第18話 下着の散乱した部屋

 わたしには友達がいなかった。っていうかリア友ってやつが皆無。インターネット上でさえ知らない人と関わるのは怖いし、オンラインでゲームをしてもすぐ喧嘩になる。マツユキがいないとわたしはほんとうに、なにもできない。

 自分で片づけるからとマツユキにさえ侵入を許していない――実際には週七で掃除をしに部屋に入っているのはさておき――部屋の惨状を見ると少しだけ死にたくなる。ペットボトルと紙パックを無理矢理押し込んたゴミ箱は太って亀裂が入っているし、カーペットの上にはパンツとブラが放り出されている。カーテンの間から差す仄かな日差しが舞い散る埃を露わにしていた。

 閑話休題。

 そんなこんなで、仲のいい友達といえばらいきりさん一人だけだった。彼女とだけは喧嘩してもすぐに仲直りできる。あまりのコミュ力の高さから、わたしは彼女を師匠と呼んだりもする。現役JK? 年下? 関係ない。こちとら永遠の十四歳じゃい。と、寝起きの今は二十四歳であることを思い出し、洗濯したてのパンツをベッドの中に引きこんだ。

 六月十日、午前十時過ぎ。

 唯一の友達であるところの彼女からメッセージが飛んできた。


〈らいきり『ハローくーろん! いまヒマ?! Σ(・ω・ノ)ノ!』 一分前〉


 低気圧でしんどい身体に鞭打って『にゃおん』と鳴いた枕もとのスマホを手に取った甲斐があったというものだ。わたしは寝返りを打ちながらロックを解除してメッセージを返す。


〈くーろん@あまあま党「暇だけど、どうかした?」 数秒前〉


 顔文字はやめておいた。

 顔はすでに緩んでいるが、ネット上ではクールキャラで通しているのだ。


〈らいきり『このまえオフ会したいっていってたじゃん?』 数秒前〉

〈らいきり『ちょうどいまくーろんのすんでるトコの近くにいるんだけど』 数秒前〉

〈らいきり『どうかなって』 数秒前〉

〈らいきり『(*ノωノ)』 数秒前〉


 願ってもない話だった。ぜひ会いたい。今すぐ会いたい。女子会ってやつをしてみたい。カラオケに行くのもいいかもしれない。マツユキとはできないことをしてみたい。マツユキにはできない話をしてみたい。会いたい理由は幾らでもあった。

 でも、断る理由も同じくらい思い浮かんだ。

 実際に会ってみたらイメージと全然違ったらどうしよう。イメージ通りだったとして上手く喋れるかな。失礼なこと言って嫌われたらどうしよう。永遠の十四歳とかイタい子って思われてるだろうな。イメージと違うって思われたらどうしよう。

 それに何より、昨日あんな電話があったばかりなのだ。いつどこで分家の人間に狙われるかわからない。本家のデータベースにアクセスして参加者の情報を一通り入手したことで、むしろ及び腰になってしまっていた。ほんとうはマツユキと離れるのも得策ではなかった。昨日、お風呂で『髪伸びたわね』なんて言わなきゃよかった。しんどい身体に鞭打ってでも付き添うべきだった。

 でもきっと、らいきりさんも結構な勇気が必要だったはずだ。わたしは年上としてその勇気に応える義務があるんじゃないか。もしかしたら今この瞬間にもわたしの返事を待ちながら悶々としているかもしれない。スマホを両手でぎゅっと握り締め、返事を打ち込む。


〈くーろん@あまあま党『いいわよ。家にいるから、いらっしゃい』 数秒前〉

〈らいきり『マ? 五分で着く!』 数秒前〉

〈らいきり『Σ(・ω・ノ)ノ!』 数秒前〉


 跳び起きた。タオルケットを蹴り上げて、マツユキが畳んでくれた洗濯物をクローゼットに押し込んで、急いでキッチンに向かうと扉の枠に右脚の小指をぶつけて悶絶した。無事な足で跳ね回り、ベッドに飛び込もうとしたら無事な足の中指もベッドの脚にぶつけてベッドパッドに顔から突っ込んだ。自分の喉から聞こえた言葉になりそこねた声はなんとなく猫の鳴き声に聞こえないこともない。今度ひとりのときに練習してみようと思う。

 叫んで痛みを誤魔化して、血脈を使って立ち上がる。タオルケットが埃臭かったのがなんだかショックで、タオルケットを抱えて洗濯機に向かう。いつもマツユキがやってるんだから、わたしにだってできるはずだ。

 中身も確認せずタオルケットを投げ入れて、洗剤? の箱を逆さにすると白い粉末状の物体が出てきた。これだけ使えばゼッタイに綺麗になるだろう。電源、スタート。洗濯槽に水が注がれ始めた、忘れずに蓋も閉めた。流石わたし、やればできる子!

