第3話「錠剤は違法ですらなかった」

 亜紀がスーパーで食材を、それも両手でエコバッグを持つくらい買ったのは久しぶりだった。買い出しは週一回と決めているし、平日は料理をする時間がない事も多い。


「ふぅ」


 帰宅したアパートの玄関先に、一度、エコバッグを置く。重いという程ではないのだが、持っていると普段よりも疲れを感じた。


 そんな亜紀は一人暮らしであるが、このアパートに待っている者がいない訳ではない。


「ほあ?」


 高い声と共にやってくるのは、キッチンスペースの奥にある居室にいたコーギーだ。


「ただいま」


 頭を撫でようと伸ばされた亜紀の手に、子犬は額をこすりつける。


「お利口様」


 グシグシと気持ち強く頭を撫でてから、亜紀はマカロニグラタンの材料の入ったエコバッグを持ち上げた。


「よっし」


 上着を脱いで手を洗い、エプロンを着けた所で、亜紀は一度、気合いでも入れるかのように両頬を叩く。自炊は久しぶりだった。母親は料理が得意だったが、残念ながら、亜紀にその技術は引き継がれていない。数少ないレパートリーの内、人に食べさせられると思っているものが、マカロニグラタンだった。


 鶏肉やタマネギなどを炒めつつ、ホワイトソースも手作りするのだから、一時間超の時間がかかる。頑張っても短縮できるのは材料を切る時間だけというのが料理だ。気合いで火の通りが早くなる訳ではないのだから、必然的に待ち時間が発生する。


 今、その時間はありがたい。待ち時間は考え事に適している。


 ――薬物かぁ。


 亜紀は溜息を吐かされた。今度は課や係ではなく、違う省庁の管轄へ手を出してしまている。


 ――解決したとして、どれだけの事を言われる事やら……。


 気は重くなるが、しかし事件に顔を突っこんでしまうのは性分で、途中で投げるのは性に合わない。ならばベクターフィールドの調査結果を待つのみだ。


 ――上司との相談なんて無駄だぜ。俺が調べてくるしかねェ代物だ。


 覚醒剤の方がマシだと言う薬の出所などは、自分でなければ調査できないとベクターフィールドは駆けずり回っている。


 だから夕食の時間としては遅くなってしまうが、今は本当に丁度いい。


 オーブンに入れて仕上げようとした所で、インターフォンが鳴った。


「はーい」


 室外まで聞こえるかどうかはさておき、亜紀が声を掛けつつ玄関のドアを開けると、ベクターフィールドがいる。


「いい匂い。グラタンかい?」


 ベクターフィールドはクンクンと鼻を鳴らして笑みを見せた。玄関から直で繋がっているキッチンであるから、オーブンで焼いているグラタンの匂いが感じ取れた。


「もう少しでできる」


 上がってといった亜紀へ、ベクターフィールドは上着のポケットから被害者宅から持ち出した薬を取り出した。


 わかったという事か。亜紀は居室へ通しながら訊ねる。


「それ、結局は何なの?」


 ベクターフィールドは鷹揚に頷くのだが、


「飯、食ってから話した方がいいと思うぜ。それとも、エグい話、平気な方か?」


「度合いによるけど」


 そう前置きしても、亜紀は「平気」と断言した。我慢できると言うより、刑事として当然だ、と。


「OK」


 ベクターフィールドは軽く言うと、テーブルに置いた薬を顎で指し、



「悪魔の体液・・を固めた物だ」



 それが薬の正体だった。


「体液?」


 頬を引きつらせる亜紀。


「汗、小便、血、精液等々などなどなど。調べても違法薬物にはなってねェだろうな」


 確かに食事しながら話したい内容ではなかった。


 必然的に沈黙が流れ、それをオーブンが焼き上がった事を知らせる「チン」という音だけが室内に響く。


「食ったらいく? アジトも概ね特定した」


 腹に手を当てているベクターフィールドは空腹だった。


「……二人前、食べる気ある?」


 亜紀の申し出は、どちらかと言えばありがたい。

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