こうして英雄は魔女を討った

霧ヶ原 悠

「こうして英雄は魔女を討った」


 昔々というほども遠くなく、また昨日というほどにも近くなく。

 あるところに、聖女見習いの少女がおりました。


 四方を樹海に囲まれ、魔物に襲われることも多かった小さな国を守るため、誰よりも優しく、誰よりも気高い聖女のもとで、毎日修行に励んでいました。


 ところがある日、領土拡大を掲げた森の向こうの大国が突然攻め込んできました。

 深い森も、凶悪な魔物も食い破って進む鉄の兵器を持つ大国に、素朴で小さな国はあっという間に滅ぼされてしまいました。


 「相手は聖女の魔力を欲しがっているわ。あなたも危ない。急いで逃げなさい」


 少女が敬愛する聖女は、そう言って少女を城の外へと逃がしました。

 そして、守れなかった全ての民に謝りながら、短剣で喉を突いて自ら命を断ったのです。


 少女は、炎をかき分けながら大切な家族がいる家を目指して走りました。

 けれど、全ては遅すぎました。


 「あ、あぁ……」


 思い出のつまった家を舐め回す赤色が、少女の氷色の瞳を酷く痛めつけました。

 それでも目を離せないまま、少女は涙を流してただ見上げていました。

 

 「と、父さん……兄さん……。母さんも……妹まで……」

 

 父と兄は戸口で剣を握ったまま、母と妹は互いを庇い合うように部屋の奥で。

 吐き気がするような血の匂いを垂れ流して、倒れていました。


 「ど、どうしてこんな……こんなことを──────っ!」


 土を握りしめ、喉を枯らすまで叫んで、そうしてやつれ果てた少女は、抵抗もせずに大国へと連行されました。


 そこで少女は答えを聞きました。


 「邪魔だったからな。お前だって庭に何かを作るとき、元々そこにあったものは邪魔だから他所へやるなり捨てるなりするだろ。それと同じよ」


 手錠をかけられた少女を見下す豪華絢爛な大国の王は、そう言ったのです。


 「どうせたいした価値のない、みすぼらしいものだったんだ。なくなったところで困るものもいない。まあ、お前だけは別のようだから、これからも使ってやるがな。光栄に思えよ」


