夏
助けられたのは偶然なのか。
* * *
冷房がかかった部屋で、ぼうっと天井を眺める。
中学生の頃は部活に入っていたから、夏休みは文字通りあっという間に終わっていた。
だけど帰宅部になった今はどうだろう。
夏休みが始まって三日目。
もう既に暇を持て余している。
茜と薫は、用事があるとかで、終業式の日から数日間、おじいさんとおばあさんの家に行っている。
あの日から、例の男の子はよく声をかけてくるようになった。
とは言っても、挨拶くらいだけど。
手の中にある紙に、視線を落とす。
二人が来る直前に渡された紙には、彼の連絡先と、カタカナでクロとだけ書かれていた。
あとで知ったけど、クロ、というのは彼のあだ名らしい。
本名があまり好きではないと噂で聞いたので、私もクロくん、と呼んでいる。
連絡先はスマホに登録済みだ。
だけど、なんとなく捨てる気にもなれなくて、未だに紙を持っている。
私は、どうしたらいいんだろう。
守るって、なにから守るというのか。
普通に考えれば、あの牙を持った赤い瞳の人たちから、なのだろう。
でも、どうしてそんなことをクロくんは言うのか。
二人には、クロくんのことは言っていない。
口外するなと言われた訳じゃない。
ただ、言いづらかった。
彼は、わたしがいつも二人と一緒にいることを知っていた。
それだけなら、まだわかる。
二人は美男美女で、目立つから。その二人と一緒にいて、目立たないはずがない。
ひっかかっているのは、二人がいるから大丈夫、という言葉だった。
よくよく考えたら、あの夜助けてくれたのは二人だったのだ。
偶然、なのだろうか。
あの場にいたのは。
今までだって、何度か不審者に襲われかけたことがあった。
その度に誰かが助けてくれた。
運がいいのだと思っていた。
だけど、果たして本当にそうなのだろうか。
記憶を辿る。
そうすると、襲われかけたことは覚えていても、不審者の顔を覚えていないことが多いことに気づく。
顔を思い出そうとすると、頭が痛くなる。
よくよく考えれば、助けてくれた人の顔だって、朧気なのだ。
怖い思いをしたのだから、ショックが強くて忘れてしまっているのだろうと、今までは思っていた。
でも、なら、どうして今回は覚えているのだろう。
不審者の顔も、助けてくれた人の顔も。
「痛っ」
目をちくりとした痛みが襲う。
前髪が入ったのだ。
そういえば、ずいぶん伸びた。
のそのそと起きあがって、部屋を出る。
「お母さーん」
階段を降りながら呼べば、はーい、とだるそうな声が返ってくる。
方向的に、たぶん洗濯機の近くだ。心の中でよしっとガッツポーズをする。洗濯機の近くには洗面所があって、スキバサミなどが一式揃っているから。
最後の段から降りる頃には、ガゴンガゴンと激しい音が響いていた。
廊下を歩いていってひょっこりドアから覗けば、棚からクシやらスキバサミやらを、お母さんが出しているところだった。
「なんでわかったの」
「朝御飯食べてるとき、ずいぶん伸びたなって思ったのよ」
流石お母さん。よく見てくれている。
「で?」
「切ってほしいな。ダメ?」
見上げて首を傾げれば、軽く頭を小突かれた。
「いい加減前髪くらい自分で切りなさいよ」
「だって、自分でやると目を開けてなきゃいけないでしょ」
先端恐怖症とか、そういうものではないのだけれど、ただ、刃物がすぐ近くに迫ってくるのを見るのがダメなのだ。
お母さんが小さくため息を吐く。
「はい、鏡向いて」
「わーい、ありがとう」
鏡を見れば、笑顔を浮かべた自分と目が合う。
視界の中に、ハサミが入ってくる。
鈍く光るハサミは、なんだかあの牙とよく似ていた。
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