第40話 雪白の天使、龍遣う天女。

 俺は、俺がわからない。

 視覚と聴覚のみ許された五感。痛みのない俺は、久遠がいなければ生きているのか死んでいるのかすらわからない。生死すらも誰かに委ねる俺は、主観も客観も曖昧だ。そんな中で申し訳ないが俺が――俺と、迦楼羅の辿った結末を話すとしよう。


九頭龍血脈・劫刻クオンタムウォーター・クォータークォーツ


 久遠の口腔経由で修復された記憶。主観も客観も曖昧とは言え、戦いを見ていてくれた誰かの言葉も借りて話すので安心して欲しい。


 かつて日本社会の裏側で栄華を極めていた九頭龍の屋敷の残骸。炎上したまま凍結した舞台の上で、俺は俺を愛するが故に殺害を目論みかけた迦楼羅の目の前で自害を図った。


 自害は成功。

 身体の自由を奪われても、殴打の火力が足りなくても手が届かなくて戦えるように仕込んだパイルバンカーは想定外にも想定通り、俺の心臓を打ち抜いた。


 即死によって発動するのか、それとも心臓を穿たれると発動するのかは定かではない。結果的に十六夜らしく隠された力は発現したので良しとする。


 そのときの姿を見ていた誰かは、こういった。


「赤くて黒くて、角があるから鬼、ううん、手? は翼にも見えたから、悪魔? 血の赤とかさぶたみたいな黒。そうやって身体中が渦巻いてた。赤い電気が神経とか血管みたいに絡み合っていてたしかにそこにいるのに、煙みたいでそこにいない。何もかも飲み込むブラックホールって言うか、闇っていうか、やっぱり悪魔? ねえ、そんなことよりのど渇いた」


 とにかく俺は、大切なものと引き換えに力を与えるという契約を交わす類の悪魔を身体の内に飼っていた。久遠と過ごした五年間も、幸せという名の餌を目の前にぶら下げられたまま痛みと一緒に枷をはめられていたということだ。


 死によって、俺は悪魔を解き放った。後は代償を差し出して、障害を取り除くだけだった。この時点で、俺が悪魔なのか悪魔が俺なのか曖昧になる。


 長年培った勘が生きたのだろう。あるいは強者としての勘かもしれない。迦楼羅は咄嗟に後ろに跳んだ。それがなければ恐らく父さんと同じように削り取られていただろう。削り取られたとしてもどうにかできそうなものだけど。


 驚いた顔はそのままに、回避行動をとりながらも迦楼羅はぶら下がるだけの左腕を振り回していた。撒き散らされた血液に染まった氷はあっというまに溶けだして水蒸気と水溜まりを作り出す。火の中に水を注ぐ音と水の中に火を突っ込む音は変わらない。屋敷の木材も多くの水分を含み血の痕も散見された。


「なるほど、それが貴方の本当の姿なのね。素敵だわ」


 きっとリッカが見たら『そうやって殺したのですね』あっはは、なんて、嘘っぽい笑みでも浮かべたことだろう。


 気づけば九つの龍の頭部に取り囲まれていた。それぞれ透き通った身体の内側に赤い血が糸のように伸び、枝のように混ざり合っている。頭一つ一つが悠々と俺を飲み込めるほどの大きさだった。血を振りまくのみならず、地中の水源から水を引っ張ってきたのかもしれない。気化した水分と一緒に朝露と霧をまとめ上げた可能性も捨てきれないが、それを考えても仕方ないし既に使われてしまったのなら意味もない。


 九つも頭があれば自然、役割も分担されて多様になる。三つの頭が俺を飲み込むべく迫り、三つの頭が口から光線じみた水圧のウォーターカッターを吐き出し、三つの頭が迦楼羅の周りで睨みを利かせて控えている。


 水が悪魔の身体を切り裂き、貪り喰らう。一秒にも満たない一瞬の出来事。


 切り裂かれ、貪り食われたのは悪魔ではなく龍だった。切り裂く暇も貪り喰らう暇も容赦もない、九つの龍の頭は振るわれた赤黒い竜巻に全て、飲み込まれた。


 竜巻は破壊を撒き散らしこそすれ、迦楼羅の血を外側に弾かなかった。


 飲み込ませる。

 という行為に迦楼羅は勝機を見出したようだった。


 どの時点で、どこまで下準備を済ませていたのだろう。竜巻は迦楼羅を巻き込んだ。肉も骨も残さず、迦楼羅は散り散りになる。


 そこには体液の混ざった霞があるだけだった。


 朝日を複雑に反射する陽炎。そして九つの龍の頭。悪魔は迦楼羅の体液を取り込み、竜巻の根元に浮かぶ十六夜待雪だったものが爆散する。竜巻が起こしていた暴風にも匹敵する爆風が重なる。悪魔の両腕が吹き飛び、左腕内部に仕込まれていたパイルバンカーが音を立てて転がった。それでも悪魔は気に留めない。


 腕があった場所にはさらに濃い赤黒さが渦を巻く。煙のような実体の中を、身体を巡る神経にも似た赤い雷光が走る。破壊された筋肉がより強靭に再生するように。


 悪魔は喪失した敵を探すような素振りもないまま、垂直に高度を上げた。ふわりと悠長に浮かぶような真似はしない。数千メートル上空に辿り着いた勢いで雲が晴れる程度の速度。紫と水色の狭間で晴れた雲の中に、迦楼羅はいた。


 血管のように血の混ざる透き通った翼で浮遊している。久遠曰く『空気よりも軽くなる性質を与えたのかもね』とのこと。先刻、みこっちゃんが使用していたような天使の翼と形状こそ似ているが、迦楼羅が背負うそれは羽が連なっているわけではなく幾何学的というか、翼の図形をそのまま立体化したような形をしていた。


 肩まではだけて水と血と光を纏う様は天使よりも天女を思わせる。


 傷んだ赤色の悪魔と、雪白の天使。

 五体有する竜巻と、龍遣う天女。

 

 上空数千メートル。乱反射する光の中で二体の超常が衝突した。

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