 少女の中で、何かがぷつりと音を立てて切れました。

 それは堪忍袋の緒だったかもしれないし、理性の糸だったかもしれないし、人が持つべき良心の綱だったかもしれません。


 少女は音にならない絶叫をあげました。

 それは広間を越え、城を越え、大国の隅々にまで響き渡りました。


 ──遍く福音よ、地に還れ。呪わしき歌声よ、天にながらえよ。


 山中の泉のように、静かで清らかであれと願われた聖女の魔力は、高熱と激痛を伴って全てを腐らせる穢れた魔物の呪詛へと反転しました。


 大国の王は、兵士は、そこに住む民は皆、何が起こったかすら理解できないまま、少女の──呪いの魔女と化した彼女の怒りと嘆きの前に滅んだのです。


 それから魔女は世界中を彷徨いました。

 人と人が傷つけ殺し合う戦争が大嫌いだったから、戦場に立つと四方へ呪詛を放ち。

 憎き大国の王を思い出すから、呪詛を利用してやろうとする者たちへ呪詛を放ち。

 殺されたくなかったから、討伐に現れた者たちへ呪詛を放ち。


 そんなことを繰り返していたある日、山の中で休んでいたときのことです。

 彼女は、ザクロを食べながら足を小川に浸していました。


 すると近くの茂みが揺れて、十歳を越えたぐらいの兄妹が飛び出してきました。

 妹のほうは足が魔物の呪詛に冒されてどす黒く染まり、兄が彼女を背負っていました。


 「すぐに村のお医者様のところへ連れて行ってやるからな! がんばれよ!」


 そう声をかけていた兄は、誰かがいたことに驚いた顔を見せました。

 ですが、魔女の目を見ると顔色を変えて、すぐに妹を地面に下ろし、庇うように立って小さな剣を抜きました。


 「そのあるべき色のない透明な瞳……。お前、噂の呪いの魔女だな⁉ い、妹は殺させないぞ! お、おれ、オレが相手だ!」


 魔女は震える兄の剣と、苦しそうに息を荒げる妹をじっと見つめました。


 実は魔女の呪いは、触れるだけでものを腐らせるので、彼女は川の水を飲むことも果物を食べることも、自由にできませんでした。

 それが、自分の感情と感覚を無にして祈りに集中する聖女の修行を行っている間だけ、魔女の呪詛と聖女の魔力が再び反転し、元の聖女見習いに戻れたのです。


 「……」


 聖女見習いだった少女が片手を上げると、兄は剣を振り上げて切りかかってきました。


 「っ、う……あああぁぁぁぁ!」


 彼女はそれを、避けようともしませんでした。

 代わりに唱えたのは、聖女になれるようにがんばっていたときの祝歌。


 「呪わしき歌声よ、地に還れ。遍く福音よ、天にながらえよ。今ぞゆるされた祈りの刻」


 彼女の腕から吹き出た赤い血とは反対の、青く清浄なる光は妹の足を撫で、瞬く間に魔物の呪詛を浄化していきました。


 「え……? な、なんで……?」


 てっきり呪詛が来ると思って覚悟していたのに、そんなことはなくて。

 混乱する兄妹に、魔女へと戻りながら少女は小さく告げました。


 「ただの気まぐれ。助けられなかったけど……私にも兄と妹がいたから」


 白く燃えたような草が延々と、立ち去る彼女の後ろに続いていました。

 兄妹はそれを、黙って見送るばかりでした。




 それから数年の時が流れて、世界中の国や町は争いを止め、人に仇なす呪いの魔女を討伐することに必死になっていました。


 それを知ってか知らずか、魔女は今日もまた深い山の奥で休んでいました。


 世界が郷愁を誘われる茜色に染まり、家路を急ぎたくなる頃。

 近くの茂みが揺れて痩せた男が顔を出し、


 「えっ⁉ う、うわっ、魔女! 本物の魔女だ⁉」


 そう叫ぶとすぐさま引っ込んで、どこかへと走っていきました。

 すぐにやってくるであろう討伐隊の相手は、労力こそかかりませんが面倒です。

 魔女は寄りかかっていた林檎の木から身を起こし、立ち去ろうとしました。


 「待ってください!」


 ところが、背後からそう呼び止められました。


 意外な言葉遣いに少し興味をひかれて、魔女は目線だけ後ろにやりました。

 剣を下げた立派な騎士が、さっきの痩せた男を従えて立っていました。


 そして彼は、深く頭を下げたのです。


 「俺は昔、妹の命を貴女に救っていただいた者です。覚えてはいないかもしれませんが……。ずっと、そのお礼を言いたかったのです。

 ありがとうございました。妹を助けてくださって。

 おかげで妹は、良き縁に恵まれ、先日無事に好いた男のところへ嫁ぎました。

 貴女には感謝してもしきれません……」


 かすれた記憶を辿れば、そんなこともあったような気がします。

 遠くへやっていた魔女の意識を引き戻したのは、顔を上げた彼の力強い言葉でした。


 「だから今度は、俺が貴女を救いたいのです!」


 ぴくり、と魔女の眉が動きました。


 「今、世界中が貴女を、呪いの魔女を殺そうとしている。人を傷つける恐ろしい魔女だから、と。

 でも俺は、貴女が本当は優しい人だと知っている!」

 「……」

 「誰にも邪魔されない家も、美味しい食事も毎日用意します! 俺や妹が貴女の話し相手になります!

 だからそこで、貴女が魔女になってしまった心の傷を癒してください。

 もう一度、この世界を好きになってください!」


 騎士の願いは、静かな山の隅々にまで響き渡りました。

 その残響が完全に消えてしまう前に、魔女は彼に背を向けました。


 「! 待ってください! 俺は本当に貴女を助けたくて……幸せになって欲しいんです! 俺を信じてください!」

 「ちょ、ちょ、落ち着いてくださいよ、ご主人! もう夜になります。夜の山なんて、魔女以外にも危険が……」


 慌てた従者に引き止められ、彼はそれ以上追うことができませんでした。


 「……っ、また明日来ます! 貴女が俺と来てくれるまで、何度でも……!」



 そう誓った通り、騎士は翌日も山奥を訪れました。

 魔女は、林檎の木の下にはいませんでした。

 少し離れた、色とりどりの花が咲き乱れる小さな野に横たわっていました。


 その薄い胸に、銀色の短剣を深々と突き刺して。


 「……そ、そんな……どうして……」


 膝から崩れ落ちた騎士は、彼女の組んだ手の下にある手紙に気がつきました。

 彼は震える手でそれを開きました。



 『名も知らぬ君へ。

 この魔女の首を以て、世界を救った英雄になりなさい。

 願わくば、私に世界をもう一度好きになってほしいと言ってくれたままで。

 どうか、その心を忘れないで』



 溢れそうになった涙をこらえ、言いたかったことは全て噛みしめた歯ですり潰し、彼は深呼吸とともに剣を振りかぶりました。




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