斬鉄剣と剣士

 数日して鉧の空冷はすでに終わり、玉鋼は小分けにし、一番良質なものを厳選した。

「立派な玉鋼だのう、これほどのものを作れるとは大したものだ、盈よ」

「俺が作ったんじゃ、ない……俺が作ったんじゃ……」

 ここでシノギという名前を出してもいいか迷った。だが、言ってもおそらく通じないだろうう。

「ほほう、まぁ何があったかは聞かぬがじいちゃんはのう」

「魂こもってるだろ、その玉鋼」

 盈には見えていた。何か込められているものがその玉鋼にある。それを魂と言ったものの、それは確かに言い得ていた。なぜなら、シノギが作ったものに間違いないと盈が思えるくらいだから。

 だからおじいさまにも聞いた。自分の目に間違いがないかを。この玉鋼が粗末なものではないことを確かめるために。

 これが自分の玉鋼ではないとは言えど、自画自讃を装って聞くのは正直気が引けるものである。だがこの玉鋼の出来は聞かずにはいられなかった。

「ああ、だが盈の入れた魂らしくはない。どことなくわしが教えたことがこめられてはいるようだが」

 盈が教えたものは、おじいさまと父親が教えたもの。盈はシノギに教えたものは、すなわちおじいさまと父親の教えが少なからず継承されている。それは当然そうあって欲しいことだった。

 盈が教えた言葉に、シノギが的確な意味を込めたことを、おじいさまは見破っている。

「で、斬鉄剣を作って欲しいんだ」

「それは、鉄を斬る刀じゃな?」

 さすが理解が早いおじいさまだ。

「ああ」

 この行為には、決してシノギに対する憐れみという意味は含まれていない。けれど、シノギの込めた意味、そして意味にして魂となるものを込められた玉鋼を、盈は決して無下にはしたくなかった。

