第17話「彼女が嘗て僕に言った」

 もし本当の鳥であったならば、高々、二羽の鳥に八頭やずを上階へ運ぶ力などない。例えカンムリワシでも、177センチ65キロの八頭は重い。


 だが鳥は物理法則に支配されない霊であるが故、八頭がしがみついて尚、クリスの元へと飛んだ。


「?」


 その光景に、クリスが眉根を寄せる。


 ――人?


 何故、霊に掴まって人間が昇ってくるのか?


「ははッ」


 思わず笑ってしまう程、クリスには何も理由が思いつかない。


 ――こいつの友達? いや、だったら乗り込んでくる前に、大声で知らせればいい。なのに乗り込んでくる?


 霊を相手に退屈していた所へ現れた八頭は、クリスに予期せず頬の片側を釣り上げ、楽しみすら思い浮かべてしまう。しかも腰に模造刀を差している事も見て取れる。


 恐るべきは、それらの観察を霊の相手をしながら行えた事か。


 霊の足から手を離して廊下へ降り立った八頭は、模造棟の柄に手をやるが、


 ――バレてんだろうな。


 クリスが自分の腰にあるのが模造刀だと見抜いている、と直感した。


 模造刀と真剣の最も違う点は、鞘である。


 美術品としての側面がある日本刀は、刀身が鞘に引っかかっただけで傷が付く。


 霊に向かってナイフを振るいながら八頭を観察できるクリスは、当然、違和感を持っている。知識がなくとも、違和感は状況を掴ませるヒントだ。「ならないかも知れない」と考えるのは、楽天的過ぎる。


 事実、クリスは見抜いている。違和感は模造刀ともいえないオモチャ以外にも感じる程、感性を刺激されながら。


 ――作り物で何しに?


 八頭の行動、仕草、装備、その一つ一つ食い違う不合理さが、クリスにとっては、一言――、



「実にいいな」



 不条理、不合理――それを馬鹿とは笑わないのがクリスだ。


 そして刺激された記憶がよみがえる。


 ――あぁ、ガキがいた。


 もう随分と昔の事だった。


 ――ハーフの子供と、ツレだ。


 いつかは思い出せないクリスだが、二人の顔と行動は覚えている。


 ――二手に分かれて逃げようとした……のは見せかけで、片方が片方を逃がすために自殺しやがった。


 逃げた振りをして居残った一人から、クリスは命を取り上げた。


 そして翌日……、


 ――もう一人も、自殺しに来やがった。


 友達を死なせ、自分だけ生き残ってしまった罪悪感か、ハーフの子供はクリスの元へ自ら現れた。


 結局、二人とも死ぬ事になったのだから、全くの不条理である。


 しかしクリスは、バカだと嘲笑あざわらう気にはならない。


 ――人間は面白い。何を考えてくるか分からん。


 その二人の子供も八頭も、何かを必死に考え、行動した。それを探り、先回りし、そして行動する――その快感故に、クリスは殺人を犯す。


 懐かしんだ故か、クリスのナイフ捌きに歪み・・が生じ、その次の瞬間、八頭は得物を抜いた。


「ッ」


 抜き様の一撃は、クリスへ向かおうとした鳥の霊を切り裂く。刀身があわらになり、クリスの目にも黒い、樹脂製だという事がわかってしまう。


「ははッ」


 また不条理だと笑うクリスに、八頭は得物を青眼に構えた。


 ――角度さえ間違わなければ、大丈夫だ。


 遅かれ早かれ得物が非致死性である、とバレるのは覚悟している八頭である。


 正面に捉えているクリスの姿を刀身越しに見つめる。その刀身を形作る耐衝撃性塩化ビニールも、そう簡単に断ち切られるものではない。ただクリスに対して振るったとしても、精々、怪我だけだろうが。


 クリスにとっては無敗が約束されたようなものだが、それでもあざけりはない。


 ――計算してるんだろう?


 八頭は意味のある行動を取っているはずだと見ているクリスの目は、曇っていない。


 八頭はギャンブルを繰り返しているが、考えている。


 ――鳥が止まったな。


 八頭はクリスに注意しながら、左右を探った。鳥の霊の襲来は止まっていた。


 この乱入を、霊は好機となるか否か、見定めようとしているのだろう。


 八頭は半身になりながら片手を離し、慎重に慎重を重ね、ポケットからスマートフォンを取り出す。


 それを合図に、クリスが動く。


 ――写真か!


 写真をGPS情報付でどこかへ送信する気だと判断したクリスは、間合いなど気にせず、一足飛びにくる。八頭にとって、それは狙い通り。


 ――よし!


 向かってきたクリスに、八頭は必勝の笑みを――いや、噛み殺した。


 クリスが手にしているナイフは玩具ではなく、また身に着けている技も虚仮威しではない。


 ――踏み込まれたら、ヤバいけどな!


 得物を構える八頭は、懐に飛び込まれれば刀が不利を抱えてしまう事を承知の上で誘い込んだ。


 ――本当に日本刀が強いんだったら、軍隊で採用されているはずなんだよな!


 少々、現実逃避しそうになる思考に苛立ちながら、八頭は後ろへ。


 無論、人の身体は前進の方が後退よりも速いのだから、追い付かれる。


 追い付かれるが、階段まで逃げられれば八頭の目論見は成功だ。


 ――落ちながら急所を刺せるか!?


