駄々をこねても
* * *
「まず、一緒に暮らすうえでいくつか決めごとをしておこうと思うんだけど」
あれから一度、茜は今泊まっている家に帰った。
そして支度をして、わたしの家に来たのだ。
クロくんと薫が戻ってくるまでの間、ここで暮らすために。
部屋着に着替えたり、お風呂に入ったり。
そういった身支度を終えて今、リビングで二人、机を挟んで向かい合っていた。
「賛成だけど、その前に、気になることがあって。茜、きいてもいいかな」
わたしの言葉に、茜は、目を真ん丸く見開いて首を傾げてみせた。
「茜って、薫と婚約、してるんだよね?」
「……薫からきいたの?」
「元々かなり親しい間柄なのかな、とは思ってたけど、ちゃんと知ったのは、クロくんからきかされたから、かな」
クロくんは、それはもう楽しそうに教えてくれた。
茜は薫のもので、薫は茜のもの。
生まれ落ちたその瞬間から、すでに決まっていたのだと。
楽しそうな、だけどどこか寂し気な笑顔で、そう言っていた。
「そっか。でも、安心して。今の俺と薫の関係は、ただの従兄妹だから。もう、婚約関係ではないんだ」
「どういうこと?」
なにかあったのだろうか。
よくよく考えたら、久しぶりに再会したのに、三人そろってまともに会話したことがなかった。
だから、もしもすごく仲が悪くなっていたとしても、気づけない。
なにか地雷を踏み抜いてはいないだろうか。
だけど踏み抜いていたとしても、一緒に暮らすことになった以上、薫と茜との関係ははっきりさせておいたほうがいいと思ったのだ。
「……俺に、好きな人ができたから」
「好きな人……」
胸が、ざわりとさわぐ。
「他人に恋愛感情を抱いたまま、薫と婚約したままでいるのは、違うと思った」
「……そっか」
「それに」
ふっと、茜が目を細めて小さく笑う。
「薫と俺と、友人と呼べるほどに親しくなれたのは、その子だけだったから」
「……」
どう返せばいいのかわからなくなって、わたしは彼から目をそらした。
あんたさえいなければ。
そう言って杭を振り上げた薫を思い出す。
わたしさえいなければ、茜があんな怪我をすることはなかった。
それだけじゃない。
わたしがいなければ、薫は。
いつだって薫は、茜を見ていた。
高校時代の彼らしか知らないけれど、きっとそれは、変わっていないのだろう。
薫への罪悪感と、それを抱く自分へのおこがましさに対する嫌悪感、そして嬉しさと苦しさのような、うねうねした感情。
それらが混ざり合って、わたしの視線を自分の指に結び付ける。
「吸血鬼と狩人は、人間の平均的な寿命よりもはるかに永く生きる。別に、友情が一番大事だとか、そういうわけではないけれど、でも、せっかくそんな存在に出会えたのだから、できるだけの時間を三人で過ごしたい、とも思った」
「……もしかして、その好きな人に、三人で一緒にどこかへ行こうって言ったのも、そういうこと?」
「うん、まあ、そんな感じかな。もちろん、あまりいい噂を聞かない人と行動を共にしているのなら、いっそいつでも俺たちの手が届く位置にいてほしいって思ったのも、ある」
わたしは机の上に肘をつくと、うつむいたまま、組んだ指を眉間にあてた。
この人のそれは、わたしと薫、どちらも大切に思ってのことなのだろう。
友人三人。高校生の頃のわたしたちなら、楽しく過ごせたかもしれない。
だけど今は。
薫と茜の間に、血縁関係しかなくなって。
本来なら薫に向けられるはずだった茜の気持ちが、明確にわたしに向けられるようになって。
それをわたしも薫も知っていて。
三人そろっての直接的な交わりはない七年だったけれど、それでもちょっとずつちょっとずつわたしたちは変化していて。
ぴったりとピースが合っているように見えていたわたしたちだけど、ミリ単位のずれでも、七年分のそれは、決して誤差では済まされないくらいになっている。
わたしもそしてきっと薫もそれには気づいているし、もう元には戻れないことを理解している。
だけどこの人は、茜は、それに気づいていない。
あるいは、気づかないふりをしている。
三人がそろえば、また元通りに笑いあえる日が来ると、信じている。
この人は、薫がわたしを殺そうとしたことも、わたしがそれを利用して死のうとしたことも、知らない。
薫が言ったかもしれないと思ったけれど、たぶん、そのことを言わないということは、薫はなにも言わなかったのだろう。
自分がクロくんのところに行くことを言わなかったくらいなのだから、もしかしたら茜が意識を失っている間に離れてしまったのかもしれないけれど。
なんて、子供なんだろう。
わたしたちは生きている。
生きている以上、生き物は変化していく。
体も心も、関係性も。
変わりたくないなんて両手両足をばたつかせて駄々をこねても、強い力で時間は押し流していくのだから。
「茜は、変わらないんだね」
変わりたく、ないんだね。
そう、心の中で言い替えるように呟いてから、ああそうか、と気づいた。
茜は、強制的に人間から吸血鬼へと体を、生活を、すべてを変えさせられる。
そしてそのうち、もしかしたら人間の血を飲み、その綺麗な瞳を赤く染める日が来るのかもしれない。
だからこそ、すがっているのかもしれない。
変わらないことに。
「どうだろうね」
顔を上げれば、眉尻を下げて微笑む茜。
それは七年前と変わらない、困ったような笑みだった。
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