三人一緒に、
* * *
「茜……?」
あの男性と会ってから、茜はずっと黙っていた。
何度か呼びかけても、うん、と返ってこればいいほうで、大体は無言のまま。
家に帰ってからもそうで。
一応は予約していたケーキもチキンも受け取ってはきたけれど、とてもじゃないけれど食べられる空気ではなく、冷蔵庫の中に仕舞ってしまった。
今も自室に行くでもなく、ずっとリビングのソファに座ったまま、ぼうっと宙を見ていた。
こんな茜を見るのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。
とりあえず落ち着くものを、とホットミルクを作った。
ソファの前にある机の上に、ことりとマグカップを置く。
それでもこちらに気づく気配さえない。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
こんなとき、薫ならなんとかできたんだろうか。
生まれたときからほとんどの時間を一緒に過ごしてきたらしい薫なら、もしかしたら。
そう思うと苦しくなってしまう。
だってどう足掻いても、わたしは薫にはなれないし、狩人にも、一度も吸血鬼に噛まれたことのない人間にもなることはできないのだから。
「せ――」
伸ばした手が茜に触れる前に、冷たい感触が手首を覆う。
と思えば、あっという間もなく視界がひっくり返った。
「警戒、しろって言ったよね。死ぬよ?」
クリーム色の天井にくっついた、いっそ無表情なほどの白を放つ照明。
その光を背負った茜の表情は、逆光のせいでひどく暗く、そして悲しそうだった。
このまま、暗闇に飲まれてしまいそうなほど。
飢えてはいない。
わたしに襲いかかってくる、吸血鬼たちよりは。
それでもきっと、初めての渇きの中で、必死に抑えていたものがあったんだと思う。
あの男性の言葉がそれを、揺らしたんだ。
夜闇を溶かした艶やかな髪。
孤独に光る月のような青白い肌。
柔らかく垂れた瞳は、悲しげに歪んでいても透き通っていて、いつまででも見ていられる。
初めて出会ったとき、少女マンガに出てくる優しいヒーローのようだと思った。
今だって変わらない。
涙が出るほど、彼は優しくて、美しい。
「わたし、死ぬの?」
「そう」
「茜に噛まれて?」
「そうだね」
「それって痛い?」
「もちろん」
「苦しい?」
「だろうね」
「そっか」
「そっかって……」
「だって、茜、辛いんでしょう」
茜の表情が、強ばる。
「どういう……」
「人間であるわたしの血を吸えば、吸血鬼であるあなたは、狩人である誰かに殺される。あなたは感情に任せて、わたしを使って自殺しようとしている」
人間の食べ物を食べてはいるけれど、それだって誤魔化しにしかならない。
本来の食事を摂れないのは、ものすごく辛いに違いない。
しかも、目の前には多くの吸血鬼にとってこの上なく美味しそうに見えるらしいわたしがいる。
きっと、かなりキツイと思う。
吸血鬼が血を飲まずに耐えられるのは、大体一ヶ月くらい。
それも、すべての人間を寄せ付けない状態で、だ。
もしかしたら、そこまでもたないかもしれない。
本当に彼を思うのなら、わたしはきっと、彼から離れるべきなのだ。
だけど、それはできない。
離れてしまえばおそらく、彼はクロくんに殺されてしまう。
それこそ、いろんな実験の末、人間の血を無理矢理にでも飲ませて、正当な理由を作った上で、灰にして消してしまうだろう。
薫だって、無事に生き残れるかわからない。
耐えてもらうしかないのだ。
おそらくは耐えさせる気なんて微塵もない、クロくんの手のひらの上で。
でも、それが辛いのなら。
そんなに苦しそうな、今にも泣きそうな表情をさせるくらいなら。
もうここで終わらせてあげたほうがいい。
結末のわかりきっている一方的な我慢比べを強いるのは、酷だ。
「茜、わたしは、いいよ」
「なにが」
「食欲をぶつけられるのも、その痛みも、苦しみも、慣れてるもん」
押さえられていないほうの手を上げて、茜の頬に触れる。
こちらの熱を奪ってしまいそうなほど、その肌は冷たい。
「だから、大丈夫だよ」
誰か一人でも耐えられないのならいっそ。
三人、一緒に死んでしまえばいい。
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