 もみ合いながら落ちれば、クリスにもそこまで精密な動作はできないし、落ちる事を選んだ八頭には、それでもコントロールする隙間がある。


 事実、クリスのナイフが刺さったのは、八頭の肩だった。


「痛ッ!」


 悲鳴はあげる事になるが、八頭は肩への衝撃が来た所でクリスの手首を打ち付け、ナイフを離させる。


 肩にナイフが突き刺さったまま距離を取る八頭は、そこでスマートフォンを外で待っているアズマへと投げた。


「オール国産スマホだ。壊れてないだろ!」


 電話をかけろと言う八頭は、起き上がり様にアズマをかばえる位置へと移動する。


「警察に連絡だ! 5分もしたら来るぞ! 俺の怪我で傷害確定だ!」



 霊からは守るが、警察へは引き渡す――それが八頭の描いた絵図面だった。



 だが、ここでアズマが悲鳴をあげる。


「八頭さん! ダメだよ!」


 器用に前足でスマートフォンを操作するアズマは、クリスの背後へあごをしゃくっていた。



 八頭が乱入した事、階段から転落した事、ナイフを手放した事――それらが重なった今、霊には最大の好機ではないか!



 クリスの背後に霊が像を結ぶ。


 クリスも気付くが、今、手の中に武器はない。


「――!」


 女の霊が発した雄叫びは、果たして何を意味していただろうか?


 成就の歓喜か?


 恨みの憤怒か?


 しかしクリスしか見ていなかった事が、災いした。



 八頭が走る。



 クリスの肩越しに、八頭が得物を霊の喉元へ突き出していた。


「――!」


 今度、あげた声は、間違いなく悲鳴。


 ――いつ聞いても、嫌な声だ。


 肩の激痛に勝る痛みが、八頭の胸中に突き刺さる。


 悲鳴の意味が分かってしまう。


 邪魔をするなと言うのだろう。


 何の権利があるんだと言っているのだろう。


 わかっても尚、八頭は言わなければならない。


「法だ」


 苦いだけの言葉ではあるのだが。


「こいつは、法律で裁かなきゃダメだ。死者が生者に関わっちゃいけないんだ」


 突き出した刀を捻りながら、引き抜く八頭。


 その反動で抱きかかえるような体勢になっているクリスの肝臓を柄で打ち、振り向かせるために身体を半回転させる。


 一瞬であるが平衡感覚を消失させた所で、顎先を正確に柄でかち上げた。自画自賛したくなる程の鮮やかさで、クリスを崩したのだった。


***


 そこからは慌ただしく過ぎた。アズマの協力で呼んだ警察は、殺人事件の目撃情報と、八頭に対する傷害でクリスを拘束した。


 警察官は「ご協力、ありがとうございます」と若干、慌てた様子でいう。今も八頭の肩には、クリスのランボーナイフが刺さっている。


「救急車は?」


「動けますし、このまま自分で夜間病院へ行きます」


 八頭は救急車を固辞し、クリスを早く連れていくように依頼した。


「では、後日、連絡が行きます。その時は」


 警官がパトカーに乗り込み、走り去るのを見届けた所で、八頭はアズマを振り返る。


「これで勘弁しろ」


 霊による復讐を果たさせる訳にはいかないが、法による裁きは受けさせる――これが八頭の出した答えだが……アズマは、やはり釈然としない。


「……うん」


 アズマが割り切れるとは、八頭も思っていなかった。



 いつも通り、非正規の死神に、ハッピーエンドなどない。




「……」


 そうだろうなと思う八頭は――、


「!」


 走り去るパトカーへと視線を向けた瞬間、目を剥かされた。



 霊がいる。パトカーの中に。



 ――仕留めてなかった!


 クリスに肩を刺されていた事が災いし、を貫通させ損ねたのだ。銃弾が不向きである理由に、を貫く事ができなければ霊は仕留められないと言うものがある。剣や槍で貫通させる事が鉄則である。


 だが今から追い掛けても間に合わない。


「アズマ!」


 八頭が声を荒らげた。雷を操るアズマならば、ここからでも霊を貫く攻撃が可能だ。


 しかし――、


「……ヤダよ……」


 アズマは、霊へ向けて自分の力を使う事を拒否する。今でもアズマは、クリスを守る事に反対だ。


 それでも八頭は、いうしかない。


「……頼むよ」


 八頭の声は震えている。


「今、霊を放置したら事故るぞ。その時、お巡りさんは誰に復讐すればいい?」


 経緯はどうあれ、止めるしかないではないか、と八頭にいわれて納得できるならば、アズマも拒否などしない。


「アズマ……頼むよ」


 もう一度、八頭が言う。



「俺が誰から引き継いだか知ってるだろ?」



 その一言が、今度はアズマを震わせた。八頭とて納得できない事ばかりでも、自分を誤魔化し、なだすかして、何とか乗り越えているだけ。


「俺にとって、死神の仕事が、どんな意味を持ってるか。俺だって、腹の底では納得なんてしてねェよ。でもな、でも――」


 納得しなければならない理由がある。



 八頭の前任は、若くして鬼籍に入った八頭の恋人なのだ。



 アズマも知っている。


「う……うう……」


 その仕事だと言われると――、霊へ一筋、眩しい光が迸った。


 稲妻は、マイナスエネルギーの塊である。


「フレンチトースト」


 アズマが涙を浮かべた目で、八頭を見上げていた。


「チョコバナナフレンチトースト、欲しい」


「ミックスジュースも付けて、な」


 二人と一匹で食べた、定番デザートだった。

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