第三章

シノギ


   ◆


 何よりもシノギが嫌うことは、年下の人間に隷従することだった。

 蹈鞴製鉄の技術が途絶え、大学を卒業してから、製鉄業に従事し、身を粉にして働く。

 だが運が悪かったか。ある日、製鉄工場の現場で、溶鉱炉が爆発。周辺の住民に多大な被害を与えた。

 誰のせいで炉が爆発したか分からずじまいで、責任の所在が有耶無耶になった。おそらくシノギに落ち度はない。

 だが会社は倒産し、社員たちは散り散りになり、新たな仕事口を探す羽目になる。

 シノギが当時その製鉄所で働いていたということは、次の就職先を探す足枷になった。

 同じ製鉄業に入ろうとしたが、あの大事故を起こした製鉄会社に働いていたことを、人事の人間は決してよいことと考えはしなかった。どこの製鉄業種の会社もシノギに冷たく、門前払いをする。

 けっきょく妥協して、シノギは飲食店で接客の仕事に就いた。だが、製鉄業で働いた数年間が彼の矜持を傷つける。自分より年下の人間が、彼を教え指導する。製鉄業で培った経験に大きな自信があったころのことは、すべてなかったことにされたように。そう、自分自身を否定された気がした。そのことに耐えきれず、飲食店の仕事は数ヶ月で辞めた。

 彼は絶望する。製鉄業に従事することはもうできない。かといって、他業種で一からやり直すために年上から叱責を受けながら教えを乞うことは彼の矜持が許さなかった。

 志摩シノギがそう思って、とぼとぼと歩く夜道で、空を見上げる。不意に誰かに呼び止められたような気がした。そして何かが自分の横に落ちる音がする。

 何かと思って拾い上げると、それは刀剣だった。鞘に収められていたが、手に持った瞬間、その重さとその感触が伝わる。これが名刀に値するものだろうことは、シノギ自身にも分かった。

 シノギの祖父は玉鋼作り、刀鍛治、剣術に精通する、日本刀に関して屈指の人物だったことは聞いている。日露戦争で祖父は行方不明になり、父の代でその業(わざ)が途絶え、シノギには何ひとつその技術技法について教えられたものはなかった。

 手にしたその刀剣から声が響く。耳を疑うが、刀剣は直接シノギの心に問いかけてくる。

 彼に力が欲しいかと、そして鉄をも切り裂く刀剣を作ってみたいかと。言葉で有無を言うより先に、心が頷いていた。そして気づけばこの世界へと越境していた。


 盈に蹈鞴を習う際に、シノギは被虐の扱いを受けるだろう。配下を率いて盈の姉を殺したのだから、彼の怒りは計り知れない。だから覚悟はしていた。聖剣、御佩刀様の命令だから従わざるを得ない。だが、どれだけ彼の扱いに耐えられるか、それがシノギの問題とするところである。

 まず叱責を受けたのは、蹈鞴の製鉄炉の作り方を知らなかったこと。配下に任せ、村人を酷使し、自分は「玉鋼を作れ!」とその単純な指揮を時折にするだけ。だから、そもそも現場を知らなかった。製鉄業で働いていた、製鉄の知識はあると自負していた彼だからこそ、知る必要などないという奢りがあった。それを盈は許さなかった。

 最初に盈が教えたこと。蹈鞴の製鉄炉の作り方だ。

 炉の地下構造は複雑である。炉に湿気や水分が入り込むことを遮るために上から順に粘土、木炭、砂利の三層構造を作る。その上層にはさらに本床(ほんどこ)を設け、そこに薪を敷き詰める。この複雑な地下構造ができて、ようやく粘土で固めた製鉄炉を立てることができる。そして製鉄炉を挟み込むようにして蹈鞴が二つ設置される。

 本格的に炉が火を灯す。シノギは前夜、盈に「死ぬほど眠っとけ」と言われてこの日を迎えた。

「これから何をするんだ」

 火付けをしたばかりで、炎はまだ立ち上らない。

「熱を持ち始めるまで待って、頃合いを見て定期的に砂鉄と木炭を入れる。そして蹈鞴を踏んで湿気を遮る。このふたつを何度も繰り返す」

 シノギの頭の中では、実に原始的で単純作業のように思える。工程作業表で記せば一行で済みそうなほど簡単だ、と思うばかりに楽観視した。

「それだけか」

 渋い顔をして盈は、音を立てずにため息を吐き、静かな落胆でシノギを見やる。

「それを三日三晩寝ずに行なう」

「……なんだと?」

 そんな過酷な労働環境は、シノギが働いていた勤め先にも存在しなかった。日本という国でそんなことをすれば、法律に抵触し役所が黙っていられないはずだ。

「俺に三日間寝るな、と言いたいのか? 死ぬほど寝ておけと言ったのはそれが理由か」

「ああ」

 これは復讐だろうかと勘ぐりたくなるが、シノギはその三日三晩寝ずに仕事をしろということが、どれほど理不尽なことかと嘆きそうになる。

「俺を死に際まで追い詰める気か?」

ほど寝ておけと言っただろ。すでにお前は死んだ、そういう気になって働けということだ」

 たとえ相手が仇だろうと敵だろうと、そのへんの石ころだろうと、盈は相手に技術を荒療治に叩き込む。ありがたいことにその扱いの手慣れはまさに平等だった。

 若き村下として盈は、村人にもそのように教育を施していた。

 玉鋼作りは基本、一子相伝であり、現在は新しい村下の後継者となる人間はいない。村人にもそこまでの技量を持つ者はいなかった。村下不在で玉鋼を作ることができないのは当然の理だ。

 厳しい口調で、本来なら怒り半ばに頭が沸騰しているところだろう。感情を押し殺している気配を漂わせながら、盈は目線を製鉄炉に向ける。

「俺を。どうしても眠らせない気か」

「ああ、だが安心しろ」

 何を安心しろというのかわからない。盈は自分の頬を両手で叩いて、こう言った。

「シノギ。俺も三日三晩、眠りはしない」

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