第5話


 ─AD 300年

  ガルレア大陸・イナナリ高原 奥地─



 金色の、一面のススキの穂が風に揺らめくさまは、大海原の波間を思わせる。


 海を泳ぐ魚が時おり顔を出すかのように、一匹のたぬきが波間を疾走していくのを、アルドとリィカは並んで見ていた。


 ブンブクは、エルジオンに残ることを選ばなかった。


 選べないと、言った。



 □□□



 シータ区の住居群を縦断する、メインストリートを歩いてくるアンドロイドの姿をしたブンブクの足取りは、しっかりとしていた。


 人工の街路樹の下で彼を待っていたアルドとリィカは、坊ちゃんは無事に正隊員と認められました、という報告に、手を叩いて祝福した。


「無事に正式入隊を見届けられて、ほっとしています。それもこれも、お二人のおかげです。本当にお世話になりました」

「いや、俺たちはなんにもしてないよな。得意なことで、手伝いをしただけだ。な、リィカ」

「そうデスネ。近接戦闘が特ニ」

「それじゃただの暴れん坊みたいだな、オレたち」

「いいえ、お二人がいなければ、ぼくは坊ちゃんに誤解されたままだったでしょう。彼との和解は、一人ではできませんでした。本当に、ありがとうございました」


 深々と頭を下げるアンドロイドに、二人も釣られてお辞儀をする。

 通りを行く市民たち数人には、なにごとかと振り返られていた。


「オレたちも、事の顛末を知れてよかったよ。記憶も無事に戻ったしな」

「ええ、本当に。アルドさんの優しい言葉に、どれだけ励まされたことか。記憶も戻って、アンジュさんとの約束も果たせました。もうこれで、思い残すことはありません」


 そう言って、アンドロイドは穏やかに微笑んだ。


 彼の言葉が、なにを意味するのか、二人はもう理解している。

 それでも、アルドは問いかけた。


「本当に、いいのか。元の時代に戻ったら、彼にはもう二度と会えないのに」

「それも、二人で話し合って決めましたから。もう、この姿のシリアルナンバーは廃棄登録されています。このまま、この街に居続けることはできません。本来の姿でいても、余計な問題になるだけですし」

「デハ、AD300年のガルレア大陸に帰るということで、よろしいのデスネ」


 こくりと頷く顔の意志は固く、揺るがないのは確かだった。


「納得は、してるんだよな」

「それはもちろん。坊ちゃんはもう、一人前の大人です。一人で生きていけるだけの強さは、もう備えています。それを見届けるのが、約束ですから」

「そうか。自分たちで決めたことなら、オレたちから言うことはないよ。──じゃあ、行こう。イナナリ高原へ」


 頷くアンドロイドの表情は、とても晴れやかで。


 アルドには、その表情がまぶしく見えて、仕方なかった。



 □□□



 ブンブクは、一度本来の姿に戻るとこちらを振り返ることはなく、まっすぐにススキの間を駆け抜けて行ってしまった。

 それを、名残惜しいとは思わない。


 あの空中都市にはない、土と草と風の匂いを前に、じっとしていられるはずがないのは、アルドもよくわかっていた。


 時おり、懐かしさから弾んだ心が、軽快なジャンプを誘うのだろう。

 遥か彼方のススキの穂の波間から、たぬきの姿が飛び上がるのが見えた。


「これで、よかったんですヨネ」


 傍らに佇むリィカが、ぽつりと呟く。


 彼女はブンブクが駆けていった、金色の水平線を見つめている。

 アルドもそれに倣って視線を馳せ、そうだなと頷いた。


「たぶんさ、変身能力って、便利なんだけど。ずっと自分の本当の姿に戻れないって、窮屈なんだよ。いまは、本来の姿を思い出しているんだから、尚更さ」


 その口調は軽やかで、自然に口をついて出たものだったけれど。

 リィカは、首だけを傾いでこちらを見た。


 そうして彼女は再び水平線へ視線を戻して、これはあくまで可能性の話なのですが、と唐突に切り出した。


 彼女らしくない、真剣なトーンで。


「可能性なので、記憶して頂かなくて構わないのデスガ。──おそらくアンジュさんは、自分の機能停止に合わせてたぬきさんと自分を入れ替わらせようと、早くから計画していたと予想されマス。ゆえに、あの事件は、彼にとっては好機だったのではないカト」


 淡々と語られる思いもかけない推論に、アルドは驚いて隣を見た。


 リィカは、遠くを見ている。

 もうブンブクの姿も見えない、金色の水平線の、その先を。


「どういうことだ?」

「彼は破壊され機能停止の寸前、息子のように慈しみ育てたたぬきさんに、自分の写し身とナリ、ボディを廃道から捨てろと指示してイマス。

 シリアルナンバーが重複した際の危険性も考慮した上デノ、的確で冷静な判断。AIが破損した状態で、瞬時にそれが可能だったとは考え難イ。

 破壊される決定的な瞬間に、坊ちゃんサンを引き離していたことカラモ、あの時間が入れ替わりの好機会だったコトは明白デス。


 たぬきさんの存在を、大事な坊ちゃんサンに隠していたのもそのためデショウ。

 二人が知り合いでは、入れ替わりは不可能ですノデ。


 アンジュさん自身の計画では、機能停止する運命の自分に成り代わって、エルジオンで何不自由なく生活をするたぬきさんがいたはずデス。

 彼には我々のように、たぬきさんを元の時代に帰してあげる力はナイ。


 自分がいなくなった後も、あの時代に、彼が安全に暮らせる場所を用意してあげる必要があったのデス。


 ワタシたちの生きる時代は、ナンバーで管理された椅子の分しか、明るい場所では生きられナイ。

 アンジュさんは自分の席を、たぬきさんに譲るつもりでいたのデショウ。

 自分のいなくなった後の世界で、大切な二人が、仲良く暮らしていけるヨウニ。


 彼の唯一の誤算は、たぬきさんが自分のボディを捨てなかったせいで、入れ替わりが失敗したことデショウネ」


 リィカは、いまはもうどこにもいない、アンドロイドの姿を見ていた。


 アルドも、同じ方向に目を向ける。

 どこまでも続く金色の海原。あの時代には失われた、もう、どこにもない風景を。


 どこにもいない、どこにもない。

 それでも、確かに、繋がっていた。


 あの、優しい家族たちは。


 アルドには、アンドロイドのことはよくわからないけれど。彼女が語るなら、そうなのだろうと思えた。


 だから、そうかと静かに頷いた。


「うん、そうか」

「ええ、あくまで可能性の話、デスガ」

「うん、わかってるよ。アンドロイドって、先のことまで、すごくよく考えるんだな」

「ええ、計算が得意ですノデ」

「でも、その得意な計算を間違えることも、あるんだな」


 リィカが、アルドを振り返る番だった。


 見つめた横顔は、軽やかに微笑んでいる。その視線は、水平線の先


 どこまでも広がる、高い空を見上げていた。


 そこには、空中に浮かぶ巨大都市はない。

 なくても



「だって、当たり前だよ。

 そんなに大切に育てた息子が、大好きな父親の身体を捨てたりできるわけ、ないんだから」







 彼は一人 閉ざされた空を見上げるだろう

 彼も一人 天井のない空を見上げるだろう

 近くにはいない 家族を想って


 そして どこにもいない

 だけど二人を繋いだ

 かけがえのない

 たった一人の父親を想って。








 おわり


 



 

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ふたつの約束 ミオヤ @miomio08

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