第19話 咥えゴムと合法ロリ

 半日前に見た名前で、顔だった。渡貫千鳥。あるいは、四月朔日わたぬき千鳥。

 能力は〈四月朔日血脈クオンタムクアッド雷神殺しライトニングロッド〉。

 九頭龍分家の四を担う家系。四肢に異能を宿す血脈の使い手で、彼女は磁力を操作する。四人兄弟の長女で、四人の中で唯一四肢の全てに能力を宿す、頭領決定選参加者だった。クソ姉曰く、おつむの弱ささえなければ優勝候補足り得る能力者が今、わたしの前にいる。

 ゆっくり味わうように状況を見る。外に干してある洗濯物を見てのほほんと「お、彼パンはっけーん!」などと騒いでいるコイツはわたしが九頭龍久遠とは気づいていない。果たしてわたし一人でやれるだろうか。いや、わたしの能力では火力が足らない。マツユキは昼までには帰るといっていた。あと2時間、わたしが会話を持たせる。

 ――いや、無理。あいあむコミュ障、どぅゆーあんだーすたん?

「くーろんくーろんおい合法ロリ! 恋バナしよーよ恋バナ! カレシのハナシ聞かせてくれるって約束っしょ? ほらほら早くぅねえはーやーくぅ! つか二十四歳とか嘘っしょだって十四歳でも危うい匂いするもんあー女の子の香りー」

 そうこうしている内に彼女は背後からわたしに抱き着いていた。仄かな香水の香り、クソ姉に匹敵する豊かな胸の感触が落ち着きのない動きと薄着のせいでよくわかる。

「……もう、駄目よ、らいきりさん。料理中は火とか包丁とか、危ないんだから」

 荒い鼻息がこそばゆい。少し左を向けばいつものマツユキと同じくらいの距離に見慣れない同性の顔があるというのは慣れない。正直、恥ずかしい。

「ん? ねえ、くーろん、もしかして、なんだけどさ」

「な、なにかしら?」

「さては料理してないなー? 包丁の持ち方わかんない? 猫の手よ猫の手。にゃーってやるのよにゃーって!」

「にゃ、にゃー?」

 後ろから回された手が緩く握り込まれているのを見て、真似をした。

 よかった。まだバレたわけじゃないらしい。

「そうそう。そうそうやって食材を押えんの! そうしたら指も切らないっしょ?」

「べ、別に、知ってるわよ?」

「それに髪! 長くて綺麗な髪! ちゃんと結ばなきゃダメ!」

 二の腕の柔肉がわたしの頬を押した。視界の端に金色の髪が跳ねる。

「これ咥えてて」

「んう?!」

 口の中に半ば押し込むように突き付けられたのはゴムだった。少し前まで金色のツインテールを留めていたものだ。そうして物理的に後ろ髪を引かれて間もなく、唾液の糸を引いてゴムが取り出されて後頭部に違和感が生まれた。

「はい完成! たったかたったたーったたー。黒髪ロングポニーテールー」

 シンクの鏡面に移り込んだわたしの後頭部で、黒い尻尾が揺れていた。ポケットから秘密道具を出したような口ぶりだが、金色のツインテールは相棒を失ってサイドテールと化している。

「……うっかりしてただけなんだから、勘違いしないでちょうだい」

「もー、知ったかツンデレ猫かわいぃぃいっ!」

 わたしの髪を梳いていた手が肩に回され、頬ずり。

 ずりずり、すりすり。

「ちょ、ちょっと、もう。やめてってば」

 手を開くことも忘れてしまう。

「んんー、くーろーん」

 回された手がズレる。

 頬ずりが止まる。


「ゆっきーは元気してる?」


「ぇ?」

 バキリ、と。

 マツユキがよくやるような骨を鳴らした音ではなく、明らかに骨から鳴ってはいけないような音が、わたしの首から聞こえた。身体から力が抜けて、シンクに顎を強かに打ち付けた。

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