私は守らなければならない。
+ + +
彼女の母親が、家まで送っていくと言ってくれたけれど、お断りをした。
閉まったドアの向こうから小さく、佐藤さんを叱る声が聞こえた。
その声に、私は心の中で小さく謝罪をする。
「跡、つけててよかったね」
そう茜がこぼしたのは、何度目かの角を曲がったときだった。
本当に、と返す。
この世界には、人の形をした生き物が大きくわけて三種類いる。
人間と、その血液を欲する吸血鬼、そして吸血鬼を唯一殺すことができる狩人だ。
基本的に人間はそれを知らない。
だけど、幸か不幸か、ごくまれに人間と関わってしまう吸血鬼がいる。
その間に産まれた子供は、十代半ばまでを人間として、それ以降を吸血鬼として生きていくことになる。とは言っても、そこは人それぞれで。
徐々に吸血鬼になっていく人もいれば、いきなりスイッチを切り替えたかのようにすっぱり吸血鬼になる人もいる。
今私の隣を歩いている茜は、今は人間だけれど、そんなに遠くない未来、吸血鬼になる。
私は、そんな彼に血を与え、いざというときに彼を始末する役目を持つ、狩人だ。
最初に佐藤さんに目をつけたのは、茜だった。
入学式の日。
彼女を見て小さく茜は呟いたのだ。
美味しそう、と。
一瞬茜が吸血鬼になってしまったのかと思ってしまったが、太陽の光を浴びてもしっかりと立っている彼は、どう見ても人間のままだった。
つまり、まだ吸血鬼として目覚めてはいない人でもそう感じてしまうほど、彼女は吸血鬼にとって魅惑的な食べ物、ということに他ならない。
顎より少し短いくらいの焦げ茶色の髪は、くせっ毛なのか、ふんわりとウェーブがかかっている。
大福のように柔らかそうな白い頬は、ほんのりと桜色に色づいていて健康的で愛らしい。
小さな唇は、ふっくらとしている。
なによりも惹かれるのは、くりっとした黒目がちの大きな瞳だ。
華奢で小柄な体型と相まって、小動物じみた可愛らしさがある。
同性の私でさえ、庇護欲を掻き立てられそうな、そんな子。
いわゆる面食いな吸血鬼の、餌になりやすそうな子だと思った。
それに、私の鼻が間違っていなければ、彼女からは例の香りがした。
「彼女、なにか言ってた?」
記憶を辿るような間。
少しして、ふるふると茜は首を横に振る。
「気になるようなことはなにも。どうして?」
吸血鬼の大半は、香りのことを知らない。
だからこそ、いくら家族のような存在だとしても、彼に香りのことを言うわけにはいかない。
「なんでもない、ちょっと気になっただけ」
「そっか」
「うん」
茜は基本的に、私が答えなかったことに対して深く追いかけてくることはない。
そういうところが、本当に接しやすい。
人としても、吸血鬼と狩人という関係でも。
「あ、そうだ」
「なに?」
両手を叩いた茜を見上げる。
彼は眉を下げて微笑んでいた。
「佐藤さん、ずっと薫のことを心配してたよ」
その言葉に、私は思わず顔をしかめる。
私を見て涙をこぼした彼女が、頭を過ぎったのだ。
「……私の心配なんて、しなくていいのに」
「彼女は知らないからね。君が狩人で、狩人の治癒能力がえげつないってこと」
私たち狩人は、ちょっとしたかすり傷レベルなら瞬きする間に跡形もなく消えてしまうほどの治癒能力を持っている。
「知らなかったとしても、普通あんな目にあったあと、他人の心配なんてできるものなの?」
少なくとも、今まで助けてきた人間たちは、一目散に逃げていった。
それが普通だと思っていた。
「優しい子、なんだろうね」
「そんなの、損をするだけよ」
吸血鬼を引き寄せる人間を、悪用する狩人がいない訳じゃない。
吸血鬼は、人間の血を飲めば飲むほど、牙が伸び、瞳が赤くなる。
狩人よりも人間の血のほうが遙かに美味しいらしく、一度味を覚えてしまうと狩人の血を体が受け付けなくなってしまう。
結果、求める血液の量が増え、そして、殺人を犯してしまうのだ。
それを防ぐために狩人は、一度でも人間の血を吸った吸血鬼を始末している。
実際に私も何度もそういった吸血鬼たちを手に掛けてきているし、先ほどの吸血鬼だって始末した。
吸血鬼に血を与えても彼らを化け物にしないのは、私たち狩人だけ。
化け物になった吸血鬼を殺せるのも、私たち狩人だけ。
だからこそ、あえて吸血鬼を誘い出し、人間の血を飲まざるを得ない状況を作り出して狩る狩人がいたりする。
そういった狩人に利用されやすいのは、彼女のように吸血鬼を引きつける人間だ。
一目散に逃げてくれる臆病者なら、そういった狩人に目をつけられにくい。
でも、そうじゃないのなら。
彼女が、他の狩人の手に落ちないように、吸血鬼の餌食にならないように、私は守らなければならない。
「損、か」
「茜?」
「いつもお世話になってる誰かさんが損しないような世の中になればいいなって。それより怪我、してない? 大丈夫だった?」
「その誰かさんは優しくないから大丈夫だし、私は怪我してない。血のにおい、しないでしょ?」
彼は一度口を開いた後、言葉を探すように瞳をぐるっと一周回す。
そのまましばらく前を向いていたけれど、彼はやがて小さく息をこぼした。
「痣だって怪我でしょ」
一瞬反応しかけたけれど、なんとか耐える。
これは、鎌を掛けられているだけだ。
だって茜は、少ししか見ていないはずなのだ。
逃げる隙を作るためにあの吸血鬼を蹴り飛ばした、その一瞬だけ。
痣を作ったとしても、彼らがいなくなってからだ。茜が知っている訳がない。それに、例えできていたとしても、もう消えてしまっているはずなのだから。
「痣も切り傷も、すぐに治るんだから、怪我してないのと同じでしょ」
「違うよ」
全然違う。
そう呟いた小さな声は、諦めたような響きがあった。
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