第3章「喪女の婦警・甘粕亜紀の日常と仕事ぶり」
第9話「地雷原を抜けてみたら……」
スマートフォンの画面を見ながら、
――何故……。
浮かぶのは疑問。
場所は居酒屋の席。昨今の流行に乗ったおしゃれな空間は、女子会や合コンで人気の完全個室だ。
そこで亜紀は……、
――なんで私は、スマホで小説を読んでるの……?
合コンに参加しているはずなのに、スマホと
――あれ? 何分、話してないっけ?
そう考え込む程度に、口を利いた覚えがない。
では食べているのかといえば、それも違う。
――シーザーサラダ、チョップドサラダ、アンチョビソースの野菜ディップ……この世には、どれだけサラダがあるんだろう?
テーブルの上に残っているのは、女性陣がこぞって注文したが、殆ど手を付けられていないサラダばかり。
――なくなっていくのはフライドチキンとかローストビーフとかなんだけど……。女子力? 女子力って何?
先程から亜紀の視線は、スマートフォンとサラダにしか行き来していなかった。食べたいものがない、話しかけるきっかけもない。
しかし話し掛けてくれる男は、今、来た。
「あぶれちゃった?」
かけられた声は唐突だとしか感じられず、亜紀は思い切り肩をふるわせてしまったが。
「え!?」
顔を上げると、空いていた隣の席に男がグラスを片手にやって来ていた。
「そろそろ酔ってきた? ジュースの方がいいかな? あ、お茶?」
「大丈夫! まだ酔う程は呑んでない……です」
目を白黒させる亜紀に対し、男は「そう」とグラスを手渡してビールを注ぐ。
「確か、車が好きっていってたっけ。ドライブ好き?」
自分へは手酌でビールを注ぎ、男は軽く亜紀とグラスを重ねた。
「ええ。ちょっとスピード出す感じで……」
亜紀は、警察官としてはダメなんだけど、という言葉を隠す。
――最近は、あんまりないけれど、クーペが好きで、でもお金がないから、今は軽に乗ってます。
と、続けるつもりだった。亜紀が警察官を目指した理由は、子供の頃、父親と見ていた刑事ドラマの影響だ。リアルさよりも娯楽性を重視した20世紀のドラマは、
だがビールを一口、飲み込んだ男は、「そっか」と明るい声を出し、
「俺、新しい車、買ったとこなんだ」
それは亜紀にとって有り難い話題――ではなかった。
亜紀は
「床が低いミニバン。で、俺、ステレオに
ワイド&ローのミニバンに、ウーハーを効かせられる音響を持った、個室ともいえる車――確かに車が好きで、凝り性なのだろうが、それは亜紀の好みとは真逆の車だ。
「凄そう……ですね」
亜紀の返事は短く、単純だ。話を必死で合わせようと試みるも、そもそもミニバンには好きな車種すら存在しない。
しかし男の方は得意絶頂と続けていく。
「もっとさ、いっぱい恋愛したいとか思わない? 素敵な店見つけて、うまいものジャンジャン食べて、もっとおしゃれして、行ったコトのないトコへ行って、楽しい事いっぱいして。そういうコトできる時間って限られてる訳。もっと楽しまないと、悔いが残るっていうかさ」
恐らく、この男はそれ程、モテる訳ではない。どことなく言葉が抽象的で、どこかで誰かから聞いた言葉だと思わされるのだから。
それに合わせようとする亜紀も
「は、はい、そうですね」
必死で繋がる言葉を探していく。
「車って、自分で色んな所に行けるから、いいですよね。便利なのは電車が便利ですけど、精神的な自由さが違うって感じて……」
「そうそう」
男も乗ってくれた。
が――、
「あ、でも俺、走り屋とかいう連中は嫌い。無意味に回転数上げて、排ガスまき散らして、ムカつく」
「俺も
踏んだどころか、踏み抜く。
だが亜紀は――、
「そう……かも知れないですね……」
話を合わせてしまった。
***
だから午後10時頃、亜紀はぼんやりと一人で帰る羽目になる。
一緒に合コンに来ていた同僚たちは、二次会に行くなり、仲良くなった男と抜け出すなりしていたのだが、亜紀には、その必要がない。
最早、足取りはトボトボだ。
そのトボトボ足を止めたのは、特徴的な二つの光。
「あ、コンビニ」
何かつまめる物を買っていこうかと足を止めさせたコンビニのネオンサインと――、
「じゃ、行こうか」
「……うん」
亜紀の耳には、そこまでハッキリと声が聞こえた訳ではない。
しかし亜紀の持つ刑事の勘、適性とでもいうべきものが耳には届かずとも、性根、心の方に届かせた。
そして心が振り向かせた目に映ったのは、白いミニバンと……、
「え!?」
亜紀に驚きの声をあげさせる、助手席に座っている少女。
その少女に見覚えがある。
防犯課少年班の仕事で見知った少女だった。
コンビニの駐車場で深夜でも
亜紀の持つ様々な感性が告げた。
事件。
「ッ!」
停車させる事はできないが、
その画面を確認しながら、路地裏に入る。
口にするのは――、
「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」
その四句は亜紀の切り札を召喚するもの。
ぼんやりとした光と共に現れ出でるのは、魔王ベクターフィールド。
その魔王は――、
「……く、くすす……」
丸くなって眠っていた。
「……」
亜紀が絶句していると、ベクターフィールドは「ごふッ」と咳をして、目を開ける。ぼんやりとした印象を受けるが、それは一瞬の事で、ベクターフィールドはすぐに目をつり上げさせた。
「……おい」
自分が自室のベッドで寝ている訳ではない、と気付くまで時間はかからない。
しかし睨まれている亜紀はといえば、呆れた顔。
「まだ10時を回ったところよ?」
「自分が寝てないからって、他人も寝てないとは限らないだろうが!」
何でこんな時間から寝てるんだという亜紀だが、ベクターフィールドとしては就寝の時間だ。
そして亜紀に不満があるとすれば、ベクターフィールドが着ている服もそうだ。
「それに、何を着て寝てるの?」
亜紀が肩を落としてしまうベクターフィールドの服。
チョコレート色をしたクマの着ぐるみパジャマだ。
「暖かくて風邪引かないからいいんだよ」
ベクターフィールドは面倒臭いと頭――とはいえ、耳の着いたフードがある――を掻いた。
「俺より、そっちは何だよ? 珍しく化粧して、スカート穿いて」
「……合コンの帰り……」
素直に言う亜紀も亜紀かも知れない。
ベクターフィールドは首を傾げ、
「だったら帰るの早いだろ。何時だと思ってんだ? 寝てる
いわれるまでもなく、亜紀も合コンの結果には焦っているのだが、
「そんな事より!」
不毛な言い争いをしている場合ではない、と大声で遮る。
「手を貸してもらわなきゃならない事件が起きてるかも知れないの!」
亜紀は先程、撮った写真を示すのだった。
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