はじめての、

 + + +



 荒い呼吸が耳元で聞こえる。

 そのくせ、背中に感じる体温は、どんどんと下がっていく。

 震えそうになる体をなんとか抑えて、必死で空き教室を探す。

 できるだけ、保健室から離れながら。


 先生には、持病の悪化だと伝えた。

 薬の場所も、応急処置の方法も、知っているのは私だけだとも。

 そして、なにか言いたげな先生を振り切って、私が保健室に連れて行きます、と無理矢理彼を背負って、今に至る。


 現実を受け入れたくない私と、それを良しとはしない私。

 どちらが正しいかなんて、比べるまでもない。


 わかっている。わかっているけれど。


「薫、あそこ……」

 震える指先が、教室を指さす。

 そっと覗き込んでみる。誰もいない。

 この教室に入れば、もう、後戻りは出来ない、なんて。

 茜が舞白に惹かれていることに気づきながら、離れさせることをしなかったのだから、今更だ。

 小さく息を吸って、教室に入る。

 片足を引っかけて椅子を引きずり、茜を座らせて、ドアを閉め、鍵も一緒に閉める。反対側も同様に。

 駆け足で窓まで行って、鍵が閉まっていることを確かめた上で遮光カーテンを引く。

 準備ができたと思ったところで、ずしりとうしろから体重をかけられた。

「薫、ごめ」

「ちょっ」

 ちょっと待って。

 そう言うよりも先に、首筋に歯を立てられる。

 力加減がわからないのか、チョーカーをしたままだからやりづらいのか、そのまま肌を突き破るでもなく、ただただ甘噛みを繰り返される。

 震える指でなんとかジャージのポケットからカッターナイフを取り出して、刃を出す。

「せん……」

 持ち手の部分を、すっかり冷たくなってしまった手に握らせる。

 垂れた瞳が、本当にいいのか、と私の目を見て問いかけてくる。

 今更だ。

 本当に、今更だ。


 私たちがいずれこうなることなんて、生まれたときから決まっていたのだから。


 私は羽織っていたジャージから腕を抜く。

 少しだけ私の背中との間に茜が隙間を作れば、それはするすると体操着の上を滑っていき、空気を含んだ音を立てて床に落ちる。

 体操着だけになった上半身は、今の時期には肌寒くて。

 ふるりと身震いすれば、ギュッと抱きしめられる。

「冷たい」

「ごめん」

 幼い頃から知っている彼は、いつだって温かかった。

 冷たい体温。知らない体温。でも、知っている香り。


 舞白にさえ会わなければ、まだ彼は人間でいられたのだろうか。

 あの子さえ、いなければ。


 ふっと頭の中に浮かんだ思いに、必死で見ない振りをする。

 上がりそうになる口角も、暗い優越感も、すべて抑えこむ。

 首のうしろに手を伸ばして、チョーカーを外した。

「茜」

 チョーカーも床にあるジャージの上に落とす。

 カッターの刃が、私の首を滑っていった。

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