わたしたちは、踊り続ける
* * *
「で、わざわざ俺を招き入れたってことは、誰かに聞かれたらまずい場所に薫はいるってこと?」
ドアを閉めてすぐ、茜は問いかけきた。
玄関から動く気配がない茜に、今日はここまでかな、と心の中で呟く。
「まずいって言うよりも、クロくんの仕事に悪影響があったらわたしが困っちゃうから」
意図的に、眉毛を下げて微笑む。
クロくん曰く、わたしみたいな見た目の人がこういう表情をすると、強い、らしい。
実際今まで人間の血を吸った吸血鬼たちにも効果はあって、油断させることができた。
茜はというと……眉尻を下げて、いつものように困った笑みを浮かべていた。
ふと、思いついた。
もしかしたら、いろんなものを隠すために、茜はいつもそうやって微笑んでいたんじゃないかと。
そんなことを考えたところで、意味なんてないのだけれど。
「舞白は今、狗狼さんと手を組んでいるんだっけ?」
確認のような言葉に、わたしはうなずく。
「薫は、クロくんと一緒にいる。緊急で依頼が入ったみたいで、電話で報告が来たの」
「俺のほうにはなにもなかったけど」
「吸血鬼も、人間も連れていけないようなものみたいだから。薫にはなにも言わずに出てこいって言ったみたい」
「じゃあ、なんで舞白には連絡が来たの」
口調こそ拗ねたような、そんな雰囲気を纏ってはいるけれど、表情は変わらず硬い。
透き通るような瞳だって、敵意が籠っていないのが不思議なほど、きつい。
こんな表情、茜に向けられる日が来るなんて、高校時代には想像できなかったな、なんて。
そもそもとして、高校三年生のあの日。
二人が引っ越したことを朝のSHRで聞かされた日から、わたしは二人にはもう二度と会えないと思っていたし、会わないでいようと決めていた。
だからわたしは、クロくんの手を取ったんだ。
「たぶんだけど」
掴んだままの手を、腕の線をなぞるようにして下げて、離れる。
一度下ろした視線を、再び上げる。
まっすぐに澄んだ瞳を見上げた。
「便利な生餌を、失いたくなかったから、じゃないかな」
自嘲気味に笑えば、今度は茜が俯いた。
「その生餌が、こんな風に捕食者を家に入れてたんじゃ、意味ないんじゃないの?」
暗い声色に、心臓に冷たい水をかけられたような、そんな心地がした。
「茜は、わたしを守るでしょう?」
守られて当然、だなんて思わない。
だからこれは、ちょっと違うけれど、はったりのようなものだ。
それに、当然ではない、なんて思っておきながら、確信のようなものはある。
この間の夜。
彼は、命がけでわたしを守ろうとしてくれた。
そしておそらくそれは、わたしだけじゃない。
だったら、それを利用しなければ。
「薫のことだって、茜は守ろうとする。だから、まず初めにわたしに……クロくんとつながりのある知り合いに、連絡をしたんでしょう?」
意識して口角を上げる。
クロくんみたいな笑み、になっているといいけれど。
「茜は、守りたいものがたくさんあるんだね」
「……舞白は、薫のことはどうでもいいの?」
茜はまだうつむいていて、表情が伺えない。
静かな問いかけに、わたしは一度口を閉じる。
「……どうでもいい、なんて思ったことはないよ。薫も、茜も、クロくんも」
息に乗せるように、小さくつぶやいた。
やっと茜は顔を上げた。
疲れたような笑みを浮かべながら。
「君は、どうして狗狼さんと組んでいるの? こういうの、あんまり言いたくないけれど、彼はあまりいい人ではないよ」
「特に吸血鬼に対しては、ね」
彼がうなずく。
わたしはドアにもたれかかる。
気づかれないように、後ろ手で鍵を閉めながら。
「二人がいなくなってそんなに経たない頃に、知らない不良に絡まれたの。そこに、わたしの血に惹かれた吸血鬼がやってきて、その不良が巻き込まれた」
クロくんが駆けつけてくれたおかげで、わたしもその人も死にはしなかったけど、と小さく笑う。
「わたしが一人でいれば、関係のない人を巻き込む可能性が出てくる。だからクロくんに、わたしを守ってってお願いしたの。わたしを守ることは、その周りにたまたま居合わせてしまった人間を守ることになるって気付いたから」
