ムシャの顔
気づけば夜も更けていた。外から音がまったく聞こえず心許ない時間だけが流れる。
「ったく……」
後ろ手に両腕を縛り上げられ、いい加減身体が窮屈で痛い。盈はため息を吐く。自分の不運を呪った。村人だけは助けたい思いがある。無論、少なからず犠牲になった者のため、仇討ちしたいとは思うけれど、いまはその時機ではなかった。
やはり自分の感情を表立てて出すべきではなかったと反省する。どうしてあんな激しい口調を走らせたのか、自制を効かせるべきであった。
「駄目だな、俺は」
「駄目じゃない」
ムシャは感情で行動しないから盈とは正反対だった。
悪いことに彼女は理性で行動する範疇だ。無論、仮面と兜にヒビが入ることは予想もしていなかった。理性で考えて行動してもこの程度なのだ、と盈は皮肉めいた言葉を言うために、彼女の横顔を見やる。
瞬間、盈は鼓動で胸が大きく跳ねた。
窓の隙間から差す月明かり、彼女の顔が見えた。仮面が割れて、瑠璃色の瞳と、黄金の稲穂色の髪をしていた。
「ムシャ……?」
彼女が首を動かすと、ビードロを割ったような音を立て、兜と仮面が壊れて落ちる。
金色の長い髪が腰まで落ちる。
「兜が、私……どうなってるの?」
さすがは斬鉄剣だ、長年身につけていたムシャの兜と仮面すら壊してしまうなんて。
ここでシノギに感謝するべきだということこそ、皮肉の極みだなと盈は苦笑した。
「盈」
無邪気な顔をするムシャ。盈たちとは違う顔立ちに出会って、盈は正直ドキドキせざるを得なかった。自分の呼気が乱れているのに気づき盈は、ムシャから目を背ける。
鎧の姿でとはいえ、二人で入浴したことに何の恥じらいもなかった。それがいまこの時点で、顔のあたりが上気して熱くなるのを沸々と感じる。
「お前、そういう、顔、してたんだな」
「……?」
自分の顔に何か変なものでもついているかのようにムシャはその器量で見つめてくる。
ムシャの顔には気にならない程度に血がついていた。傷口は乾き塞がってると見え、盈はそれに安堵する。
「なぁ、ムシャ。お前は、なぜあそこにいたのか覚えていないんだよな」
ムシャから前に聞いた話である。彼女は自分の生まれも、そして育ちについても記憶がなかった。気づいたときには彼女は鎧の錆で動けなくなっていた。そこに盈が現れ、彼が錆を落とすまでのことを遥か覚えていない。
ムシャの過去について訝しく思う必要もないし、詮索する趣味も持ち合わせてはいない。
だが月で輝く彼女の髪色は、まさに神秘の月のようだった。
満おじいさまは言っていた。この世界にも月があることは、実に風雅風流だと。その言葉の意を盈はいままでに汲み取れはしなかった。だが、彼女の顔が見えるいまこの瞬間、盈は風雅風流について知った。それまでは月が神秘的だ、などと考えもせず、そこにあるのが当たり前だと思っていたはずなのに。
「志摩シノギ、許せない。盈を斬ろうとした」
「憎悪に身を委ねるな。ムシャ」
「でも!」
「憎悪に身を委ねることは簡単だ、俺だってできればそうしたい。だけどな……」
「だけど?」
「あいつは力を持つことと、力があることを混同している」
斬鉄剣は確か鉄をも斬る協力な刀だ。だが、強い剣を持つことが強い力があるということは違うということを盈は知っている。
聖剣の形を象ることで、その刀は斬鉄剣になる。そういうものであるらしいことは理解していた。だが、果たしてその聖剣とはいったい何なのか、盈にはまだ知るよしもない。いずれ聖剣について知る機会は訪れるだろう。
「いずれあいつは俺の手で倒さなくてはならない、姉ちゃんを殺した。村人も何人殺したことだろうか。だが憎しみに任せるより先に、あいつに教えないといけないんだ。力を持つことは、力があるということじゃないってことを」
「盈……」
「仇討ちは、それからだ」
確かに最も愛する家族である姉を失ったことは、悲しみと怒りの極みだ。だが、満おじいさまから教えられたことを無下にもできない。力を持つことが力があることは違う。そもそもだがこれはおじいさまから習ったこと。
姉の死は、おじいさまの教えよりも重要度は低い。残酷な判断だが、盈が肝に銘ずべきことである。
姉は笑顔で身罷った。あの顔を盈は決して忘れたくはない。
「私もわからない。斬鉄剣を持つことがどうして力があることじゃないの?」
「じゃあ、そばで見てろ。お前にも教えてやる」
月は変わらず白く光り続ける。彼女の髪をことさらに輝かせ、彼女の顔がことさらに白く艶美に見えた。憎しみよりもいまは、そんな風雅に身を預けたい。
外がやけにざわつき立てる。そのことに気付いた刹那、家屋の戸が乱暴に開かれる。
「志摩盈、出ろ!」
「盈!」
わずかな灯火と月明かりだけが頼りの闇夜に放り出され、家屋の戸を背後で閉められ、ムシャと引き離される。
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