第3話 金髪ツインテ生足スープレックス
振り返った先には生粋の金髪を形のいい両耳の後ろで振り乱す女が立っていた。
「
自称幼馴染こと千鳥は俺と同様、周囲の視線に身体も心も痛めない。列の脇から人様の額に指を差す失礼な女はさておき、進んだ列に続く。着崩した学生服はその下の包帯と一緒に見なかったことにした。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
痛まないとはいえ、気が付かないわけではない。無痛症と感覚麻痺は似て非なるものだ。四人分の姦しさで騒ぐ千鳥に他人行儀な笑みを向ける。
「いいかい、どこの誰だかわからないお嬢さん。この世には二種類の周りの見えていない人間がいる。一つは人目も憚らず騒ぐ奴。もう一つは行列に割り込む奴。そして、俺は赤の他人であればどちらでも容認するが、仮に知り合いがそのどちらかに属しているのなら嘘みたいに腹が立つ。故に、今この瞬間の君は俺と赤の他人だ」
打って変わって潤み始めた青い瞳から目を逸らす。
「出直してこい」
頭を抱える代わりに、街道の中央にある噴水を指さした。
「すぐ戻る」
千鳥はすぐさまお誂え向きなベンチを確認して、表情を明るくする。そうして顔を逸らしてこういうだろう。仕方ないから待っててあげる。
「ウチ、ミックスベリータルト! それとタピオカマンゴージュースのギャラクシーサイズね! タピオカマシマシで!」
「……了解」
不思議と浮かんだ想像を悠々と超えてきた。そうやって食い意地を張っても胸にしか栄養がいかないから、周りから睨まれるし、睨まれても痛くないのだと思う。
「男一人でリモるとか草生える」
どこからかそんな台詞を聞くこと三回。ようやく久遠への土産物を入手し千鳥のお遣いを済ませ、噴水前のベンチに腰を下ろした。帰ったら脚を労った方がいいかもしれない。
「おっそーい!」
千鳥はそういうと、俺の腕を捻って荷物を奪いにかかる。警察官の逮捕術にも似た立ち関節技。
「痛い痛い」
というだけいって千鳥の物だけを狙って落とすと腕の極めが緩み、自由になった。
「んー、うまー」
と頬を緩ませる姿に、昨晩テレビで見た獲物を捕らえたハイエナの姿を重ねる。包みを確認すると久遠への土産は無事だった。
さて、久遠も渇きを覚えている頃だろうし、帰ろう。あっという間にミックスベリータルトを胃に収めたハイエナもとい千鳥の満足げな顔を見てため息交じりに立ち上がると、それを許さんとベンチに引き寄せる力を感じた。振り返ると、そこにはあらためていうまでもなく、不満げな顔をして俺のスラックスからはみ出したワイシャツの裾を掴む千鳥がいた。
ハイエナと言うよりハムスターというべき頬で以て、千鳥はこういった。
「ひはひふひはんははらひょっほふひはひははいひょ」
久しぶりに会ったんだから、なんだって?