 決してシノギのためではない。

 鍛治場に足を踏み入れ、火付けの準備が整って、盈たち三人は、おじいさまの主導でホドに玉鋼を入れる。橙色に熱を持った。

 それを見届けてから玉鋼に相槌を打つことになる。

 ここからは父親も加わり、合計三人の協力が必要となる。

 とんちんかんとはよく言ったもので、そのようにバカにされないために、真剣な眼差しで玉鋼を見て、三人交互に鎚で鋼を叩く。こうやって叩くことで玉鋼を打ち延ばしていく。

 途中で溝を作り、折り曲げては打ち折り曲げては打つ。そうやって鋼を何重にも強くしていく。

「なんか人間みたいだな」

 盈はなぜだか知らないけど、ひょいと偉そうにそのような感想が出てきた。

「盈の口からそんな言葉が出るとはのう」

 別に盈の言葉に怒るわけでもなく、たしなめるわけでもなく。おじいさまは盈に同意し、それに感心の態度を示す。

「人間って何にでもなれるって思うのに、人間が人間を何かにならせることもできるって、俺はそう思うんだ」

「そうか、だが違うぞ盈よ」

 違うと言うものの、おじいさまは笑みを浮かべていた。

「確かに鋼を刀にしてしまうように、人間は人間を型通りにならしめることは否めぬ、だがのう」

「だがのう……、なんだ? じいちゃん」

「一番至難を極めるのは、自分が何にでもなれるからといって、そう簡単で自由に何にでもなれるわけではない」

 聞いて反芻してみて、思い当たる節は確かにある。

「まあ、そうだよな」

「他人の手を借りず、自分を理想の自分にならしめるのは、痛みを伴う。他人が人間を変えてしまうのは簡単じゃが、自分が自分を変えるのはもっとも難しい業じゃ」

「ごもっともだ」

 シノギはあのとき痛かっただろうか。少なくとも苦しかったろう。いま思えば酷いことをしたものだと思える。

 姉を殺したことは決して許せるわけではない。盈の顔がわずかに硬くなる。

 だからなんだ、とも自問する。盈は唇を噛んで自分は決して姉の死を思い出してシノギに冷たく当たったわけではない。そのことを決めつけるように、眉間にしわを寄せた。


 しばらくして斬鉄剣は出来上がった。

「さぁ出来映えはどうかの、盈」

 精神を集中させて、盈の自慢するまなこで刀線がないかを確認する。

「完璧だ、さすがじいちゃんだ」

「いや、玉鋼が良かったのじゃよ」

 間違いない、シノギの野郎よくやったなと、そばにいたら褒めてやりたいくらいだった。

「これほどの玉鋼を作るのは、さぞかし命懸けだったじゃろうな」

 それもそうだろう、いまはようやく完成したという高尚な気分に浸りたくて、盈は鍛治場を出て外の空気に当たりに行った。

 空は黄昏時、夜風にはまだ早い涼しい風が吹き抜ける。

「盈」

 父親がこの場にぬっと出てきた。

「ああ、父ちゃんもありがとな」

「父ちゃんはじいちゃんのおまけか?」

「ああ、ごめんごめんよ」

 そのとき、シノギの脳裏をひとつの考えがよぎった。今日まで密かに考えてきたこと。

「なぁ父ちゃん、もし俺がこれから誰かの仇討ちをするって言ったら、なんて言う?」

 きっと盈の目は笑っていないだろう。盈自身ですらそのことに薄らと気づいていた。間違いなくこの瞳は悟られている。

「何を言うか」

 父親が眉根を寄せる。

「剣は人を斬るもの、殺すもの。それを一番わからせるように教えたのは父ちゃんだぞ」

「じいちゃんもな」

「ああ、そうだとも。父ちゃんはじいちゃんのおまけではないぞ」

 さっきも聞いた言葉をもう一度繰り返す。ただ二度目は笑えなかった。父親もおじいさまの同等の価値観が、盈の胸の中にどっしりと座っているのだろう。

「相手の悪をわからせて、罪悪感を実感させる。これこそが一番の道だ」

 そうか、そういうことか。溜飲が下がる思いだった。

「罪悪感か」

「そうだとも、仇討ちなんてとんでもない」

 こういう説教は一度として聞いたことがなかった。死をもって償えと言うのは容易い。だが、たとえ死をもってしても相手は反省しない。必要なのは相手に死ぬほどの猛省を促し、どう償うかを考えさせる猶予を与えることだ、と。父親は言い続けた。

「相手が罪悪を知り、相手が罰を望んだとき、情を酌んで許す、これこそが剣士の道だ」

 それを聞いて納得する。武道にしても、武道のうちにあたる剣術にしても、そういう生き方をするというのはしんどい。けれど、そのしんどい生き方をじいちゃんは、父親は、そしてご先祖様方はしてきたのだろう。

「そっか」

 喉につかえていたものが、腹に落ちた気分だった。

「お前は人を斬ろうとしていたのか?」

「ああ、教えられなかったからな」

「これだけは言っておく、お前は地獄に行くな」

「……どういうことだ?」

 父親は口を覆って数秒、手を離し、重々しい気持ちを露わにしてから、盈に言う。

「じいちゃんと父ちゃんは、人を斬り殺した。先の戦争に加担した。これはどんな解釈をしても重罪だ」

「父ちゃん……」

「お前は人を斬り殺したことがない、そうだろう?」

「ああ、そうだな」

 確かに自分は人を斬り殺してはいない。たとえ剣が人を殺すための道具だとしても、その剣の神髄が人を殺すことであってはならない。しんどくて極端で繊細だけれど、それが真実だ。

「決して、じいちゃんや父ちゃんのように、同じ道を歩んでくれるなよ。それが剣士の生きる道、武道に生きる道だ」

 盈はきっとそうしてみせると頷いた。

「盈!」

「おお、姉ちゃん」

「何をしてるんだい。ご飯が冷めちまうよ」

 どうやら夕食ができたようだ。

「いま行くよ!」

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