第6話「非正規の死神へ告げられた」

「ただいま」


 八頭やずがアパートの玄関を開けると、居室から飛び跳ねながらウサギが出てくる。立派なたてがみ・・・・を持ち、ウサギの割に短い耳を持つ弾丸毛玉・・・・の品種はライオンヘッド。


 だが眼前に出て来た者に関して言えば、ウサギではない。


「おかえりー!」


 言葉を発するのだから。


 ぴょんぴょんと八頭の周りを飛び跳ねる彼の頭へ、八頭は買い物袋を持っていない方の手を伸ばす。


「ただいま、アズマ」



 頭を撫でる八頭の手に、軽くパチッと静電気を走らせてしまうアズマの正体を雷獣・・と言う。



 いつもの事であるし、LDKに入る八頭にはもっと気になる事ができた。


「いい匂いがするな。何か食べた?」


 八頭の鼻をくすぐったのは、皿に載った焼きイモ。アズマは胸を張るように背を反らせて、


「隣のおばちゃんにもらったんだ。ウサちゃん、お留守番して偉いねって」


 八頭の部屋はペット可の物件の一階であるから、庭へ自由に出入りできた。庭は植え込みで生活道路と隔てていて、そこは、時々、アズマにおやつをくれる老婦人の散歩コースでもある。八頭も顔見知りだ。


「お礼を言わないとな」


 子供も独立し、安アパートではあるものの悠々自適の生活だよと、よく笑う女性は、老婦人というよりも「おばあちゃん」と言う言葉がよく似合う。


 そんなおばあちゃんからもらった焼きイモの、アズマが最も好きな食べ方は……、


「半分こしよう。八頭さんの分ね」


 それに気分を良くする八頭だったが、鞄の中でスマートフォンが鳴動すると現実に引き戻され、表情を曇らされてしまう。今日の仕事と、そしてこれからの仕事を思うと、思わず溜息を吐かされるくらい。


「おっと、晩ご飯、早くしようか。来客があるんだ」


 買い物袋をキッチンに置き、冷蔵庫から茶を出したところで、インターフォンが鳴らされた。



 来客だ。



 カメラ付きのインターフォンを見ると、外にはおばあちゃんと同じく顔を思い出せる程度の知り合いがいる。


 昼間、老爺ろうやを送った女死神だ。


「はい」


 一言、告げた八頭は、返事を待たずに玄関へ急ぐ。


「帰宅したばかりで、散らかっていますけど」


 八頭は気を遣ったつもりで言ったが、嫌みになっていた、とLDKへ案内しながら思った。2LDKは独り身の八頭には十分すぎる程、広いが、物が多い。整理しなければすぐに散らかる上に、生来の物臭から何かを取り出せば手元に置けば置きっぱなしにしてしまうため、居室の居場所は本などで溢れかえっている。


 女死神には愛想笑いもないが嫌な顔もない。


「私も急ぎましたから、大丈夫ですよ」


「どうぞ」


 ダイニングチェアに腰掛けた女死神へ、茶を入れたグラスを置いた八頭であったが、女死神は片手を上げて謝辞を示す。


 用件を早く済ませたいと言う理由は――、



「今日の昼過ぎ、宣告に向かった死神が消えました」



「昼過ぎ……?」


 慌てて周囲を見回す八頭だったが、女死神はスッと捜し物を差し出す。


 潮見表しおみひょう


 毎日の満潮と干潮の時刻を記しているものであり、これが意外にも、死神には必携の物となっている。


「今日の干潮は12時57分でした。次は翌日午前2時44分」


 干潮時刻を重要視するのは、その時刻こそが死を告げるタイミングだからだ。


 12時57分は、宣告へ向かったまま消息を絶ってしまった者がいると、この女死神が連絡を受けた時刻である。


「撃退された可能性があります」


「いたんですね、そう言う人」


 八頭はウンザリした顔をした。死神さえ来なければ死ぬ事はない――理屈としては正しいのかも知れないが、それを実行できる者は希だ。


 金持ちか、それに類する特殊な者しか、そんな特別な手段は講じられない。


 ――希な事態だから、対応は非正規か。


 自嘲しつつ八頭が見遣る女死神は、流石に無手で行けとは言わない。


「隠れみのは支給されます。調査をお願いします」


 女死神が肩に掛けていた鞄を押しやった。


 中身は今日、見送った老爺にかけていた、限りなく透明に近い布であるが、性質は異なる。


 隠れ蓑の名の通り、羽織る者の姿を隠してしまうものだ。


「無茶はしないで下さい。万能ではないですよ」


 死神を撃退できる存在なのだから、隠れていても見つけられる。


「では」


 そして正規職員である女死神は、用件を話しただけで席を立つ。友達の部屋に来た訳ではない。


 ただし玄関を出て行く寸前に、一言。


「仕事は時間厳守。そして、この任務中、あなたの身に何があろうと、冥府は何も関知しません」


 非正規職に、身分の保障など皆無だ。


「はい」


 八頭も言葉短く、女死神を見送る。


 そして玄関のドアがアパート特有の重い音を立てると、同時に溜息を吐いた。それは今日、最も深く、故にアズマが心配そうに見上げてきた。


「大丈夫?」


 そう訊ねられても、八頭は「大丈夫」としかいえない。しかし曲がり形にも神と呼ばれる存在を撃退できるのだから、それ相応の能力を持っている相手だ。それに対し、非正規の八頭は、あくまでも人間である。


 死神から支給される道具も、あまりにも貧弱だった。渡された鞄が全てで、今回も武器はない。


「うん、まぁ……辞めていいなら、辞めるけどな」


 八頭の答えは、いつも中途半端だった。辞めるに辞められない理由がある。殊更、それを語らないのは、ペラペラと話す事ではないと思っているからだ。


 ――午前3時前か。


 それまでに対象者の眼前に立たなければ宣告ができない。


 パンッと一度、両頬を叩く八頭は、腹を括った。


 クローゼットに納めてある自前の「武器」を見る。


「大丈夫?」


 アズマが首を傾げるくらい、八頭が手に取った武器は心許ない。



 模造刀とも呼べない、樹脂製の刀身を持つおもちゃだ。



 だが八頭は、いつもの事だと鼻先で笑い飛ばす。


「何とかなる」


 樹脂製の刀は人を傷つけるには向かないが、それだけだ。


「新しい樹脂に変えた」


「インターネットで、法具とか刀も売ってるよ?」


 ちゃんとしたものを持つ方が良いのではないかと言うのが、アズマの心配だが、その答えはいつも同じ。


「金がねェよ」


 支給されない限り持てない道具だ。そして非正規職の八頭に支給されるような武器ではない。


「晩ご飯は……このおイモにしよう。出かけてくる」


 死神から支給された衣とおもちゃの刀は片手に纏めて持つ八頭は、アズマがもらってきた焼きイモだけは丁寧に持ち、部屋を出た。

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