第7話「深夜病棟」

 その病院は、街の中心部から若干、離れた場所にある。中心地の騒がしさから隔離し、同時に交通の便を確保するよう計算されて建てられたからだ。


 しかし「病院」とは名ばかりと言う事は、存在を知っている者にとっては常識だ。



 最上階ともなるとスィートルーム顔負けの設備が揃っている。



 ベッドルーム44畳、ミーティングルーム28畳という広さを持つ病室では、派手な身なりの女が腕組みをして、2メートル角のベッドに横たわっている老婆ろうばを見遣っていた。


 その老婆こそが、死神から告知を受ける相手であり、見遣っている女が死神を撃退した存在だ。


「死神は、引き潮・・・と共にやってきます」


 女はスマートフォンを見ならがらいった。八頭のように冊子の潮見表など見ない。現在時刻も干潮時刻も、今はそれだけで事足りる。


「次の干潮は3時前。それ乗り越えられれば明日までは大丈夫」


 女に「明日まで」といわれる通り、ひゅーひゅーと肩で息をしている老婆の顔色は、相当、悪い。「死神に取り憑かれている顔」があるならば、この老婆の顔こそがそれだ。


 それでもサイドテーブルに載っているブドウに手を伸ばしては、忙しなく口元へ運んでいるのだから、まだまだ死ぬ気などない。


「頼むぞ」


 ブドウを口に含んだまま喋った老婆の声は、聞き取りにくい程、しゃがれていた。


「はい」


 女は短い返事と共に一礼する。


「決して安くない金額をいただいていますから」


 だから仕事に移る、と老婆の前を辞した。


 隣接するミーティングルームに入ると、テーブルに並べられている道具に視線を一巡させ、緊張感を張り直す。


 おどろおどろしい道具は、どう使うのかは本人にしか分からない。


 しかし金箔を貼ったドクロや毒虫を使う仕事と言えば、想像に易い。



 呪術師・・・



 死神の迎撃を依頼するには、最もポピュラーだ。


 机に並べられている品々の配置を見直した後、蝋燭と香に火を灯す。


 黒い革張りの本を片手に何事かを唱えれば、香から立ち上る煙が、ゆっくりと渦を描き始め……、


「――」


 女呪術師が口にした呪文は、文字では表記しがたい。秘儀に含まれるものであるからか、他者が明確に聞き取れる声にしないのが女呪術師の流儀だった。


 その呪文によって、蝋燭の炎でオレンジに染められていた香の煙が徐々に暗い青へと変わっていく。


 青から藍色、そして紫へと変わり、最後に黒く染まった所で、女呪術師はまるで上着でも掛けるかのように手を振った。


 その手の動きに合わせるかのように、宙に人形が結ばれる。



 霊が出現したのだ。



 女呪術師が振るったのは、死神が持っていた衣と似ている。包み込む事で、本来、風に溶けてしまう程、虚ろな存在である霊を実体化させるを作った。空気や人の肌、木と同じくプラスのエネルギーで包む事によって霊――虚を正負の存在にしている。


「さ、配置に就きなさい」


 女呪術師の言葉に従い、霊が動いていく。


***


 ――最上階のVIPルームに繋がっているルートは、地下駐車場からの直通エレベータのみ。その地下への入り口には警備員がいて、ドアの開閉は病室からの指示で行われる。当然、病室前の廊下にも警備員はいる。


 夕食代わりの焼きイモをかじりながら、八頭やずは死神から預かった資料に目を通していった。正規職であれば、物理的法則を無視して登ってしまうのだろうが、非正規職である八頭は無理だ。隠れ蓑があるため警備員は無視できるが、ルートは正規ルートを取る必要がある。


 正規ルートを使う方法も、全て自分で考えろと言われていたならば、八頭も今夜、宣告に行く事は不可能だった。


 しかし資料には、その正規ルートを使える可能性に繋がる情報も記載されている。


 ――開閉できるのは、病室の他に最上階専用の厨房もか。食材の納入記録……。


 老婆が食べていたブドウなどは、それこそ保存されているものなど出されない。果物にせよ野菜にせよ、朝摘あさつみが基本だ。肉や魚も、一度でも保存へ回されたものは搬入されない。



 つまり食材の搬入は、日に何度も行われる。



 ――こんな冷えたイモなんか、絶対、食べないんだろうな。


 そう思う八頭であるが、自分の食生活が貧しいと思った事はない。冷えていても、これはアズマを褒めた老婦人がくれたものだ。不味いはずがない。


 イモを平らげた八頭は、結論を出した。


「厨房だな」


「御飯が運ばれるとこを狙う?」


 アズマの問いかけに、八頭は「ああ」と頷く。


「そうするしかない」


 焼き芋を持っていた手に武器を持ち替え、八頭は地下へ入ってくる通路へ目を光らせた。食材は選別から運送まで、シェフと助手が二人で行っている。手間は増えるが、増員できないからだ。信頼できる人材とは、それ程までに得がたい。


 時計は気にしないようにしていた。時間厳守と言われているが、それを気にして見逃してはたまらない。


 一分が一時間にも感じられる緊張感の中、パッと八頭の顔を照らす光が現れる。


「!」


 地下駐車場を照らすライトだ。


 ――トラックだ!


 八頭は紛れ込む予定のトラックへ向かうが、トラックが来るタイミングを狙っていたのは八頭だけではなかった。


「待って!」


 アズマが止めなければ、八頭は飛び込んでいただろう。


「!?」


 シェフと助手へと向けられた、一際、強い光はカメラのフラッシュ。



 パパラッチだ。



 八頭の隠れ蓑は写真に弱い。心霊写真のように映ってしまう事がある。トラックへ近づいていたなら、その存在を知られてしまうところだった。


 だが幸い、アズマの制止で踏みとどまれた八頭は、存在が露見していない。


「何だ、お前は!」


 シェフが退散させるため怒鳴った相手も、パパラッチのみ。


 そしてパパラッチは、いつもの事だ。ここに入院する患者は、皆、ごとき存在なのだから、正体を暴きたい欲求は誰にでもある。


「全く……。ハイエナが」


 いつもの事であるから、警備員もシェフも退散した者など気に止めない。そもそも警備は万全だ。ホテルに食材が運び込まれる程度の事ならば激写と言えまい。


 しかし八頭にとってはいつもの事ではない。


 ――ああ、心臓に悪い……。


 カートを押す二人に交じってエレベータに乗った八頭は、早鐘を打つ心臓に手を当てていた。面倒ごとは避けたい。


 ――到着まで我慢だ。


 最上階と地下しか結んでいない専用エレベータであるから、当然、浮遊感を楽しめるくらい高速。


 到着音は、ショッピングモールのエレベータと大差ない。


 だが扉が開いた先で見たものは、八頭とシェフとで違っていたはずだ。


 シェフと助手は平気で出て行くが、八頭は息を呑まされる。


「ッ!?」


 八頭に見えて、他の二人に見えなかったのは、拳を振り上げた血だらけの大男であった。

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