 次、次は、うん、決めた。洗面所の鏡に映るわたしの髪は膝くらいの長さまで伸びていて、しかもヒドイ寝癖が付いていた。手櫛は問題なく通る、でも治すだけの時間はない。足元に気をつけながらキッチンに向かう。

 クソ姉のことを考えると水場は気が抜けないが、こんなときまで監視できるほどアイツも暇ではないだろう。冷蔵庫を開き、少し迷ってミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。

 子気味いい音がしてボトルが開く、渇き切った喉を潤しながら能力を使う。五○○ミリのペットボトルを空にする頃にはいつも通り、十四歳ほどの姿まで身体を縮め、髪も腰ほどの高さまで短くなっていた。

 一番の大仕事を終えたような気分。でも、まだだ。まだわたしは下はパンツ一丁で、上はボタンが半分まではだけたパジャマのまま。普段マツユキ以外の人と会わなくても流石にわかる。これは初対面の相手に見せていい恰好じゃない。

 水分を取ったにも関わらず軽くなった身体で自室に戻り、クローゼットを開く。押し込んだ洗濯物が雪崩を起こし、溺れることこそなかったけれど、溜め息はぐっと飲み込んだ。死にたくなるにはまだ早い。これは全てわたしの自堕落さが原因なのだから。

 それからインターホンが鳴らされるまで、クローゼットの前で悩み続けた。初対面でゴスロリは責めすぎかしら。いっそ十九歳の姿ぐらいで黒いセーラー服なら十四歳っていっても少しイタい子くらいの認識で済むんじゃないかしら。そもそもコスプレ趣味ってことにすればセーフでは? 一周回って二十四歳の姿で出迎えればいいんじゃないかしら、とも思ったけれど――スウェットとジャージとパジャマ――そもそもあの姿で人前に出られる服がない。

 結局、ゆったりした丈の短い黒いパンツと肩の部分が紐になっている落ち着いた色のサマーセーターに落ち着いた。元々は十九歳の姿で着るためのものだったはずだけど着れちゃって、なんだかなあ。

 ベッドの上に脱ぎ捨てたパジャマもそのままにインターホンに出るとハープをかき鳴らしたような声が応えた。

「ハローくーろん! きちゃった‼」

「いらっしゃい、歓迎するわ。らいきりさん」

 ハロー、くーろん。未来のわたし。良いニュースと悪いニュースがあるわ。どっちから聞きたい? 答えは聞いてない。

 良いニュースはわたしとマツユキの生活空間にやってきたらいきりさんが印象と大きな隔たりのない、いかにもコミュニケーション能力の高そうな少女であったこと。悪いニュースは、彼女が見知った人間だったこと。一度も会ったことがない、でもお互いに顔も名前も知っている存在だったこと。

 わたしの目の前に現われたのは、黄金色の髪を両耳の後ろで二本に纏めた女の子。趣味の関係で少し憧れはあったけどイギリスの血が混ざったクォーターだという話は聞いていたからそこは驚かない。

 じゃあなにに驚いたかって、手土産で普通、釣りたて新鮮な魚なんて持ってくる?

最近の女子高生の流行が釣りだとしたら、わたしはもう付いていけそうにない。自称永遠の十四歳、九頭龍久遠、誕生。めでたしめでたし。

 見覚えがある顔だとは思ったけどいまひとつ確信は至らなくて、お茶を出すより先に、顔がひきつっていることを自覚しながら魚を受け取って、キッチンのまな板の上に魚を置いた。料理ができる大人な女を演じようとしてから包丁を持てないことに気が付いて唇を噛むと、ダイニングテーブルに着いたらいきりさんがこういった。

「ウチ、らいきりこと渡貫千鳥。あらためてよろ、くーろん!」

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