一人だけ。

 + + +



 必死に走って走って茜を見つけたときには、既に花火は終わっていた。

 茜は一人、大きな木の幹にもたれるような形で、ぽつんと空を見上げて座っていた。

 その姿があまりにも切なくて、胸が苦しくなる。

「茜」

 なんとか絞り出した声で名前を呼べば、空を見上げていた茜が、私のほう振り返った。

 私が一人だったから、恐らく最悪の事態を連想したのだろう。

 彼の顔から血の気が引いていくのがわかった。

 私は意識して、明るい笑みを作った。

 胸の中で、ほの暗い羨ましさが揺れているのを感じながら。

「舞白は無事だったよ。他の狩人が保護してくれてた」

「よかった……」

 ほっと息を吐きだした茜に、猛烈に泣きたくなってしまう。

 それをなんとか飲み込んで、口を開いた。

「その人は記憶を消せる狩人だったから、消してもらった。連れ去られた前後が朧気になるみたい。一応、はぐれたってことでその人が先に舞白を送ってくれるみたいだから、少し時間をつぶしてから、舞白の家に行こうか」

「探してた振りをするってことだよね」

 流石に察しがいい。

「うん」

「わかった。よかったら隣、座りなよ。走り回って疲れたでしょ」

 トントン、と自分の隣を叩く茜の顔は、穏やかだ。

 ただそれだけのこと。

 だけど、それだけのことで、さっき堪えたはずの涙が、戻ってきた。

 いけない。

 そう思ったときには、視界は既にぼやけていた。

「薫?」

 駄目だと思うのに、一度あふれた涙は引っ込んではくれなくて。

 ぼろぼろとこぼれ落ちていく。

 薫が立ち上がって、こっちに来る。

 慰められるわけにはいかない。そう思って数歩後退したのに、茜の歩幅が大きいせいで、肩を掴まれてしまう。

「薫」

「ごめん、舞白を連れて戻れなくて。一人にしちゃって」

 他にもあるけれど、うまく言葉にできなくて、ごめん、とまた謝る。

「……舞白、血を吸われてたんでしょ」

 思わず目を見開いた私に、やっぱり、と薫が眉を下げて笑う。

「どうして」

「舞白と一緒に戻ってこれなかったってことは、間に合わなかったか、彼女自身が血を流しているかのどちらかだろうな、と思ったから。舞白が無事だったのなら、残るは後者だけだ」

 そこまで言ってから、茜は私の顔を覗き込むようにして、私と視線を合わせてくる。

「俺を、吸血鬼にしないために、そうしてくれたんだよね」

 俺たちを守ってくれてありがとう、と、まっすぐに私を見て茜は言う。

 聞く人によっては残酷に感じるかもしれないそれは、私にとっては苦しくても、温かい言葉だった。


 人間から吸血鬼に変わる原因は人それぞれだ。

 だけどその中でももっとも多いのは、恋愛的な意味合いで好意を抱いている人間が流血したときだ。

 基本的に吸血鬼は、好意を抱いたら最後、その血の一滴、髪の毛の一本に至るまでのすべてを欲するようになる。

 食事として人間の血を飲んだ場合は、人間全般の血を欲するようになる。そして止まらなくて飲み干して殺してしまう。

 だけど、好意を抱いた相手の場合、少しそれは変わる。

 好意を抱いた相手の血を一口でも飲んでしまえば、最後の一滴まで飲み干したとしても堪えられないほどの乾きが吸血鬼を襲うのだ。結果として、食事として人間の血を飲んだ吸血鬼よりもより凶暴な吸血鬼になってしまうことも少なくない。


 それほどまでに、吸血鬼にとって恋愛感情は恐ろしいものだ。

 強烈なそれが、吸血鬼になってしまう理由にならないはずがない。


 茜の抱く感情は、もしかしたら恋愛感情ではないかもしれない。

 吸血鬼は、一度でも噛まれたことのある人間を追ってしまう習性がある。

 だから、彼もそう言った意味で彼女に興味を持っている可能性もある。

 もちろん、それがきっかけになって恋愛に発展することもあるし、舞白の話をするときの茜を見ていれば、ほとんど確実に彼女に恋愛感情を抱いているだろうことはわかるけれど。

 わかるんだけど、なんでこんなにもそれを、認めたくないんだろう。

 どうしてこんなにも、彼に心配される舞白が、うらやましいんだろう。

 吸血鬼に襲われる理由も、それが彼女にはどうすることもできないことも理解しているのに、こんなに……彼女が憎たらしいのだろう。

 本気で心配したし、彼女のことを友人として大切に思っているのに。


 私がもしも同じようなことになったとき、彼は同じように心配してくれるのだろうか、なんて。


 そんなの、ないに越したことない。

「ごめん」

 ただ謝ることしかできない自分が、どうしようもなく情けなくてしょうがなかった。

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