第8話「死神と言う事」
血だらけの大男が
霊――冥府が怖れる事態の発生である。
寿命や
これが死神を撃退した霊かと考えるよりも前に、八頭は動いた。その刹那に訪れた直感が、死という結末を回避させる。
「!」
風を伴って振るわれた拳は、有り得ないスピードと重さを有している。
それに対し、前進しながら
いや、八頭は十分な勝機を持って前進した。
拳の軌道が弧である事を直感した八頭は、
殴るのには向かないオモチャの刀であるが、霊に触れた時に限って言えば、劇的な威力を発揮する。
霊を覆っているプラスの衣は、マイナスの性質を持つ武器で打ち消す事ができるからだ。
最も分かり易いのが電荷であり、樹脂はマイナスの電荷を帯びる性質を持つ。
樹脂の刀でも霊の衣を両断、
その大立ち回りは、食材を載せたカートをひっくり返してしまうが。
「何だぁ!?」
霊を見る事のできないシェフと助手は、その衝撃に顔を顰めさせられたが、八頭は無視してエレベータを飛び出した。
――早く!
自分の存在に気付かれている事が、八頭に軽い焦りを生ませている。追いかけるアズマの声は、それを制するように出された訳ではないが、警告になる。
「八頭さん!」
八頭とアズマは、後続の霊を見た。ふわふわと宙に浮く霊は、エレベータが開く瞬間を狙ってきた人型ではない。
――対処が変わる!
八頭を焦らす霊は、コウモリや鳥の姿を取っている。
八頭はもう一度、走り抜けながら刀を振り抜く。だが物理的法則に支配されていない霊に対し、刀の術理は万能ではない。銃があればとも思うのだが、貫通や両断――
刀を横薙ぎに振うと、どうしても切り返しが弧を描くようになってしまい、速度を犠牲にしてしまう。
それが一割程度の犠牲だったとしても、鳥の霊にとっては止まっているに等しいスピードだ。
霊の突進、そして接触。
「
霊との接触は、感電のような痛みを八頭の身体に走らせる。顔を顰めさせられる程度では済まず、身体を硬直さられれば攻撃する手が止まってしまう。
それでも刀を持つ手に力を入れ直し、振るう。硬直は死に直結する。抵抗を止める訳にはいかない。
――大丈夫!
刀を振るう八頭が繰り返しているのは、祈りか? 違う。
――チャンスなんだ!
霊との乱闘は、警備員たちにとっては怪現象のオンパレードだ。
――出るしかねェだろ!
VIPルームに報告するしかないというのが、八頭が見出した活路である。こう言う場合は電話や無線よりも、口頭に限る。
「あ、あーうー……」
参戦しようかと迷った顔をするアズマへ、八頭は戦いながらも目配せした。
――大丈夫。心配するな!
アズマの性格が戦いに向かない事くらい心得ている。人に対しても霊に対しても、アズマは攻撃を加える事ができない。
「確認に走れ!」
その時、警備員の一人が廊下の奥を指差したのが見えた。
確認――宣告相手を護る女呪術師の元へ行けと告げたに違いない。
ならば一も二もなく、八頭は走る。
八頭が見えていない警備員に警戒心はない。少なくとも八頭に対しては。
異常事態であるが故に開けるしかないドア。
それこそが活路だと飛び込む八頭であったが、その視界に足を止めそうになる霊が飛び込んでくる。
「う、牛!?」
八頭に
1トンクラスの牛――牛相撲の横綱級である。
八頭は反射的に刀を水平に構え、突きの態勢を取ったのはよかったが、その突きは放てなかった。
――貫けるか? 無理だろ!
一メートル程の刀は、牛を貫き通すには心許ない。
心許なくとも、敵は無慈悲だ。
牛が後ろ足で地面を掻く仕草を始める。突進する気だ。
対して八頭は、ピンポイントで急所を断つかと思案顔。
――眉間を斬るか?
