第11話 アルビレオ

「――出掛けているのは知っていましたけど、こんな場所にいらしていたのですか」


 沙夜は微かに驚きを含んだ声に振り返る。すると、その声音とは裏腹に、さして驚いた様子のないヨミが立っている。彼女は相変わらずの給仕服に身を包み、身の丈ほどのアタッシュケースを手にしていた。


 噂をすれば、と沙夜が目を丸くしていると、ヨミは不思議そうに首をかしげる。


「どうかしましたか?」

「あ、えと」


 沙夜が言葉に詰まっていると、訝しげに群青の瞳が細められる。


「なにか? 私の顔に、ついていますか?」

「……いや、どうして、ここに?」

「どうして、と訊かれましても……。それはこちらの台詞なのですが」


 そう言いつつ、ヨミは沙夜の抱えているペットボトルロケットへと目をやると、


「……おおよその見当は付きますけどね」


 と、困ったように肩をすくめてみせた。

 しょうがないですね、と呟きをこぼすと、手にしていたアタッシュケースを軽く持ち上げてみせる。


「私はこれを……と、見てもわからないかもしれませんが、この中にあるロケットを飛ばすためにここまで来たのですよ」

「それって、そこの発射台から飛ばすロケット?」

「ええ。それで、沙夜はこんなところで、どうしたのですか?」


 どうした、と訊いておきながら、その声音は答えを知っているもので。

 ああ、そういうこと。と納得した気持ちで、ハルカがはしゃぐ姿を思い浮かべながら、沙夜はその答えを口にしようとした。


「それはハルカが――って、あれ?」


 けれど。

 沙夜が振り向くと、そこにハルカの姿はなかった。


 書きかけのノートも、筆記用具もそのままにして。ハルカだけが幻であったように。

 え、と沙夜の口から戸惑いの声がこぼれる。


 そんな沙夜の様子に、ヨミは地面に広げられたノートに目をやると、まったく、と困ったような呟きをこぼした。


「……あの子は相変わらずのようですね」

「え?」


 困惑する沙夜をそのままに、ヨミはノートの上から何かを拾い上げる。

 そうして、沙夜へと見せるように開かれた手のひらには、ハルカが首に下げていたペンダントがあった。


「会ったのでしょう? ハルカに」

「……どうし、て?」

「まぁ、あの子のことですからね。姿は見えませんが、いつもこうして、会いに来てくれていることは知っています」


 ペンダントを握った手を胸にあてると、ヨミは祈るように目を瞑る。


「そして、もし見えるモノと出会ったのならこの場所へと招待することも、よくあることですから。いたずらのつもりなのでしょうね。ハルカの、楽しそうな笑みが目に浮かぶようです」


 本当に困った子です、とヨミは苦笑するように呟きをこぼすけれど、その声音に含まれたうれしそうな響きは隠せてはいなかった。


「あの子は私が現れると必ず姿を消しているようですから、ハルカ自身がようにでもしたのでしょうね。だから、私にはあの子が見えませんし、その声を人伝に聞くことも、触れることもできません」


 ですが、とゆっくりと開かれたヨミの青い目が、緩やかに細められる。


「寂しがり屋なあの子のことです。私には姿を見せなくても、他のモノには見えるようにして、存在することは知ってもらおうとしたのでしょうね」


 ヨミは手にしていたアタッシュケースを地面へと置くと、代わりにノートを拾い上げる。そうして、ノートの汚れを払いながら、そっと、愛おしそうに表紙を撫でた。


 それだけで、彼女がハルカのことを大切に想っていることが伝わってきた。それはとても温かいもので。……沙夜は無意識のうちに、唇を噛んでいた。


 二人はお互いを想いあっている。


 なのに、言葉を交わすことも、その姿を見ることすらもできない。そんな悲しいことがあってもいいのかと。


 ここは〝願い〟の叶う場所なのでしょう、と。


「ヨミ。あのね、ハルカはあなたに、」

「――沙夜」


 言い募ろうとする沙夜の言葉は、ヨミの静かな声にさえぎられる。

 どうして、とヨミを見つめると、彼女は緩やかに首を横に振った。


「いいんですよ。このままで。はハルカの口から聞かないと意味がありませんから」


 その声音はとても穏やかで。

 悲しいことなどないのだと、そう告げているようだった。


「あの子のことです。どうせ直接言わなくちゃいけないだとか、そんなことを言って、回りくどいことでもしているのでしょう? まったく、バカですよね。そんなことしなくても、あの子の気持ちは、十分に伝わっているのに」


 微かに弛んだ口元と崩れた口調が、二人の親しさを示しているようで。


「まぁ、あの子なりに考えてのことでしょうからね。またいつか、会える日を楽しみにしていますよ」


 その真っ直ぐな言葉が眩しくて、沙夜は目を細める。

 どうして。

 ああ。嫌になる。この街に来てから、ずっと繰り返してばかりだ。


「……会えないかもしれないじゃない」


 ざらついた感情を隠すように目を伏せて、言い訳のように口にする。

 そんな沙夜の態度にも、そうですね、とヨミは変わらず穏やかな口調のままに口にする。


「あの子が、私に会いに来たときに、私はもうここにはいないかもしれません。でも、もしそうなったとしても、仕方のないことです」

「なんで」


「本来、もう二度と会うことなど叶わないものです。こうして、元気に……と、言っていいのかは怪しいところですが、それがわかるだけでも幸せなことでしょう。あの子の想いも、わかっていますから」


