第15話「死神に介入の義務あり」
部屋に戻ってからあった時間の余裕は、少しだけだ。時間ぴったりにインターホンが鳴り、
「おっと」
モニタつきのインターフォンを
八頭に仕事を伝えに来る女死神だ。
黒髪に白い肌の長身は、相変わらず浮世離れと表現すればいいくらい。最上の墨を思わせる黒髪に、透明感すら感じる白い肌のコントラストは存在感があるにも関わらず、気配らしい気配がない。
見とれるのも
「どうぞ」
少しは片付いたが、それでもモノの多いLDKへ招き入れられた女死神は、
淡々と仕事だけを伝えに来る――それが彼女の姿勢である。
「霊が人を襲う事件がありました」
女死神の言葉に、向かいへ腰を下ろそうとした八頭は、一瞬、腰を止めた。
正規職が非正規職へと向けたい仕事は、概ね厄介な仕事ばかりだが、これは飛び切り厄介な仕事である。
こう言った事件は、偶然では起こらない。
死者は速やかに死神が冥府へと送るが、事故、自殺、殺人など、死神の手が及ばないイレギュラーな事態があり、そう言った者は霊となる。
ただし、その辺を漂っている霊が人に害を与える事は、それこそ奇跡のような低確率だ。
女死神が持ってきた仕事内容を想像すると、八頭は気を重くしてしまう。
――やむにやまれずって事情があるんだろ……。
霊が人を狙う理由は、容易に想像が付く。
多くの場合、
しかし八頭の気持ちは、女死神が考慮するに値しない。
「
それが、死神にとって守らなければならない世の摂理だからだ。戦争だろうと殺人だろうと、人が人を殺しているならば神も仏も手出しはしない。しかし、もしも
八頭の事など考慮している場合ではない。アズマが「八頭さん……」とか細い声を出していても、八頭は精々、頭を撫でてやるくらいで、仕事を優先する。
「誰が狙われてるんです?」
暗い顔をしているアズマの頭を撫でつつ、八頭は対象者の情報を要求した。
「クリス・ルカーニア」
そして死神は告げる。
「
守るに値する人格ではないのは確かだ。
***
「あァ」
クリスは思い出した。
霊がクリスの前に現れるようになる寸前、飛び込みで入った店で珍しく気の合う女と出会った。
クリスと日付が変わるまで飲んだ女は、閉店した後も歩きなが愚痴をこぼす。
――妹と二人暮らし。
女は社会人2年目だという。
大学に通う妹を下宿させているが、それがストレスだ、と。
――帰りが遅くって。バイト代だって、貯金もせずに使い切るし。
しかしストレスの元になっているのは、妹に対する嫉妬だ。どうしても自分が働いている時間、また翌日に備えなければならない時間を遊びに使われていると言う事が、単純に気にくわない。
――大変だね。
クリスの言葉に他意はない。本当に大変だと思ったからだ。誰へ向けていても、嫉妬は疲れると知っている。
女にとって共感は、距離を縮める要素だ。
――時々、妹がいなくなったらな、とか、自分が消えてしまえたらな、とか思う時もあるなァ。
切っ掛けは、女の
――そんな所へ連れて行ってくれる人がいたらな、とか。
――簡単じゃないか。
マンションの前まで送ってきたクリスは、そう言うと、女に抱きついた。
――え?
女が声を上擦らせた。クリスに対し、何かを期待していたからかも知れない。高々、数時間ばかりを過ごしただけのクリスに対し、何を期待していたのかは分からないが、クリスの行動は彼女の意に沿ったモノではなかっただろう。
突然、感じたのは喉の圧迫。声が上げられないように、声帯を握りつぶすつもりで握力をかけられた。
次に感じたのは、鼻と上唇の間に、焼け
それがナイフであると知るまでもなく、彼女の命は絶たれた。丁度、そこを貫けば脳幹に達する。脊髄反射も起こせない。
――ほら、消えた。
クリスの言葉も当然、受取人不在だ。
彼女の身体を下ろし、そして――、
見上げた。
その先にあるマンションの廊下には女が。目を見開いているのだから、クリスの凶行を見たはずだ。
――チッ。
舌打ちし、クリスが咄嗟に指を立てる。
警告? いや違う。
その時、クリスは女が何階にいるか数えたのだ。
サイコパスが取る行動だという心理テストにでてくる仕草だが、それにどれ程の意味があるかは分からない。
だがクリスは数えた。
それは彼女を「障害物」と認定したから。
障害物は排除しなければならない。
「そうか、あの時か……」
思い出せば頷ける。殺した女の身元と照らし合わせれば、目撃者は女の部屋の前にいた。
「つまり妹か。俺に仕返ししたいのか」
声に出したクリスは、もう一つ、思い出した。
――妹がいなくなったらな。
彼女は、そう言ったではないか。
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