自我のあった頭と、心のあった胸は、霊になっても急所だ。
だが一瞬でも逡巡してしまっては、闘牛の突進には対処できない。
「ぎ――」
吹き飛ばされた八頭からは、悲鳴すらない。
その視界に入ってくる女がいる。
呪術師だ。
浮かべている冷笑が、この牛こそが死神を撃退した霊だと告げている。視線に込める言葉も、また冷ややか。
――無駄な努力の末、消え去りなさい。
八頭は吹き飛ばされたのだから、展開は一方的だ。眉間を割るには程遠い。霊の
「が……げ……」
立たなければと身体を起こす八頭は、それだけなのに気力と体力を総動員させられている。
すぐには足が立たない。
牛は、また後ろ足で地面を擦る仕草をしていた。それを見ている八頭が、女死神の言葉が思い出す。
――この任務中、あなたの身に何があろうと、冥府は何も関知しません。
ここで死んだとしても、生き返れる訳ではない。
牛が走りだそうとする動きが、いやにスローモーションに見えた。それは死に瀕していると言う事でもある。
だが八頭を庇うように割り込む、青白い光が。
「八頭さん!」
稲妻だ。
稲妻は、それこそ霊の弱点であるマイナスエネルギーの塊なのだから、女呪術師も目を剥かされる。
「!?」
アズマが放ったの強烈な一撃は、女呪術師に一つの事実を突きつけた。
――雷獣じゃない……。
アズマの正体。
――あの子、
この世に関わってはならない摂理の中にいる存在であるからこそ、今まで――人が霊に殺される瞬間まで、無意識のうちに手を出せずにいた。
そして、勝負は決する。
廊下で荒れ狂う稲妻は、電気的な設備を破壊して回ったのだ。
「チッ」
舌打ちしながら女呪術師が姿を消す。もう八頭の正体を暴いたとしても、警備に穴が開く。
***
機能が停止してしまった病室へ、八頭は身体を引き摺りながら入る。
「……」
老婆の目はハッキリと八頭の姿が映っている。死期が来ているからだ。
時刻を確認すると、午前2時40分。
「帰れ……出て行け……」
老婆が怯えた目を向けながら、不自由な身体で身じろぎする。
八頭も思わず足を止めてしまうが、
――いや、ダメだ。
同情してはならない。それは禁じられている。
言いにくい言葉であるが――、
「死は、平等です」
八頭に代わって言ったのは、女死神。八頭に続いて部屋に入ってきたのだった。
その女死神に対しても、老婆は首を横に振る。
「まだ……しなければならない事がある……。終わっていない……」
嫌だ嫌だと繰り返すように。
だが女死神は、ただ告げるのみ。
「親類の涙に囲まれて、恋人を残して、または誰にも看取られない者にも、死は平等。もう終わったのです」
その一言は、何とも残酷だった。
誰も見守っていない場所で、この老婆は死ぬ。
「――」
尚も老婆は何かを言おうとしたが、時計が2時44分を指した時、その目を静かに閉じさせられた。
「ご苦労様」
女死神は八頭を一瞥した。
八頭のやるせない顔も、女死神は考慮しない。
ただ慣れろと言う事か。
***
八頭が帰路についたのは、結局、朝になってからだった。
死を告げる事は、どうしても慣れない。
あの老婆の最期を見ては、トボトボとしか歩けないではないか。
だが
「あらー、八頭君!」
顔を上げる八頭に向かって、手を振りながら小走りにやってくるのは、顔見知りの老婦人。
「ウサちゃんも一緒? 今朝もおイモをレンジでチンしたの。いかが? ウサちゃんと一つずつ」
紙袋から焼き芋を出そうとするが、八頭は片手を上げ、
「?」
首を傾げる老婦人。
八頭は笑顔を作りながら、
「一つでいいですよ。半分こして食べると、
「あらあら、そうね。はい、半分こ」
熱々をアズマと一緒に囓ると、甘さが腹から全身に回っていく。
――おいしいね!
アズマの目が告げていた。
死は平等にやってくるが、慣れない。
それでも続けていこうと言う気だけは保ててくれる。
「約束した日から、まだ3年も経ってないしな」
八頭が非正規の死神を引き継いだ理由。
若くして死んだ恋人の、最期の言葉だった。
――理不尽な事が多い仕事だけど、必要な時もあるから……。
正確に覚えている訳ではない事に、八頭は苦笑いさせられる。死神が見とれなかった者は、昨夜、八頭の前に立ちはだかった血だらけの男と同様、呪術師によって奴隷のように扱われる。そんな霊に狙われる人間もいる。
――やらなきゃな。
義務感は、彼女が残した言葉の内、一言だけであるがハッキリと覚えている言葉があるからだ。
――二人で食べるから美味しい。
一緒におやつを食べる度に、彼女が言ってくれた言葉。
――おいしいね!
そして今も言ってくれるアズマがいるから、続けられる。辞めるに辞められないのではない。
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