玉鋼
――何?
「三日三晩ずっと、蹈鞴を前にしたことがないシノギに務まるかって? 俺には思えないんだよ」
蹈鞴を踏むということはそういうことだ。常に火を絶やさず燃やし続け、その熱の中で玉鋼は成熟していく。玉鋼と人間が互いに見つめ合う三日三晩だ。
盈はこう続ける。村人を無闇に労役に従事させ、あとはできるのを待つだけの二年の徒労を費やした。そもそもが間違ってる。村下が三日三晩の奮闘をするからこそ、他人が玉鋼作りに協力する。
「村下とはそういう者だ。安穏と蹈鞴を離れ、あとは村人任せに蹈鞴の製鉄を任せる人間にできるわけがない」
こいつがしたことは許せない。何よりもやったことが単純すぎること、それがなお許せなかった。こいつはただ村を侵略支配し、玉鋼作りの拠点と労働力を手に入れただけである。そのような単純なやり方で玉鋼ができると高をくくっているシノギに
「そんないつもぬるま湯に入っているような奴に、蹈鞴を陣頭する村下が務まるわけがない」
――……。シノギ、何か言いたいことはあるか。
「俺は、いえ、何も申し上げることはございませぬ」
粛々と受け止めて、シノギは頭を下げた。
――令孫よ……いや、志摩盈よ。我はそなたの力が必要なのだ。
「ああ、だがその前に村人を解放する。その保証をしてくれ」
――わかった。
すると、信徒が意を介して歩き出し、聖剣の前で膝を地面につける。一同、耳目を集中するよう、聖剣を見、聖剣の言葉を待った。
――信徒たちよ。この者たちを自由にせよ。これよりこの者たちにいかなる暴力も、いかなる不公平な扱いも、禁ずる。我、聖剣からの
「はっ!」
紫衣のこの信徒らは、一斉に叫びをあげると。村人の相好に笑みが零れた。
――これでよいか。
「ああ、確かに俺も聞いた」
――では、そなたの業をシノギに教えてくれたまえ。
ひとつだけ小さく頷くと、盈は椅子から立ち上がった。
――シノギ。
「はい」
苦渋に満ちた表情が落ちるようにシノギは俯く。
――そなたは令孫、志摩盈に教授を受ける覚悟はあるか。
「……あります」
盈が正直に感じたことを述べるならば、シノギは渋々自分から教授を受けようという態度になっているような気がした。口先だけだろうと思ってはいるが、これからどうするべきか考えるべきことだろう。
――集会は終わりだ。早ければ明日にも玉鋼作りを始めよ。
◆
「盈様」「盈坊ちゃま」
散会後、自由の身となった村人たちが盈に近づいてきた。
感謝の気持ちや、涙声混じりの感激を、みんなが盈にかけていく。
「すまないみんな、いまに至るまでみんなを助けられないでいて。本当に俺はふがいない」
「そんなことありません、盈坊ちゃまが来てくれたから私たちは……」
「そんなことがあるんだよ、俺に力があれば早くにみんなを助けられていた。死んだ人間も助けられていたはずだ」
傍らの樹木に盈は拳を握り込めて殴る。
「坊ちゃま……」
「ちくしょう! 畜生!」
怒りを理性で封じていたが、あのシノギの態度を思い出して、ついにそれが爆発して我慢が一気に崩壊した。
シノギたちは村人を殺した。姉を殺した。理不尽に村人に重労働を課した。
あのときもっと力があったなら、姉をしっかりと守れたはずなのに。あのとき彼らをやり込められてたら、どれだけ村人が死なずに済んだか。そしてどれだけ村人をこのような惨事に晒すことを止められただろうか、と。
すべて自分のせいだ、そう叫びながら樹を殴り続けた。
村人に盈の拳を止めようなどできなかった。
「畜生!」
「盈!」
後ろから両腕を抱えられて、自暴自棄の盈を止められる。
無茶苦茶に振り上げる彼の拳を止めたのは、ムシャだった。
「ムシャ……」
「やめて……、盈」
冷静さを取り戻し、彼女の顔を見やる。大粒の涙が彼女の頬を伝って落ちる。
赤紫色に染まった拳を見て、盈は凄まじい後悔の念に襲われた。
こんな暖かく迎えてくれたみんなを前にして、俺はいったい何をやっていたんだろう。
そんな思いがこみ上げ、盈の目の奥が熱くなって、ムシャの泣き顔が夜の景色とともに、滲んでいった。
夜風に揺れる篝火に照らされた、ムシャの黄金色の髪。青い瞳が盈の顔をじっと覗く。
悔しくて悔しくて、でもその悔しさを彼女は癒してくれた。ムシャがただそこにいるだけでよかった。
「ごめんな、いまのことは見なかったことにしてくれ」
村人たちは無言の笑顔で頷く。
「これからどうするんです? 盈坊ちゃま」
「さっき言った通りだ、あいつに玉鋼の作り方を教える」
志摩家は本来、玉鋼作りは一子相伝のもとに伝授してきた。
血縁関係はあれど、シノギは一子相伝の系列から言うと、赤の他人も同じ。彼に教える義理などどこにもない。けれど、村人の解放を条件にした以上、約束を反故にするわけにもいかない。
「あいつに教えてやるよ、玉鋼作りがいかに厳しいものであるか!」
それこそ村人たちに与えた被害の代償以上に厳しく教えてやらねばなるまい。
これは決して私怨ではなかった。盈もそれ以上の苦労をして、齢十五の当時になるまでに、村下の役を任されたのだ。
覚悟しとけよ、と。盈は腹の中で呟いた。
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