少女――裕美の姿は確認し辛い。


「あんまり裕福な家でもなく、また両親との折り合いも悪い……そんな中学生・・・よ」


「中坊?」


 顔をしかめたベクターフィールドに、亜紀は「そう」と頷く。


「深夜のコンビニの入り口付近に座り込んで、友達と大声で話して時間を潰してる……そんな子。時間は腐る程あるのに、お金はない」


「そりゃ、中坊が金稼ぐ手段なんてねェわな」


「補導歴は、ここ一年で3回。私だけでそれだから、もっと多いと思う」


 溜息を吐く亜紀は、補導しているのだから、裕美との関係を良好とはいえない。四角四面にしか対応できない亜紀なのだから、心を開こうにも開きようがないというものだ。


 ベクターフィールドにはいえないが、亜紀は裕美の家庭の事情も知っている。父親は運送会社に務めており、それなりの収入はあるのだが、家を留守にしがち。その収入も大半は自分の小遣いにするような性格であるから、娘に対し、どう接しているかは想像に易い。母親も同様だ。


 時間があるが金がない――そんな女子中学生が稼げる方法、それも簡単とつくのならば、いくつか危険な仕事が存在している。


 亜紀ははばかるが、ベクターフィールドは遠慮なしにいう。


「成る程。児童売春か」


 直接的で亜紀も鼻白んでしまうが、そういう事である。


「補導した事はあるか?」


 横目で見遣ってくるベクターフィールドに、亜紀は人差し指を立てて見せ、


「……1回……」


 あるのだ。


 だからこそ今、ミニバンに乗った裕美を怪しんでいる。


「……あーあ」


 視線を前へ戻しながら、ベクターフィールドは鼻を鳴らした。


 ――買う方も買う方、売る方も売る方だろう。


 今更、需要がどうの供給がどうのと話をする気はないし、そもそもベクターフィールドは事の善悪など判断できない。


 ベクターフィールドの行動は単純に完結している。



 契約を守る・・・・・――それだけだ。



 そして亜紀との契約は、「亜紀が必要だと思った事件について、全ての能力を使って協力する事」なのだから。


 ――批判するのは契約に入っていないぜ。


 ベクターフィールドはそういう存在だ。


「その1回……私が補導した3回目に、絶対、止めるって約束してくれたのよ」


 亜紀が相談できるのも、心配なんだと訴えられるのも、同様の理由といえる。


 ――嘘吐かれてなきゃいいが。


 人が良すぎるだろうと思うベクターフィールドだが、それもいわない。口にする言葉は一種類のみ。


「手を貸すぜ」


 約束してくれた者を信じるのは、亜紀の信条だ。信条、約束――ベクターフィールドが絶対に守るものではないか。


 ベクターフィールドはパンとハンドルを叩いた後、


「一度、アパートの方へ戻るぞ。ミニバンの行き先は分からん」


 亜紀のアパートに車を横付けにした。


***


 午後10時を過ぎたとはいえ、部屋で待っている亜紀の飼い犬は飛び起きて駆け出てくる。


「おーおー、ちまちゃん。相変わらず美人さんだぜ」


 しかし駆け出てきたコーギーの仔犬に伸ばされた手は、主人ではなくベクターフィールドだった。


「ふん、ふん」


 亜紀の愛犬・ちまは、鼻を鳴らしながらベクターフィールドの手に額を擦りつける。


「ネコ派だと思ってた」


 一人と一匹の脇をすり抜けてリビングへ荷物を置きに行く亜紀は、ベクターフィールドが犬派という事が不思議だった。


「豪華な椅子に座って、長毛種のネコを撫でるのが好きそうだと思ってたけど」


 それでは魔王と言うよりも黒幕といった風情になってしまうが。


「俺も、偉くなったら、そうしてればいいんだと思ってたよ」


 ちまの額を撫でながら、ベクターフィールドは深く溜息を吐く。


「けど悪魔っていうのはホトホト嫌になる。時間にはルーズだし、おまけに平気で嘘を吐く。自分で出向いた方が心も身体も楽だ」


 二度目の溜息を吐くと、ちまがベクターフィールドの手から離れ、背伸びするような仕草と共にベクターフィールドの顔に鼻を近づける。


「元気出せっていうのか? 優しいな、ちまちゃんは」


 ちまの鼻先にキスをして、ベクターフィールドは立ち上がった。


「動物はいい。絶対に嘘を吐かない。行動に打算がない」


「……」


 そんな言葉は、どうしても亜紀には魔王に相応しいとは思えない。


「方針を決めようぜ」


 何をいおうとしているのか分かっている分、ベクターフィールドの行動は早かった。亜紀の切り替えも同様に。


「この持ち主の特定をお願い。まだ事件化してないから、このナンバーから車輌の持ち主を照会する事はできないの」


 一昔前ならば、一般人でもナンバープレートから所有者を割り出す事は比較的楽だったが、現在では不可能となっている。警察の権限ならば可能であるが、それは事件化してからの話だ。事件でもないのに照会を行う事は、権力の乱用に繋がりかねない。


「……車体ナンバーも知ってたら別だろ?」


 確かに陸運局にプレートナンバーとボンネット下の車体ナンバーを持っていけば照会できるが、


「私が知ってると思う?」


「思わん」


「真面目に話して」


 亜紀がしかめっつらをすると、ベクターフィールドの背中にちまが両足を乗せてきた。


「うん、すまん」


 亜紀に対しては素直に出さない言葉だが、ちまに対しては素直に出す。


「……お願いね」


 亜紀も複雑な心境だった。

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