「関係のない人間は巻き込めなくても、吸血鬼は巻き込むの?」
きっと茜は、知っているんだ。
わたしが、わざと人間の血を吸ったことのある吸血鬼を引き寄せていることを。
そしてそれはきっと、薫も知っている。
「彼らは、人間の血を吸った。だから、いつかは処刑されるべき吸血鬼だったんだよ。まだ人間の血の味を知らない吸血鬼を、巻き込んだことがなければ、巻き込むつもりもない」
絶対とは、言えないけれど、と心の中で付け足す。
きっと、巻き込むことになるから。
それに、恐らくクロくんは、それを望んでいる。
鍵にあてていた手を、ドアに移す。
冷たい硬さに、わたしはもたれかかる。
「今みたいな関係になったのは、わたしのお母さんが死んでから」
二十歳の誕生日だった。
夜。外でいいもの食べようか、とお母さんが言った。もう予約してあるのだと。
沢山話した。わたしが生まれた日のことも、お父さんがどんな人だったのかも。
話して、話して、そして。
「お母さんね、吸血鬼に襲われたわたしを助けて、死んだんだ」
生温かい血のぬめりも、力の抜けた体の重みも。
今だって、いつだって、覚えているし、思い出す。
花火の日に送ってくれた彼を、狗狼くんを頼りなさい、と言った最期の声を。
「そのときに助けてくれたのが、クロくんだった」
「……舞白は、吸血鬼を、恨んでいるの?」
恐る恐ると言った様子で、澄んだ瞳が伺ってくる。
「どうなんだろう。お母さんを襲った吸血鬼自体は、クロくんが退治してくれたから、仇自体は済んでるんだよね」
「だったら、今みたいに吸血鬼をおびき寄せるための餌にならなくてもいいんじゃないの?」
どこかすがるような声に、わたしは思わず声を上げて笑ってしまう。
驚いたように固まる茜は、やっぱり吸血鬼なんだ。血を吸われたことのある人間には、なれない。なる必要だって、ないけれど。
「茜はさ、わたしのこと、一度も美味しそうだって思わなかったって、言い切れる?」
「それ、は……」
わかりやすく目を泳がせる茜に、わたしは小さく息を吐く。
今だってきっと、我慢をさせているのだろう。
しかも今は、血を流していないとはいえ、この間の夜とは違う。
薫の血を飲めていない状態なのだ。
「噛まれた時点で、どう足掻いたって吸血鬼には目をつけられる。目をつけられれば、下手をすれば関係のない人間を巻き込むことになる」
お母さんたちみたいに。
「だから、わたしはクロくんの、狩人の近くにいることにしたの」
人間との関係は、切れるだけ切った。
大学だって中退したし、今持っているスマホだって、一瞬外すことはあっても、基本的にクロくん以外は着信拒否にしている。
「生きるためには働かなければいけない。だからクロくんの手伝いをすることで、住む場所とお金を与えてもらったの。そこに、もしかしたら吸血鬼への恨みが少しはあったかもしれない」
今だってあるかもしれない。
「でも、なによりも、生きていくために、わたしはクロくんと手を組んだの。死ぬ覚悟はあったけれど、死にたいわけではなかったから」
少なくともそのときは。
小さく、心の中で呟きながら、わたしは茜を見る。
「わたしのこと、嫌いになった?」
茜は一瞬その優しく垂れた目を大きく見開いてから、首を横に振った。
「俺たちが離れなければ、また変わったのかな」
「それは、わからない」
離れていなかったら、もしかしたらお母さんは死ななかったかもしれない。
でも、きっと、クロくんに目をつけられていた時点で、わたしたちはこうなることが決まっていた気がする。
「薫は、狗狼さんのところにいるんだよね」
「クロくんはそう言ってたよ」
「そっか」
茜はなにかを考えるように目を閉じて、そしてゆっくりと開いた。
その目はなにかを決心したように、強い光をたたえていた。
「舞白、もし、舞白さえよければ、なんだけど」
そこから続いた言葉に、わたしはうなずいた。
やっぱりわたしたちは、ずっとクロくんの掌の上で踊り続けるのだと、改めて思いながら。
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