という文句の代わりに外連味たっぷりに笑って見せた。
「ぶっさいくな顔。せめて口の中身を飲み込んでから喋った方がいいよ」
すると、下手に逆らえばワイシャツが破れる。そんな想像が難くないほどの勢いで尻がベンチへと引き寄せられた。掃除機もびっくりの吸引力でマンゴージュースとタピオカとタルトを胃に収めると、千鳥が視界から消えた。
いったいどこに消えたのか。上。目があう。千鳥は頬を膨らませて、ウチはおこている、とアピールをしていた。何をしようというのか。頬が痩せ、笑う。
――ああ、そうか。疑問は確信に代わる。
諦めと一緒に土産物を極力丁寧に地面に降ろし、目を閉じたのも束の間、溜め息の代わりに歯を食いしばったとき、俺は空を飛んでいた。
面倒なことになった。と、夏を先取りしたような晴天を見上げながら思う。俺が俺のことをもう少し俺のこととして捉えられていれば、他人事として客観的にではなく、自分のこととして主観的に捉えられていれば、感じ方も少しは変わっていたかもしれない。胴上げなどされたこともなければされる予定も憧れもないけれど、胴上げされた時というのは、きっとこんな景色だろう。
動力は健康的に筋肉の付いた男子たちではなく不健康な肉が程よく付いた女子一人。舞わず肌に纏わりつく汗は青春に属するものでこそあれ些か不健全と謂われても致し方ない類のもの。触れているのは俺の背中と虚構に住まう彼らの手のひらではなく、俺の頭と首に乙女の太ももと股ぐらであるのだが。
もっとも俺はその滑らかさや柔らかさといった艶かしさに対する感覚も欠けているのだが。
気付けば、俺の背は地に着いていた。虚構らしく空に浮かぶことをやめて、現実の地に足ならず背を付けていた。叩きつけられたというよりは押し付けられたというべきで、地に着くより先に木と鉄の枠でできたベンチを壊していた。目の前に広がる空が瞬く間に曇る。新たに広がったのは夕立でなければ驟雨でもない、しかし入道雲と青空にも似た縞模様。
「いい、ゆっきー? ウチにはどうしても我慢ならないことが二つある」
一瞬前まで枕の代わりにしていたトライアングルと、得意げな顔が覗き込んでいた。
「デリカシーのない奴。話を聞かない奴。そしてDV男」
我慢ならないことが二つ、というのはどうやら嘘であったらしい。
通りを抜ける風に膝上丈のスカートが揺れる。現役JK産の体液が染み付いているであろう見たくもない薄い布地を見せ付けられただけで不安になるのはきっと、こちらの話を聞かずにデリカシーがないと4人分の姦しさで喚き散らされた上にドメスティックバイオレンスに走られる危険性が伴うからだ。
「なるほど、道理だね。パンツ丸見えでも揺るがない説得力だ」
しかし、こいつを前にして弄れるところを弄らないというのは無理な話だ。
「ていうか縞パンとか(笑)色気も男っ気もないのも納得だ」
そのとき、起き上がりかけていた上半身が地面に引き付けられ、起き上がることが難しくなる。いや、恐らく、上着を脱がなければ起き上がることは不可能だろう。直前までの仁王立ちとは打って変わって、四肢の全てがスカートに集まる。包帯の巻きつけられた太ももはもちろん、両脚はぴっちりと閉じられ、両手はスカート越しにパンツを隠していた。
「で、ナニ? よく聞こえなかったんだケド?」
千鳥の口角が不自然に上がっていた。あるいは上がっていたというより、不自然に痙攣している。有り体にいうと顔をしかめていた。
下手に怪我をして、久遠に悲しい顔をさせてしまうと思うと胸が痛む。
「…………やあ、千鳥。久しぶりだね」
痛む胸を抑える代わりに、俺は何より上手く動かせる表情を社会人らしく歪めた。そうすると身体を束縛する力が緩む。手が差し出され、二人分の力で身体を起こす。
「そうね。久しぶりなんだから、ようやく会えたんだから、ちょっと付き合いなさいよ」
今度は口の中に何も含まず、しかし青い瞳に涙の色を滲ませて本懐を口にした。
物心ついた時から家から一歩外に出た俺の隣には必ずと言っていいほど彼女がいた。三歳で保育園に入園してから十四歳のあの日まで、間違いなく千鳥は俺の幼馴染だった。かれこれ五年振りの再会だ。他人の身体を引き千切るような技が懐かしい。
それから改めて噴水の枠に背中合わせで座った俺たちは五年間のブランクを感じる間も無く思い出話に花を咲かせるわけがない。
なんせ開口一番、千鳥はこう口走った。
「あの女の元を離れてウチのところに来た方がいい。九頭龍久遠はアンタの人生に関わっちゃいけなかったんだ。アイツは絶対にアンタを不幸にする。これまでも、これからも」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます