聖剣の再会

 周囲の砂塵を巻き込んで、荒ぶる風が吹きつける。平信徒から厳めしくも騎馬兵になる変わりようだ。盈にはこの臨機応変さが滑稽に見える。

 無理強いにあぶみを踏ませ、盈は馬の尻にさっさと乗せられる。盈自身も無礼を働いたが、この男たちもやはり負けずと無礼さを感じる。

 そもそもがが盈が聖剣に出向かおうとする、いわば自発的な行動であるはずなのに。半ば強引に連れ去られようとしているよう感じるのは、決して気のせいのたぐい、被害妄想のたぐい、といったものではない。

 次に鞍へ男が跨がり、盈は騎兵の後部に座る形となる。

 二年前は馬に引きずられた。だが馬に乗るとかは場慣れもしておらず、騎兵に指示されやむなく男の背中を抱きかかえる。盈にはわからないが、こうでもしないと落馬するからというから仕方なく応じる。余談だがそのあたりが、村から外に出たことのない盈の、ごくごく普通の考え方だった。

 いずれにしても用心するに越したことはない。言葉の選び次第では処刑もありうるのだから。

 いななきをあげる駿馬、砂埃も構わず風を切って走り抜ける。この高みから風景が流れるのなら、馬に乗るのも悪くはないと思えた。

 森を抜けてあっという間だ。にわかに山裾を越え、山の下でぼんやりとしか見えなかった国都が間近に迫る。昔から見ているように、山から見下ろす都はかっちりと格子状に建物が並ぶ。

 盈は生まれてこの方、都に足をつけたことがない。それゆえ世間知らずも大概でいられるはずもなく、きょろきょろと目移りしてしまう。

 これはいけない。田舎者と思われるのも癪で、自分の所作に気づいた盈は咳払いをして、都など興味はない素振りをし、馬の上であまり動かないようにする。

 都に入って、その中核らしき場所、市場を馬が通り抜ける。

 当然、人々が行き交う場所だから、いきなり馬が走り込んできたこと。周囲の人間は慌てて道を開ける。騎兵たちに厳か頭を下げて一礼を見せる。

 道を譲るさまは、この市井の民が騎兵のために道を作っているように見えて面白い。村では決してかような光景は見られない。

 家宅はほとんどが木造作り。煉瓦造りの家屋もあったが、それは見るからに富裕層が棲まう建物と見える。山の上からはぼんやりと格子状に家が建ち並んでいたが、市井の民はその鳥の目の風景に気づくことはおそらくない。山の人間だからこその特権だった。

 闊歩と騎兵が都の中心にある王城へと進む。いまは前王の統治はないのだから、あの城はいま聖剣様のものだ。さすればここは王城と呼ぶよりは、むしろ聖剣様の根城とか牙城とか言うべきだ。

 かくして日射しに輝く白塗りされた牙城は、目の前に見えてきた。

 壁は白塗り、屋根瓦は紅色。こんな色をした建物は、到底村には存在しない。もっとも作ってもらおうなどという魂胆など盈にはないが。

 牙城の門が重々しく軋みをあげて両開きし、盈より前方で走っていた馬から順に城内へ入っていく。

 馬からようやく下りる。さすがにお尻が痛い。盈は腰まわりを軽く撫でた。

 そうしてから盈は周囲を見渡す。

 絢爛な中庭だった。人も景色も絢爛だった。

 ここで、美女数人が頭を下げて、舞踊を見せる。

 ふと水の音が静かに聞こえる。湧水を利用した池らしく、じっと見つめていると池の中からありえないほど綺麗な魚が飛び跳ねた。あまりの彩りに、まさか絵の具を魚に塗ったのではなかろうか、とさえ勘違いしたくなるほどの見映えだった。

 綺麗だ。だが聖剣様にこんなものは果たして必要だろうかと疑問には思う。

 前王の趣向がこういったところに現れていたのだろう。無闇に壊して前王の人間性まで侮蔑に落とす気はなかったのだろう。

 はてさて小国に過ぎない前王でこの贅沢だ。この大陸において、この小国より広い領土を持つ大国の王なれば……どれほどの贅沢の極みを尽くした城がいまだに存在することだろう。

 馬から下ろされ、案内人に奥へ進めと促される。朱塗りの柱が並び、白い石畳を踏みながら、真っ直ぐ進んでいく。

 先頭は案内人一人、盈の背後には物々しい雰囲気をよだたせ、さっきから盈を取り巻いてる信徒たちがついてくる。

 城内建物に入ると御影石で作られた床になっており、下を見やると盈の歩き姿が写っていた。御佩刀教に落城されたとはいえ、床も城壁も磨かれている。牙城になったとはいえ、変わらず手入れはなされているのだろう。

 そうして深紅の絨毯に行き当たる。目前にある紫色の幕に向かい、ただ奥へ伸び広げられていた。ただ単純に真っ赤な絨毯ではない。両端に珍しげな紋様が金糸刺繍であしらわれていた。ただ荘厳な雰囲気を出すだけの演出ではないことは確かである。間違いなく紫幕の向こうに

 ここは王の間、いや、聖剣の間だ。

 盈にはその美の構造を瞬時に理解できぬほどの紋様が、壁全体に描かれていた。壁だけでなく天井もまた目が回るほど、きらびやかな意匠を凝らされている。

 絢爛な装飾は一日二日とて手入れを抜けば、くすむような代物ばかりだ。ちりのひとつさえ、付着していない。

 この城の使いの者に履き物を替えられ、絨毯をゆっくり歩いて行くと、小さな椅子を置かれ、盈はそこに座る。

 その先、向こう側を見ることのできない紫色の垂れ幕。だがもう盈は察している。向こうに何が、誰がいるのかを。

「聖剣、御佩刀様の御前!」

 幕が左右に開いて使いの者によって荘厳ゆっくりと取り払われる。

 刀掛台にかけられた聖剣が変わらぬ様子で盈の前に現れた。

 言わずもがなこれで二度目の対面となる。

 ――盈よ、ひさしぶりであるな。

 その小さな変化に盈は少々と悶える。はじめて名前で呼ばれたからだ。先日は厳めしくも令孫という硬い呼び方をされていたというのに。

「こたびは、不肖この俺が、まことかたじけないことを」

 ――形骸な礼儀はよさぬか、普通に話したまえ。

「ああ」

 らしくもなく緊張を生じる。無意識にもそれが言葉遣いに表れてしまった。

 補足すれば、先日この聖剣の平信徒らが、無礼な口を働いた手前があって頭を押さえつけられるなりした。だから体面上は敬語で話すべきだろうと考えてもいた。

 だがもうそんなことはわざとらしいとさえ思える。聖剣が許すのだから、その広い心に委ねようと盈は決めた。

 ――そなたにはもう一度会いたかった。よく顔を見せてくれぬか。

 わずかに顔を俯けていることに気づく。盈はゆっくりと表をあげて、聖剣のほうを見た。

 瞳を開いて、しっかりと見た。

 ――いやすまぬ。こう改めて見てもそなたは祖父、志摩満にまこと似ている。

「そりゃ、おじいさまの孫息子だからな」

 ――瞳など志摩満の熱意のある瞳にまことまごうことなき、と言うほど。

 おじいさまの話をする予定は特別なかったのだが、どういうことだろうか。盈が本題に入る前の枕として、ここで聖剣のほうから軽く世間話でも振っているのだろうか。

 盈としては、早く本題に入りたい気持ちでやまやまなのだが。

 ――そなたの祖父、志摩満をこの世に呼び出したのは我だ。

「……なに?」

 盈の肩が隆起した。豆鉄砲を食らったように瞬きする。

 盈が生まれてから十年余りは、祖父と生活をともにしていた。だがしかし、祖父は自分のことを好き好んで話すような人間ではなかった。そっとしておいて欲しい様子をいつも見せる。それでも、彼がこの世ではない、日本という別世界から来たということだけは理解していた。そのおじいさまを呼んだのがこの聖剣だったのか。

 ――我は志摩満に、我をこの手にし、世界を統治せよと言った。答えは否だった。

「おじいさまが……」

 この聖剣に出会わなければ盈はきっと生涯、祖父のことについては多くを知らずにいただろう。

 ――そなたの祖父は、前王にまみえ、自ら作り上げた一本の刀を差しだした。この世に召喚し、我と数日の後に我は世界統一を彼に託した。そして志摩満はかような我より、前王のほうを選ぶと言った。

「なんでだよ」

 聖剣に仕えるほうが大きな力が手に入る。シノギは例外だが、おじいさまならばこの聖剣様を手にし世界統一をしてもいい。それぐらいの威厳を盈は祖父から感じていた。あわよくばおじいさまに見合う地位、国王……いや、皇帝としての座を得られたかもしれない。そう言っても過言ではない。

 だがおじいさまは自分の地位よりも、国王に世界統一の座を譲る。そのために自身の力を納めた。なんという無欲なことだろう。

 ――この世に召喚した我よりも、この世に来てから我に会う前に食住に困っていた志摩満は前王の世話になったからだと。

 それはきっと小さな恩義だったろう。その国王にとっても、周りの人間にとっても、大したことをしたとは思っていなかったのではないか。ただ一人おじいさまだけがその恩義を非常に大事にし、それに報いたのだ。なんと言い表すべきか、清冽過ぎるその行ないは、かえって清々しさすら感じる。

 だが盈もよくよく考えると、祖父がそのような行動をしたなら納得できる。当時、たかだか小国に過ぎなかったこの国だ。戦乱の中で滅びてしまう運命も感じたのだろう。その中で待遇をよくしてくれた。おじいさまにとってみれば大したことだったのだろう。溜飲が下がって、盈はさすがおじいさまだ、と誇りに思った。

 ――世界は最終的に統一された、だが前王は所詮人の子。二年前に体調を崩され床に伏せった。このままでは世界統一の基盤が失われる恐れがあった。

 この世を統治するに至った前王が死ねば、世界は混乱するだろう。世襲はしたと耳にしてはいたが、政治は振るわなかった。また、祖父もすでに他界していた。

 ――そこでだ、我は志摩満のもう一人の子孫。志摩シノギを呼び寄せた。我はシノギに統治の権を与えるつもりであった。

 確かに彼はおじいさまの血筋を継いでいる。だが疑問はある。もしかしたら盈を呼んでもよかったのではないか。聖剣はなぜ盈を選ばなかったのだろう。

 だが少なくともこの聖剣様にとって、シノギに聖剣を受け継ぐ権利はあってよかったのだろう。そして彼は斬鉄剣を作ろうとした。

 なぜ彼でなくてはならないかとふと盈は思い立つ。

「俺はやっぱり、おじいさまの孫だな」

 ――我が考えを悟ってありがたい。そなたは志摩満の令孫だ。ゆえ、そなたならきっと断ると考えていた。

 ああ、断るさ。盈は表情を変えずに心の中で答えた。

「シノギは力を欲しがっていた、よほど自分が見下されていると感じていたんだろうな」

 特に年下の盈から指示を受けることは、心中毛嫌いしていた。その空気を盈はしっかりと感じ取っていた。

「そんなよこしまな動機を持った男に、聖剣様は手を貸したというのか」

 ――いかにも、だが不純ではない。

「いや、不純だ」

 ――……。

「聖剣様は力そのものだ、だからこそ俺は聖剣様を愚弄をしたりはしないし、実は尊敬の念だって持ってるんだ」

 ――ほほう、我は力そのものか。

「ああ、だがシノギは気にくわん。あいつは力そのものではない、力を持つことに執着している」

 ――そなたは彼をそのように取るか。

「ああ。そして、力を持つことは強いということではない。俺はそう考えている」

 ――……。

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