 そう言って、ヨミはノートを大切そうに胸に抱いた。

 ハルカが、ヨミのことを親友と呼び、全幅の信頼を置いている理由が、沙夜にもわかったような気がした。


 会うことが叶わなくても、二人の間には確かなつながりがある。

 それはとても眩しくて、きれいなもので。もし、私もそう思うことができたら、と沙夜は心の中で呟きをこぼして、ポケットを上から押さえた。


 群青の瞳が沙夜を見つめる。けれど、すぐにその視線を外すと、よいしょ、とヨミは地面へと置いたアタッシュケースを手に取った。


「では、立ち話もなんですから、準備を始めるとしましょうか」


 アタッシュケースを発射台の横に移動させると、息を吐きながら汗を拭くジェスチャーをする。一滴も汗を書いている様子はないけれど。


「……それがロケット?」

「ええ。ハルカから聞いているかもしれませんが、今日の主役です。あの子と私の合作、その後継機『アルビレオ二十三号』ですよ」


 どこか誇らしげにそう言うと、ヨミはアタッシュケースを開けた。

 そこには、銀色の美しいロケットが収まっていた。


 ハルカの話に出てきた一号機のように、つぎはぎだらけのものではなく、美しい銀色の円筒状の機体に、赤いヘッドと尾翼が彩を添えている。


 尾翼には『Albireo-25』の文字。


 ヨミは丁寧にアルビレオの機体をアタッシュケースから取り出すと、その機体の側面を開けて、何やらコードをいじり始める。


 その様子を後ろから見つめながら、ふと、沙夜は一つ聞いてみたいことがあるのを思い出して、ヨミの背中へと声を掛けた。


「ねぇ、ヨミ」

「なんですか?」


 手元はロケットをいじったまま、ちらりと視線だけを向けてくる。


「ハルカには言ってなかったみたいだけど、どうして、そのロケットの名前を『アルビレオ』にしたの?」


 問うと、ああ、とヨミはばつの悪そうな声音で、ロケットをいじる手を止めた。


「そのことですか。まぁ、気にもなりますよね」


 困ったように目を逸らして、その頬は、微かに赤らんでいるようにも見えた。

 ハルカの言っていたように、何か言いにくい理由なのだろうか。


 そう思い、沙夜が眉を寄せていると、ヨミはゆっくりと空を仰いだ。


「……私が、あの子の望遠鏡で見せてもらった星の中で、一番美しいと感じた星だったこと。……あと、あの子へと残すロケットの名前にはだと思ったんですよ」


「ぴったり?」


 訝るように、沙夜は眉を寄せる。

 すると、ええ、と頷いて、若気の至りのようなものですよ、と前置きをしてから、説明をしてくれる。


「アルビレオは、はくちょう座の三等星。――青と金、ふたつの星が寄り添っているように見える二重星と呼ばれる星です。かの有名な『銀河鉄道の夜』では、トパーズとサファイヤ、なんて表現もありますね」


 それほどに美しい星ですよ、とヨミは言う。


「白鳥は渡り鳥です。そして、ふたつの星が寄り添って見える二重性のように、あの子の月を目指すという長い旅路へと寄り添ってくれるようにと、そんな祈りを込めたのですよ」


 あの子には、幸せになってほしかったですからね。

 そう呟きをこぼして、ヨミは遠くを見つめるように目を細める。


「だから、ハルカが大切にしてくれたこと、とてもうれしいものですね」


 ヨミは、そっとハルカの残したペンダントを胸に抱いた。


 一見すると、何の装飾もない、古びた金属片にしか見えない。


 沙夜には、それが何であるのかまではわからない。けれど、それはきっと、ハルカとヨミの、大切なつながりだということは理解できた。






「では、カウントを始めます」


 ロケットの設置を終え、発射台から離れた場所で、発射台とつながれたスイッチを手にしたヨミが口にする。


 一度、ヨミは何かを祈るように目を瞑ると、白い指先をスイッチへと触れさせる。


「――カウント、五」


 ヨミの、きれいな声で、カウントダウンが刻まれる。

 沙夜も、心の中で一緒になって数えながら、ふと、彼女は何を想ってロケットを飛ばし続けているのだろう、という疑問を覚えた。


「――四」


 猫の露天商は、このロケットを飛ばすことを「恒例行事みたいなもの」と言っていた。

 推測するに、ヨミは毎年、ハルカの命日にこうしてロケットを飛ばしてきたのだろう。沙夜には、何を想っているのかはわからない。


「――三」


 追悼を捧げているのだろうか?

 それとも、生涯を全うしたことへの労いだろうか?


「――二」


 いや、と。沙夜はかぶりを振った。

 ハルカが大親友だと言い切った彼女のことだ。


 きっと、月を目指した少女の幸せを、今もなお祈っているのだろう。


「――一」


 その祈りが届くといいな、と沙夜は微笑む。



「――ゼロ。ファイア」



 カチリ、と。


 ヨミが発射装置のスイッチを押し込むと同時、ロケットの噴射口から火が吹き上がる。

 祈りをのせたロケットが、青い空を駆け上がっていく。その銀色の機体で空を切り裂くようにして、遥か空の彼方へ、祈りよ届けと。


 

 ヨミは天高く飛翔するその雄姿を、その群青の瞳に映しながら。

 微かに、けれど、確かに。


 ――その口元を、ほころばせていた。


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終わりの街の喫茶店 白織 @Shiraori043

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